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新首都圏ネットワーク

『内外教育』2005年10月14日号

   《成果主義の限界》
                   住友生命顧問  糟谷正彦


 競争と評価によって世の中は改善されるとする米国モデルが猛威を振るつて
いる。あらゆる分野で客観的評価による成果に連動した賃金体系の導入の必要
性が強調される。

 例えば、公立学校教員の給与のうち一律に支給される部分を抑制する代わり
に、能力や実績に応じて支給される部分を増額して、やる気のある教員を優遇
するとか、国立大学法人の役員のボーナスについて業績評価を反映させて人事
の活性化を図るようにするといった事例である。

 従来も、出来高払い制の単純労働や成約高を指標にできる保険の営業職員の
場合には、成果主義が採用されてきた。しかし、民間企業においても、ホワイ
トカラーの働きを客観的に評価することなど不可能である。極端に出来の悪い
者と突出して優秀な者は、周りの人々には分かっている。そうでない大部分の
人たちを無理矢理評価し、その微差を給与に連動させていくことは、かえって
職場の活力をそぎ、職場に必要な人材育成機能を破壊する。

 高橋伸夫著「虚妄の成果主義ー日本型年功制復活のススメ」(日経BP社、2
004年)では、日本型の人事システムの本質は、給料で報いるシステムでは
なく、次の仕事の内容で報いるシステムだと強調している。従来の賃金制度は、
動機付けのためというよりは生活費を保障するという観点から設計されてきた
のだと言う。

 ロナルド・ドーア著「働くということ」(中公新書、2005年)でも、業
績給は、個人間に差を付けること自体が目的になりがちで、「企業の効率は人
的資源の蓄積にかかっている」ことや「短期的な金銭的報酬だけでなく、長期
的に、自分のキャリア展開の可能性、予測可能性も大きな意味を持つ」ことを
忘れてはならないと指摘する。

 民間企業経営感覚の導入というスローガンも、学校や大学の教職の専門性を
踏まえ、その実施の場面を限定しなければならない。