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新首都圏ネットワーク

『朝日新聞』秋田版 2005年10月1日付

内地研究員「余裕」こそ創造の原動力


 9月から半年間、秋田を離れることになった。秋田大学の内地研究員の制度
により、東京の国立国語研究所に派遣されることになったためだ。

 内地研究員制度とは、大学教員の教授研究能力の向上のため、教員を6〜1
0カ月間、国内の他の大学、研究所などに派遣するというものである。国立大
学法人移行後は、各大学ごとに制度化されるようになったが、もとは文部科学
省に設置されていた制度である。

 欧米の大学には、サバティカル(sabbatical)制度がある。これ
は、通例7年ごとに大学教員に与えられる1年間の有給休暇である。手元の和
英辞典によると、古代ユダヤ人が7年目ごとに休耕したという、宗教上の安息
年(sabbatical year)に由来するらしい。内地研究員制度は、
サバティカル制度のように定期的に行使できるものではないため、私にとって
今回は満を持しての機会取得である。

 大学教員の仕事は、研究・教育・大学運営に大別できる。私の場合、もっと
も時間を費やすのは教育(授業とその準備、学生指導)で、年を追うごとに比
重を増してきたのが大学運営(学内委員会などの業務)にかかわる仕事。それ
に対し、削らざるを得ないのが研究に従事する時間である。

 研究というものは、そもそも日常業務とは相いれない。授業や会議は一定の
時間内に終わるものだが、研究は時間単位で進むものではないし、1日の業務
の中に細切れに組み込めるものではない。一瞬のひらめきが生まれるまでには、
何十時間の沈思黙考の(一見ぼうっとしているだけのように見える)時間が必
要なものである。

 かつて大学院生だった最後の年に、博士論文を書いた。その1年は、週に数
回外出する以外、ずっと自宅にこもって沈思黙考にふけっていた。

 収集したデータの中に、新しく見つけた現象があった。だが、その現象の意
味がうまく説明できない。説明はうやむやのまま、現象の指摘だけにとどめよ
うか。でもそれでは論文にならない――。ある日、ふと、それまでまったく別々
に見ていた二つのデータが、ある観点で結びつくことに気づいた。出口の見え
た瞬間だった。

 別々に見えるものを結びつける。そうした研究者としての思考のメカニズム
を磨くことは、教育にも大学運営にも生かされることである。内地研究員もサ
バティカルも、それを保障するための制度だと言える。

 こうした制度の有効性は、大学教員に限らないだろう。海外では、サバティ
カル休暇制度を導入する国や企業もあるようだ。こうした制度に保障される社
会の「余裕」は、新たな創造を生み出す原動力になる。

 (秋田大助教授 日高水穂さん)