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新首都圏ネットワーク

JanJan 2005年6月11日付

東京都立大学の終焉、そして首都大学東京


 今年4月、「首都大学東京」(以下、首大:クビダイ)が開学した。東京都
立大学(東京都八王子市;以下、都立大)が政治のおもちゃにされて変質させ
られたのが、首大である。

 都立大の解体は、一昨年の8月、石原慎太郎・東京都知事が、これまで教員
と東京都との間で協議していた新大学構想を無視し、現在の首大に直結する新
構想を発表したことに始まる。これは都立大教員を大幅にリストラし、都立大
の人文学部から工学部までの理念無しの「都市教養学部」という奇異な学部に
まとめるというお粗末な構想だった。当然、都立大の教員・学生は総長(学長
相当職)を筆頭に反発した。それでも東京都は首大新構想を強行し、反対する
教員を「粛清」した。結果、多くの教員が都立大を去り、都立大の教育・研究
を継承できない分野が生じた。

 この事件で誰が「悪い」か考えてみたい。当然、東京都トップの都知事は悪
い。その下の都庁役人(の一部)も悪い。教員・学生に罵られながらも、首大
構想を推進した恩賞として学部長に就任した教員もいる。

 都庁の暴走を阻止できなかった都議会も悪い。筆者は、文教委員会(都議会
の教育部門担当委員会)を傍聴する機会があった。はっきり言って絶望した。
多くの議員は大学に無理解で、都行政の政策に賛同するだけであった。一部に
は、真実を見つめて都行政を批判した議員もいた。これはイデオロギーとかそ
ういう問題ではなくて、「人間性」の問題ではないかと思った。今度、都議会
議員選挙があるらしい。都行政の失策に無批判な候補には落選してもらいたい。

 都庁を手厳しく批判できないマスコミも悪い。下手に批判すると記者クラブ
にいられなくなるから批判できないんだろう。日本の教育の将来を考えれば、
この事件は「大事件」であったはずなのに、大々的に取り上げたマスコミはな
かった。結果として都民の関心は得られなかった。結局、ここが日本の民主主
義の限界である。

 母校を守れなかった同窓会(旧・八雲会)に存在価値はない。この事件が起
きてから、教員・学生が反対運動を起こしても、新大学名を「東京都立大学」
にして欲しいという以外、同窓会は一切の運動を起こさなかった。その唯一の
要求すら実現しなかった。母校を守れなくて何が同窓会だ。多くの同窓生は同
窓会に失望した。もう同窓会が都立大同窓生の心の拠り所になることはないだ
ろう。

 それでもまだ都立大の復活に希望を持っている人たちがいる。まずは大学の
制度を変えなければなるまい。私立大学ですら学長を教授会選挙で選ぶことが
多いのに、首大の初代学長は都知事の指名だった。これからあるべき制度に変
更する必要があるだろう。悪夢の「首都大学東京」の名称も早く変えて欲しい。
未来への希望は持ち続けたい。

 図に示したのが、首大シンボルマークである。首大ホームページには、「4
つの大学がひとつになったことを意味すると同時に、分割線である水平線と垂
直線の交差点を、外形の長方形でトリミングしているところでもあります…」
との解説がある。旧都立4大学の価値を否定して、「新しい大学」として設置
された首大のシンボルマークが4大学を示しているというのは皮肉としか思え
ない。それにしても、黒とグレーの色彩は、首大の未来を暗示している気がし
てならない。

(河井相模)