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新首都圏ネットワーク

『文部科学教育通信』 2005年10月10日号 No.133

 教育ななめ読み 80
「小さな政府論」  教育評論家 梨戸 茂史


 驚いた総選挙の結果だ。与党が衆議院で三分の二以上の議席となりいまさら
ながら取りすぎの感想も出る始末。わが国の行政は法律と予算で決まる。それ
らは全て国会での議決を経るわけだが、参議院で否決された法案も再び衆議院
に戻って三分の二の賛成を得たら全て可決されることを意味する。もうひとつ
は「刺客」騒ぎに見られるように党内に反対意見を認めない候補選びと党首キャ
ラクターが死命を制する小選挙区の性質。結果として一定期間オールマイティ
の権力をその党首に与える政治に変わる。

 さらには、今までどこでどうやって決めたのか判然としなかった「小さな政
府」論に国民が賛成し、それが今後の政策の基本方針となった。政府のお金の
流れを止めるのが郵政の民営化だし、来年四月の実現を目指す既存の独立行政
法人の非公務員化や事後的になったが、国立大学の法人化は国家公務員の削減
の話。それらがこの選挙でオーソライズされた。これらはつまるところ財政支
出の縮小だ。巨額の赤字を解消し健全な財政に戻すという大義には誰も文句が
ない。しかし、どうやってそれを進めるのか。また、問題はないのだろうか。

 わが国が一周も二周も遅れているとされる構造改革のモデル、英国の現状が
どうなっているのか、『ハードワーク』(ポリー・トインビー著)に詳しい。
サッチャー改革で公共部門で働く労働者数は大幅に減少し、現在は英国の労働
人口二、八〇〇万人のうち五〇〇万人だとされる。一九七九年には七四〇万人
だったから三分の二ほどになった。しかし広い意味での公共部門の労働者数は
減ってはいないようだ。サッチャーの「小さな政府」は公共サービスの競争入
札を義務化した。その結果政府は公共サービスを自ら実施するのではなく民間
から買って「小さな政府」を実現した。象徴的なのが国家医療サービス(NH
S)と呼ばれるもの。まずこのNHSの補助職員が四〇%削減された。その結
果病棟などは汚れ、残った病院の清掃係や調理師、ポーターなどの給料も実質
カット。国は公共サービスの補助的作業を民間に委託して「効率」を買ったつ
もりになっている。民間企業は競争を勝ち抜くために安い賃金でパートタイム
などの労働力を使う。その結果厳しい労働条件の職場が発生する。国としては
公務員にそんな厳しい労働条件を容認することはできなくとも民間企業であれ
ば目をつぶることもできる。著者は実際に病院のポーターや小学校の給食の補
助員、清掃や老人介護の職場も体験してこのレポートを書いた。これが明日の
日本かも。

 皆さんの大学の職場を見回してくださいな。かつては実験の助手やら技術職
員がたくさんいた研究室もいまや大学院生が研究や教育のアシスタントとして
少ない手当で働いている。事務室だって短時間勤務の非正規の職員が増えた。
一番コストのかかるのが人件費だから今回の総選挙のスローガンだって公務員
の削減だし総人件費を減らす話だ。運営費交付金は毎年一%の「効率化」係数
がかかっている。「効率化」というのは実質経費削減だ。「リストラ」が人員
削減のことだったのと同じく、ひどく日本的な、言葉で本質を隠してしまう現
象のひとつ。

 さて国立大学はこのまま行くとそのうち運営費交付金がまるまる人件費になっ
てしまいかねない。実験や設備のお金は出せなくなる。残るのはせめて紙と鉛
筆でできる研究と教育か。小さな政府で何でも民営化を推し進める政治の方向
だが、その前に国大協や私学団体はわが国の高等教育の将来像を政策提言すべ
きでしょう。それともこれも市場化で自然淘汰されるのを待つ市場原理主義で
いくのでしょうか。