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新首都圏ネットワーク

『科学新聞』2005年10月21日付

沖縄大学院大構想推進に拍車
整備機構発足式開く

 沖縄にベスト・イン・ザワールドの大学院大学を創るため、沖縄科学技術研
究基盤整備機構の発足式が13日、東京の虎ノ門パストラルで開催された。同機
構の理事長で大学院大学学長に内定しているシドニー・ブレナー博士は「最も
優秀な若者を惹きつけることができる大学院大学にしたい。日本は構造的な問
題から本来の潜在能力を発揮していない。全く新しく始めることで、我々のや
り方がスタンダードになるようにする。『それは日本のやり方ではないよ』と
言われたら、正しいことなのだと思うようにします」とあいさつした。

 小池百合子担当大臣はあいさつで「先の通常国会での機構法成立から、ここ
までようやくたどり着いた。多くの分野で国際化が進んでおり、将来を担う優
秀な若者が育つ環境ができてきた。大学院大学を最先端の科学技術の発信拠点
にしたい。機構成立によって大きな一歩を踏み出した」とし、さらに本紙のイ
ンタビューに対して「これまでの日本の教育の問題点を修正して行くには時間
がかかる。真っ白なキャンパスに新しく作っていくことで、新しい教育システ
ムができると期待している。結果として、日本の教育にも良い刺激を与えられ
るようなかたちにしたい」と抱負を語った。

 小泉総理は「シドニー・ブレナー理事長の下、アジア太平洋地域の最先端の
知的インフラに成長し、併せて、沖縄の発展に大きく貢献することを期待」と
メッセージを発表。棚橋泰文科学技術政策担当大臣は「第2期科学技術基本計
画の"50年で30人のノーベル賞を"というノルマ達成のためにも大学院大学には
頑張ってもらいたい」、結城章夫文部科学省事務次官は「沖縄振興はもちろん、
日本、世界の科学の発展につながるもの。文科省としても可能な限り協力して
いきたい」、稲嶺恵一知事は「沖縄県としては全力で頑張るしかない」とあい
さつした。

 構想を打ち出した尾身衆議院議員は「ベスト・イン・ザワールドというコン
セプトを貫くのに苦労した。官僚はファーストクラスという言葉に変えたがっ
たが、ベスト・イン・ザワールドと世界に宣言することに意味がある」と話す。

 運営委員会メンバーの黒川清日本学術会議会長は「今のバイオテクノロジー
のフロンティアはボストン、ハーバード、サンディエゴだろう。しかしサンディ
エゴは40年前までただの田舎町だったのを州主導でここまでにした。沖縄はそ
れ以上のポテンシャルがある」という。

 沖縄大学院大学構想は、01年6月に尾身幸次担当大臣(当時)が打ち出し、
同年8月には有馬朗人元東大総長を座長とする第1回構想検討会が開催された。
02年4月には世界の著名な研究者をメンバーとする第1回国際顧問会議がロサ
ンゼルスで開かれ、5月の沖縄復帰30周年記念式典では小泉純一郎総理が大学
院大学構想の推進を表明、7月には沖縄振興計画の大きな柱と位置付けられた。

 03年4月には恩納村がキャンパス予定地に選ばれ、7月にフリードマンMI
T教授を議長とする評議会、10月に国際シンポが開かれた。04年2月先行事業
となる研究事業(IRP)として4件のプロジェクトを選定。7月に第1回運
営委員会を開催。12月には推進主体としての研究機関設立について関係閣僚に
よる申し合わせが合意、05年3月の国会で沖縄科学技術研究基盤整備機構法が
国会において全会一致で可決。9月に発足し、10月13日に東京、翌14日に沖縄
で発足式が行われた。