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『社会新報』2006年3月1日付

主張 「市場化テスト」 労働の尊厳と公平サービス犠牲に


 公共サービスの担い手を官民競争入札で決める市場化テスト法案(公共サー
ビス改革法案)が2月10日、国会に提出された。公共サービス供給を営利の
対象とすることは、労働と受給のあり方に、どのような変容をもたらすのだろ
うか。

 同法案が「国民のため、より良質かつ低廉な公共サービスを実現する」を基
本理念に掲げているように、民間的手法導入を正当化する際の決めぜりふは
「顧客第一経営」の実現だ。特に対人サービス労働において、客=消費者のニー
ズに柔軟にこたえようとすればするほど、労働者は労働を自己(主体)から突
き放して考えるのが難しくなるという傾向がある。有償労働とほかの社会的活
動との境目があいまいになっていくのだ。

 また、直接市場で消費者と向き合わなくとも、よく考えると職場内分業でも、
労働者は互いが互いの客になるのに近い関係に置かれている。顧客本位のメン
タリティがカバーする範囲は思ったより広いと言える。

 自立、自己責任、自己実現、社会参加などの言葉が、労働者意識を抑制する
方向で系統的に使われる場面がここにある。さらに公共性、共同体という語も、
新自由主義を補完する形で機能させることができる。日本型「会社主義」が労
働者間の分断・競争と企業への同一化という側面を併せ持っていたことを想起
すれば、分かりやすいだろう。公共労働が顧客本位主義の延長線上に強い社会
的意味付与を伴うことで、労働者のディーセントワーク(尊厳ある労働)を押
しのけていく力学が確実に存在している。

 ところで公共サービスにおける顧客とは、基本的に納税者と観念される。そ
して良い客とは、購買力の大きい客のことだ。客が平等でないのと同様、納税
者も決して平等ではないという結論が導き出される。小泉政権のロジックに特
徴的な、納税者の想像上の多数派を「弱者」として描き出し、公共サービスに
より多くを依存せざるを得ないが負担能力に乏しい真の弱者を「既得権者」と
して敵視させようとする仕掛けは、これに基づくものだ。公共サービス利用は
普遍的な市民権に基づく権利ではなく、良い客(まず自己負担できる者、さら
に多額納税者)であることの対価だという発想の転換だ。市場化するのだから、
市場を通じたサービス購入とほぼ同じになるというだけの話なのだが。顧客第
一の独り歩きは、公共サービスの公平・公正を損なう恐れが強いのだ。