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新首都圏ネットワーク

『朝日新聞』2005年11月18日付

私の視点 慶応義塾大学非常勤講師(倫理学) 吉田量彦(よしだ かずひこ)

◆研究者支援 人文科学のすそ野広げて


 人文科学分野の博士号取得者はその多くが、専門研究者として大学に就職す
ることを望んでいると思われる。しかし近年、国公立・私立を問わず大学は人
文系の専任教員を大幅に削減する方向に動いている。大学そのものの統廃合、
実学中心の学部再編成、教養課程の縮小などが原因である。

 その結果、彼らは極めて長い間(ことによると一生)非常勤講師、つまりパー
トタイマーとして働くことを余儀なくされる。専任教員とは賃金などにおびた
だしい差があるうえ、いつ雇用契約を打ち切られるか分からない不安定な身分
にある。

 かつては複数の大学で授業を担当しつつ、その収入だけでどうにか生計を立
てられた時代もあった。しかし、その市場に遅れて参入した現在の比較的若い
世代では、今やそうした「かけもち」すら難しくなりつつある。実家の支援を
受けられる幸運な者を除けば、大多数は貴重な研究時間を削り、本業とは関連
の薄いアルバイトに従事せざるをえないのが実情だ。その主な受け皿は予備校
や学習塾だが、少子化の進む今日、これらの教育産業でも雇用は減少傾向にあ
る。

 次代の研究・教育活動を担う人材を途絶えさせないためには、博士号取得後
の支援制度を充実させる必要があると思う。ところが今の制度では、分野ごと
の特殊事情が考慮されておらず、人文科学研究者が支援の網からこぼれ落ちや
すくなっていると言わざるをえない。

 そんな問題点を、代表的な日本学術振興会の奨学・研究助成制度で見てみよ
う。研究奨励金と呼ばれる月ごとに支給される奨学金はともかく、年度で支給
される科学研究費補助金は使途が厳密に規定され、自由に使えない。そのため、
事実上、十分な収入を保証された専任教員しか活用できなくなっている。研究
費も自由に使えるよう最初の見直しはここから始めるべきではないか。

 次に、奨学制度では専門分野(医歯学系を除く)にかかわりなく、年齢制限
(34歳未満)が設けられていることが一番の問題だ。他分野、とくに自然科
学と比べ、人文科学の博士号取得には時間がかかる。カリキュラムを始めとし
た教育システムの立ち遅れに加え、比較的長い学位論文を求められる傾向があ
るからだ。人文科学者が学位を得る頃には、すでに年齢規定によって奨学金の
応募資格を失っていることが多い。

 ちなみにこの年齢制限は、同会が海外の機関と提携して行っている博士号取
得者の海外研究支援制度にも適用されており、人文科学者が海外に出ることを
困難にしてもいる。

 したがって、少なくとも奨学制度の応募資格を専門分野ごとに、それも早急
に設定し直すことが求められる。とくに年齢制限については、各分野の実情を
踏まえるのはもちろんのこと、同じ分野の中でも博士課程修了者と在籍者、学
位取得者と未取得者は分けて考えなければならない。

 人文研究には高価な研究機材も実験材料もいらず、必要なのは多少の文献と
それを読み解く頭脳である。そのためには彼らの生活を安定させ、研究に従事
する時間を確保することが第一だ。それは比較的少額の支援で足りる。人文科
学のさまざまな領域の研究者にこの支援が行き渡れば、時間はかかるが、日本
の人文科学研究全体が大きく活性化されると私は考えている。