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artscape 2006年2月1日号(抜粋)

独立行政法人国立美術館の「市場化テスト」について

大阪/国立国際美術館 中井康之


 今年は、国立美術館が独立行政法人化して5年目を迎え、中期目標に対する評
価が下され、今後の美術館運営の指針が示される予定であった。しかし、風雲
急を告げるかの如く、去年末の新聞各紙で話題となっていたように、政府の
「規制改革・民間開放推進会議」によって国立美術館の市場化テストが導入さ
れることがほぼ決定していた。結果的な話としては、文部科学省を後ろ盾にし
た平山郁夫、高階秀爾両氏の強烈な押し返しに依って、今回は、市場化テスト
は見送られることになったのだが……。その「市場化テスト」とは、「これま
で「官」が独占してきた「公共サービス」について、「官」と「民」が対等な
立場で競争入札に参加し、価格・質の両面で最も優れた者が、そのサービスの
提供を担っていくこととする制度」だという。

 美術館という組織が、「公共サービス」という一面が在ることを否定はしな
い。それこそ、郵政民営化法案が国民の多大な支持の元に成立した現状におい
て、とても小さな組織である独立行政法人国立美術館、同博物館を民間に移譲
するということは、中央官僚とその取り巻きの政財界人にとっては既定の路線
であっただろう。

 美術館の基本的な業務は「作品の収集・保存」「作品の調査・研究」「作品
の展示」という三本柱に加えて「展示作品等を用いた教育普及」であることは
言うまでもないことだが、彼ら(中央官僚とその取り巻きの政財界人)にとっ
て、美術館業務における「公共サービス」というものは、その内の後者2つ、特
に「展示」ということしか見えてこないのであろう。これは地方公共団体の美
術館でも施行され始めている「指定管理者制度」と同様の図式である。

 例えば「A」という企画展に際して、「A」に関わる作品がどこかに用意がさ
れていて、それを(a),(a’),(a”)…とするならば、それを単に並べれば展覧会
は成立するように考えているのではないだろうか。

 しかし、実際には「A」という企画は、独自な「調査・研究」に基づいて、こ
れまで(b)と規定されていたものを、実は(a-)である、というようなことを示す
ことであり、既成のコードがあるわけではない。これを「対等な立場で」誰が、
どのように評価を下すのであろうか。

 また、その「(b) 実は(a-)」が、保存状態が望ましくなく、修復を施す必要
がある場合、学芸員は、その作品に対して最も見識のある修復家と綿密に協議
を行なったうえで実施するのであるが、このような修復に関しても、どのよう
な基準で修復家を依頼するのであろうか(その前に、修復を必要とするような
作品を選択する学芸員は「公共サービス」を行なう者として不適格なのであろ
うか)。

 もちろん、「市場化テスト」を行なおうとしている体制側にとって問題とし
ているのは、このような些細なことでなく、ひとつのイベント(展覧会とは言
わない)の喚起力を問題とする云々と言うだろう。例えば、W美術館展とか美術
史上欠かすことのできないXの個展を開催して多くの入場者数を獲得するよう
な……。これを優れた「公共サービス」と判断するならば、少なくとも文化的
には「亡国的」な思想だという他はない。なぜならば、そのような展覧会は、
歴史的に価値づけられた「作品」を有している国、美術館による覇権主義的な
行為であり、日本は金を払って自国の文化を形成する機会を徒に失っているの
である。

 開催したときには、入場者数なども含めて目立たない「A」展が、10年後、
20年後に、その国の美術史を形成するような大きな役割を果たす、というよう
なことは誰が判断するのであろう。現在の5年毎の中期計画目標どころか、「市
場化テスト」によって1年、あるいは展覧会毎に「対等な立場で競争入札」され
るようなことが実施されれば、「A」展は実施できないことになるであろう。

 最後に、「博物館法」では、「『博物館』とは、歴史、芸術、民俗、産業、
自然科学等に関する資料を収集し、保管(育成を含む。以下同じ)し、展示し
て教育的配慮の下に一般公衆の利用に供し、その教養、調査研究、レクリエー
ション等に資するために必要な事業を行い、あわせてこれらの資料に関する調
査研究をすることを目的とする機関」を国が認める公的機関が設置したもので
あると制定している。