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『文部科学教育通信』2006年2月13日号 No.141

教育ななめ読み 88 「ミュージアム物語」
教育評論家 梨戸 茂史

 国立の博物館と美術館がある。最初の独立行政法人の一つとなっていた。来
年三月に最初の中期計画を終えるに当たって統合の話が持ち上がった。関係者
から見たら晴天の霹靂。ついでに文化財研究所も一緒にしてしまえの議論が発
生。そもそも何でもかんでも「官から民へ」の改革路線だ。関係者は猛反発。
結果は博物館と文化財研究所が一緒の法人となることで決着。これは美術館、
博物館、文化財研究所の三つの独立行政法人が三から二になるという数合わせ
で妥協の産物。これも行政改革の「成果」なのだろう。

 しかし、どちらも文化財関係とはいうものの博物館は主として収集・展示の
公開施設という性格だし、文化財研究所は古墳などの遺跡や建築物、その上伝
統芸能のような無形物まで対象とする研究所だそうだから性格はまるで違う。
「古いモノ」は一緒に・・・ですか。将来はさらに締め付けが厳しくなって複
数の博物館も研究所も一つでいいのでは・・・と縮小話になるのかも。もっと
も日本の人口がいずれはゼロになれば見に来る人もいなくなる理屈。今回免れ
た美術館も次回は再度「対象」になるは必定。そもそも独立行政法人になった
のが合理化(支出減らし)の推進からだから無駄の排除と縮小方向はまずあり
きだろう。さらにはこの背後にある「民営化」はこれらに市場化テストを迫っ
てきた。政府の規制改革・民間開放推進会議がこの話の出どころ。運営をコス
ト削減やサービス向上のため民間に任せようとのアイデア。確かに一見無駄な
経費は減るかもしれない。しかし直接、現在の利益に結びつかない調査や研究
は進められなくなる恐れが出る。観客動員が大きく見込まれる展覧会だけしか
行われない心配もある。大学の基礎研究、学術研究と同じ構造なのだ。

 美術評論家の高階秀爾氏によると「フランスの美術館が短期的評価だけで作
品を集めていたら、今ごろゴッホもセザンヌも残っていない・・・」(日経新
聞二〇〇五年十一月二十六日)。文化や芸術(学術研究も)には市場原理とか
効率性、採算といったことはなじまない。最近、民間の美術館の閉館が続いた
ことはいかに経営が難しいかを物語ってはいないのか。国がやるべき最低限の
文化政策は国立の美術館、博物館の維持なのではないか(学術研究の国立大学
も)。昨年末の文化庁と推進会議の議論は、これらの施設について「更なる質
の向上のための検討や工夫を速やかに行う」という記述で手打ち。実質は得意
の先送り。次回の中期計画のときに戦争(論争)が繰り返されるのだろう。

 それにしてもここで力を発揮したのが文化人の方々の(抗議)文書提出の迫
力。日本画の平山郁夫氏、先述の高階秀爾氏、建築家の安藤忠雄氏、作家の井
上ひさし氏、哲学者の梅原猛氏、歌人の俵万智氏、歌舞伎俳優の中村雁治郎氏、
元東大学長の蓮実重彦氏、指揮者の若杉弘氏など三六人も名前を連ねたそうだ。
意外とこういうことが政策を変えさせる力となる(人気を気にする文化人宰相?
だから)。しかし、実はその前に文化庁の姿勢が「反対」だったということが
大きい。国立大学の法人化の場合は文科省が腰砕けだったから共同戦線が成り
立たなかった。

 「市場」を金科玉条とし、民間が全てよしとする風潮はどうにかなりません
か。この「原理主義」はいつまでつづくのでしょう。将来を見据えた一見無駄
に見える中に本当の文化や学問を守って行く道があるのではないか。いつまで
も「対岸」の火事ではない。法人化の後には「統合から市場化、そして民営
化」?明日の国立大学はどうでしょう。そのときこれだけ文化人(大学人)を
集められますか。