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新首都圏ネットワーク

『毎日新聞』2005年11月2日付

理系白書’05:第3部 流動化の時代/1 漂う“ポスドク”1万人


 研究の世界に「流動化」の波が押し寄せている。科学技術政策の指針となる
「科学技術基本計画」は、人の入れ替わりを盛んにすることで研究は活性化す
る、とうたい、流動化を奨励した。教授のイスに「任期」をつける大学が現れ
る一方で、30代半ばになっても定職が見つからない博士たちが大量に生まれ
ている。長い間、終身雇用を前提に動いてきた日本の大学や研究機関が直面す
る、流動化の理想と現実を取材した。【中村牧生、元村有希子、永山悦子、写
真はいずれも馬場理沙】

 ◇転身、阻む35歳の壁

 朝、目覚めると、じっとりと脂汗をかいていた。白川進さん(34)=仮名
=は夢の中で、ひたすら志願書類を書き続けていた。

 「書類に添える英語の論文が、突然、日本語に変わっているんです。焦りま
した。精神的に追いつめられているのかな」

 白川さんは天文学の研究者だ。東京大で博士号を取った後、任期付きで働く
研究員、いわゆる「ポスドク(ポストドクター)」になった。名古屋大で1年
半、京都大で1年半。現在はポスドク3期目だ。

 来年3月には任期が切れる。次の働き口を見つけなければならない。研究の
傍ら、常勤職の公募を探して履歴書を送る。

 就職活動は博士課程3年の時から足掛け7年。大学教員や研究職など40通
の書類を出したが、「連敗」記録を更新中だ。「年末までは研究職を探します
が、ダメなら民間企業も当たるつもり。この業界に見切りをつけるなら35歳
が限度だから」と白川さん。

 研究職の多くは、応募要件が「35歳以下」。研究者としての人生は、今が
正念場だ。

   ■   ■

 中学のころから、天文学者を夢見た。大学院に進学するころには、国の「大
学院重点化」政策で学科の定員が倍増した。もともと天文学者として働ける場
は多くない。「全員が就職できるわけじゃない」と覚悟して博士課程に進んだ
ものの、これほど厳しいとは思わなかった。

 ポスドク生活の6年間に、論文を4本書いた。研究者として、普通の業績は
出していると思う。在籍した大学の教授や助手からは「ポスドクは研究に専念
できていいよな」と言われた。「3年目までは、お金をもらって自由に研究で
きるいい身分だと思っていたけど、こんな不安定な状態がいつまで続くのか、
だんだん不安になった」

 現在の月収は36万円。ここから社会保険料と年金を払い、家賃5万円のア
パートに独りで住む。今取り組んでいるテーマに行き詰まり、気ばかり焦る。
「来年、どうなるかが分からないから、落ち着いて研究もできないんです」と
白川さん。

   ■   ■

 白川さんのように、博士課程を修了して常勤職に就くまでの間、任期付きで
働くポスドクは、知識と技術を兼ね備え、即戦力として研究を支える貴重な存
在だが、身分は不安定。大学助手や民間企業の研究者などの常勤職は、分野を
問わず「狭き門」だ。

 京都府に住む高津淑人(まさと)さん(38)は4年半前、メーカーの研究
職からポスドクに転身した。8年間かかわったプロジェクトが終わり、生産管
理の仕事に回されたのがきっかけだった。「このまま会社にいても研究できる
見込みはない」と、あえて不安定な境遇を選んだ。

 現在はポスドク2期目。使用済みのてんぷら油からディーゼルエンジン燃料
を作る共同研究に取り組む。任期は5年だ。

 「35歳の壁」は気になるが、不思議と焦りはない。「安定した職を捨てた
ときに割り切れたんです」。研究が好きだという。「引っ越しは多い、給料は
安いという面で家族には苦労をかけているが、妻は『研究している時の方が生
き生きしてる』と理解してくれている」と話す。

 ただ、就職難はひとごとではない。高津さんは「国のポスドク制度の成否は、
任期が終わった後のリスクを減らし、やる気を高められる状況を整えられるか
どうかにかかる。受け入れる企業がもっと増えれば……」という。

 なぜ「35歳」なのか。ある国立大教授は「資質と年齢は無関係だと思うが、
現実には40歳のポスドクに年下の助手が命令しにくい」と言う。「優れた研
究者なら、ポスドクを2期やれば、実績とコネで就職先が見つかるはず。35
歳、3期目という人を雇うのはリスクが高い」と、ある研究所の人事担当者は
打ち明ける。

 96年に国が掲げた「ポスドク等1万人支援計画」に希望を託し、研究者を
志した若者たちの多くは今、30代半ばに差し掛かっている。「自己責任」と
いう重い現実が彼らにのしかかる。

 ◇日本発の論文、質量ともにレベルアップしたが…無給労働の博士も

 文部科学省は昨年末から今年1月にかけて、初めて「ポスドク」の雇用状況
を調査した。

 それによると、全国の大学や研究所1552機関が推計した04年度のポス
ドクの合計数は1万2583人。03年度より約2400人増えた。

 働き場所の内訳は大学が約60%、国立研究所から衣替えした独立行政法人
が約25%、残りはその他の公的研究機関などだった。

 給与の財源は、03年度実績で科学研究費補助金など競争的研究資金が46
%、大学の経営に使われる運営費交付金などが22%、奨学金制度が15%。
「雇用関係なし」も5%あり、無給で働いているポスドクが少なくない可能性
がある。

 年齢構成(グラフ1)を見ると30〜34歳が最も多く約46%、40歳以
上も8%を超えた。女性比率は全体の約2割だったが、年齢が上がるほど増え、
40歳以上では3割が女性だ。また、病気や失業など不測の事態に備える社会
保険の加入率は47%だった。

 ポスドクを多く採用している日本学術振興会と理化学研究所は、03年度に
任期を終えたポスドクについて、その後の進路を調べた。終了直後、常勤の職
に就ける人は3割前後で、再び任期付きの職や非常勤職を渡り歩く人が多かっ
た(グラフ2)。

 こうした調査からは、30歳を過ぎても期限付きの仕事を続け、常勤研究者
並みの待遇を受けていないポスドク像が浮かぶ。

 文科省で人材政策に携わってきた有本建男・内閣府経済社会総合研究所統括
政策研究官は「ポスドクの増加が原動力となって、日本発の論文・特許が質量
ともにレベルアップした。一方、任期満了後の進路に明確な方針を示していな
かったことが、身分の不安定さにつながっている。貴重な人材を活用する多様
な進路を具体的に提示することが必要だ」と話す。

 ◇背景にドクター激増

 ポスドクは博士号を取得した後、大学の助手や研究所研究員など常勤(終身)
の職についていない研究者を指す。

 政府は第1期科学技術基本計画(96〜00年度)で、研究を推進する貴重
な人材として若いポスドクの量産を目指し、「ポストドクター等1万人支援計
画」を打ち出した。大学や研究所、民間企業などで3〜5年の任期で働く若手
研究者に、公的資金で一定の年収を保証するシステムで、研究現場の人手不足
も追い風となり、ポスドクの数は急増した。

 背景には、博士号取得者の増加がある。大学院の重点化政策で定員が2倍に
増え、大学院に進学する学生が増えた。博士号取得者は02年度には年間約1
万4500人に上り、92年に比べて倍増した。

 ◇「矛盾の根源は政府の認識の甘さ」−−小林信一・筑波大大学研究センター
教授に聞く

 なぜこんな事態になったのか。人材問題に詳しい小林信一・筑波大大学研究
センター教授(科学技術政策)に聞いた。

 「ポスドク等1万人支援計画」は「科学技術創造立国」という掛け声の下、
慌てて作られた政策です。96年には科学技術基本計画に盛り込まれ、国家目
標になりました。

 当時はプロジェクト研究が増えて新たな人手が必要になり、一方、行革で国
立大や公的研究機関の定員が削られていました。1万人計画はいわば、人件費
以外の資金を使って、実験の手足となる若手を雇える便利な方法でした。

 しかし、限られた時間で成果を出すために、論文にならない力仕事をどんど
んさせ、終われば放り出すというひどい使われ方も増えました。自分のテーマ
を研究することさえ許されないポスドクもいます。

 そして直面するのが「35歳の壁」。第2期の基本計画に「30代半ばまで
は流動的に」と書いてあるのを額面どおり受け取った研究機関が、公募の際
「35歳未満」という上限を設けたわけです。

 ポスドクは研究活動のかなりの部分を支えており、数を減らせば、途端に研
究は停滞します。一方で来年度以降には、大学の優れた研究に優先的に研究費
を支援する「21世紀COEプログラム」が最終年度を迎え、任期切れで職を
失った博士が大量に出て、対策が必要になります。

 学位をどんどん出してきた大学院は、一度反省すべきです。博士自身も、研
究だけでなく周辺の仕事まで視野を広げてキャリアを考えてほしい。

 しかし根源は政府の認識の甘さです。「素晴らしい制度だ」と評価するだけ
で、十分な分析もなく、大学や研究機関の拡大志向を放置した。本来のポスド
ク政策とは「優れた若手研究者の武者修行の場」だったはずです。ところが、
研究費が増えて仕事も増えるから、人を増やせ、という論理が出てきて思考停
止した感があります。

 とはいえ、若い人に頑張ってもらわなくちゃいけないことは確か。現状は博
士を取ったら「後はお前たちの責任」という姿勢で、これはよくない。将来の
ために人材をどうするか、長期的な視点での再考が不可欠です。