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『山陰中央新報』2005年9月3日付 コラム 明窓 : 短大は要らないのか 短大は本当に要らなくなったのか−。島根県立大学の統合・法人化を審議し てきた県大学改革諮問会議の最終報告書を読むと、こんな疑問がわいてくる。 島根県内には県立の島根女子短大(松江市)と看護短大(出雲市)がある▼報 告書ではこの二つの県立短大を浜田市にある県立大学と統合したうえ、速やか に四年制大学に移行させるよう求めている。短大の四年制大学化は時代の流れ であり、両短大の生き残りのため四大化は当然という趣旨である▼一見時代の 要請に沿ったようにみえる。しかし県内の実情に照らして本当に四大化が必要 なのか。むしろ四大化に伴って、県内から短大がなくなる弊害の方が大きいの ではないか。四大化のいいとこ取りだけをして、短大を必要としている地元の 高校生や保護者の意向がないがしろにされているような気がする▼両短大を合 わせた今春の入学志願者数は八百五十人。大半は県内からで志願倍率はともに 二倍以上。減る傾向にあるとはいえ、少子化のなかで健闘している。少子化の うえに乱立がたたって、全国の私立大学のうち三割が定員割れを起こしている。 それに比べると、はるかに「健全経営」である▼経済的な理由で県外の大学に 行くことができない、二年間の就学期間のうちに必要な技術を習得したい−。 そういう若者にとって県内にある短大はかけがえがない。その選択肢が四大化 に伴って奪われてしまう▼「職業技術の高度化に対応する」「時代のニーズに こたえる」など四大化を飾るきれいな言葉が、こうした若者たちの気持ちをど こまでくみ取っているのだろうか。短大の役割は失われていない。(前) |