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『朝日新聞』2006年1月28日付

私の視点 財団法人大阪府文化財センター調査部長 赤木 克視

 ◆遺跡 危機はらむ市場化テスト法案

 開発で壊れる遺跡は事前に発掘調査され、歴史資料として記録される。「行
政発掘」と呼ばれるこの埋蔵文化財調査はこれまで、教育委員会や自治体の外
郭団体など公的な発掘調査組織が実施してきた。

 それは遺跡が高度経済成長に伴う大規模開発で危機に立たされ、行政自らが
発掘調査組織を整備したことに始まる。その後拡充され、今では公的機関の専
門職員は7千人前後に増えた。それでも調査体制の整わない自治体があり、不
足分を少数の民間調査組織で補っている。だが、文化庁は民間会社を使う場合
も、行政の調査組織に組み込むよう指導している。

 ところが、この発掘調査体制が、危機に直面している。昨年末、政府の規制
改革・民間開放推進会議が小泉首相に最終答申を提出した。それは「公共サー
ビス効率化法(市場化テスト法)案」の通常国会への提出を求めている。同法
案の趣旨は「官民が効率と価格で競争せよ」というものである。答申に行政発
掘への言及はないが、地方公共団体にも民間開放を促している。早晩、行政発
掘も官民競争入札の対象とされることになるのだろう。

 だが、発掘調査に官民競争入札はなじまない。

 発掘調査は、遺跡を壊しながら進められており、一回限りのものだ。発掘は
地表面から順次下層に掘削し、過去の人々が地中に残した生活痕跡を探し出す。
痕跡は土の質や色の違いで識別する。しかし、その痕跡にはほとんど差がなく、
判断に迷う場合も多い。どれだけ正確を期すかは、調査組織と担当者の良心、
経験に負うことになる。

 実はここに最大の問題がある。一度発掘調査した場所は二度と調査できない。
だから第三者の再検証が不可能である。悪意を持てば「手抜きし放題」となる。

 民間組織でも、しっかりした調査員を擁して十分な調査ができるところもあ
る。一方、遺構を掘り散らかした素人同然の調査員を行政側の指示で交代させ
たり、手掘りすべきところを機械で掘ったりした民間の例が報告されている。
官民競争入札で調査期間の短さと廉価で争うなら、民間を含め良質な発掘調査
者は淘汰されるだろう。

 最近発覚した千葉県の1級建築士の建築確認偽造問題の背景に、営利のため
に人命をも軽んじる倫理観の欠如した世相がある。まして人命を損なわず、手
抜きも発覚しない発掘調査ならどうなるかは明らかであろう。少なくとも行政
などの調査組織であれば、営利を目的に手抜きをしないのではないか。

 日本文化は主に木や紙の文化であり、古い文化財が残りにくい。数少ない歴
史資料も土の中にしか残っていない。40年余にわたる行政発掘調査の積み重
ねで、日本歴史を書き換える事実が次々と解明されている。わずかなコストを
惜しむあまり、粗雑な発掘調査が行われれば、歴史資料が価値を失ってしまい
かねない。

 邪馬台国の卑弥呼が魏の皇帝から下賜されたと、中国の『魏志倭人伝』が記
す金印は、いまだ発見されていない。それは邪馬台国論争を決着させる。一辺
2センチ強とみられるこの小さな金印は、日本のどこかに埋まっているはずだ。
たとえれば、こんな大発見が手抜きの発掘で日の目を見ず、永遠の闇に葬られ
てしまう可能性があるということだ。

 このような発掘調査への官民競争入札法の適用は、御免被りたい。