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『新潟日報』社説 2006年1月30日付

新大学長選考 説明責任をどう考える


 独立法人化後初めて行われた新潟大学の学長選をめぐる混乱は、とうとう裁
判に持ち込まれることになった。

 ここまでこじれた責任は、十分な説明責任を果たしていない大学当局と学長
選考会議にあるといわざるを得ない。

 学長選に絡み、大学の教育研究評議会委員を務め学長候補にも推されていた
二氏を含む三氏が学内ポストの辞任を表明する事態となった。手続き論だけで
批判をかわすのではなく、選考過程を積極的に公開する透明性が求められる。

 従来の学長選びは事実上、教職員ら有権者の投票で決まっていた。ところが
国立大学法人法では、決定権は学長選考会議が持つことを明確にした。

 教職員らによる第二次意向投票の結果と学長選考会議の決定とが食い違った
のが混迷の始まりである。しかも、選考会議の議長は票決の数字や議論の内容
を公表しなかった。「混乱を拡大しないために」がその理由だという。

 理解に苦しむ説明である。これでは表ざたにできない何かがあると思われて
も仕方がない。投票と異なる結果を導き出したなら、より丁寧に説明し学内の
理解を得る努力が必要ではなかったか。

 新大では提訴されたことに対して「大学法人法や学長選考規則にのっとって
おり問題はない」とコメントしている。

 法的条件は満たしているのかもしれない。だが、問われているのは学内民主
主義であり、情報公開の在り方である。真理探求を旨とする大学が、最高責任
者の選考過程を公開できないとは情けない限りだ。

 国立大学は法人化されて間もなく二年になる。本格的な改革はこれからが正
念場である。学長のリーダーシップや意思決定のスピード化も求められよう。

 その場合には、情報公開や説明責任を尽くすなどの裏打ちが不可欠だ。理念
と目的、手法を明確化することで、学内に一体感が生まれてくる。

 法人化後の大学の変化に戸惑いの声があるのは否定できない。学長選の混乱
を招いた遠因との見方もある。

 災い転じて福となすべきだろう。新大と学長選考会議は、会議で交わされた
意見や決定の経緯を明らかにし、学内融和を図る姿勢が求められている。

 併せて、意向投票の位置付けや選考会議の持ち方も、再吟味してみてはどう
か。公開性と透明性を欠く会議では学長選考にふさわしいとは思えない。

 入試の二次試験が目前に迫っている。一刻も早く正常化し、新しい年度を迎
える態勢を整えてほしい。