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新首都圏ネットワーク

『文部科学教育通信』2005年5月23日号 No.124
 
連載 知識社会化・グローバル化時代の高等教育システム 28
国立大学の法人化から一年
筑波大学教授・大学研究センター長 山本眞一

 ■有識者二人の見解を読む

 四月二十五日と五月二日の二回にわたって、日本経済新聞の教育欄では「国
立大学の法人化から一年」というテーマで、二人の有識者に総括を依頼し、そ
の論評が記事になった。二人の有識者というのは、前東京大学総長の佐々木毅
氏と国立大学財務・経営センター教授の天野郁夫氏である。まず二人の論評を
簡単に紹介すると次のようになる。

 佐々木氏は、学長としてだけではなく国立大学協会の会長としてこの問題に
関与してきたという立場から、所感・課題を三点に分けて述べている。第一は、
法人化のツメと実行が極めて短時間で行われたため、細部に目が行き届かなかっ
ただけではなく、文科省の所掌を超える事項、例えば予算のあり方について大
きな課題が残ることになったとしている。「国立大学法人の経営にとって最大
の不確定要因は政府ということになった」という皮肉は、まさにこの間の事情
をよく物語っている。

 第二には、国立大学法人側の取り組みの問題として、法人化の制度定着のた
めの作業(佐々木氏はこれを「インフラ整備」と表現している)に多くのエネ
ルギーを割かざるを得なかったこと、また、今年六月に明らかになる各法人の
決算が、今後の経営再検討や改革のステップとなり得るであろうことを述べて
いる。第三には、これまで事務局幹部職員の全国異動に文科省が人事面で関与
してきたが、その関与は弱まる方向に作用するであろうこと、大学によっては
職員の直接採用を開始していること、など事態は着実に動いていることが紹介
されている。職員人事への学長の裁量の問題は、学長ならではの関心事であろ
うことが窺われる。

 一方、天野郁夫氏も三つの課題を挙げている。第一は、大学の運営体制が学
長や役員会のもとで従来とは異なる仕組みでスタートしたが、これと従来の慣
行とをどう調整していくのかが大きな課題であるとしている。教育研究活動の
現場である部局の事情を執行部がどのように汲み上げ運営面で反映させていく
のか、これを天野氏は「本部で会議に明け暮れる役員」と紹介しているが、ま
さに本質をついているようである。

 第二には、財政面での大きな変化があったが、運営費交付金の削減や新たに
表面化してきた全学的な費用の増大という状況の中で、教育研究活動の最低限
の必要額をどう設定し確保していくのかが重要であるとしている。第三には、
大学間の物的・人的ストックの格差を拡大させることは、総体としての国立大
学法人の地盤沈下をもたらしかねないので注意すべきことが述べられている。
「文科省の責任はこれまで以上に大きい」と天野氏が指摘しているのは、法人
化に伴う経営責任が各大学にあるのと並行して、大学という国民的資産を守り
育てる責任が政府にあることを再確認させる点で重要である。

 ■大学と政府との関係の実態はどうか

 さて、二人の有識者の意見を通じて考えさせられるのは、法人化の当初の意
図と一年後の実態との食い違いである。二人が共通して指摘しているのは、第
一に大学の経営上の自主自律と政府の関与や責任との関係、第二に学内におけ
る経営体制と教育研究との関係である。

 第一の問題については、法人化の議論の段階から本当は問題であったのだが、
大学関係者の一部はこれを国立大学の自主自律のための好機と解釈し、また文
科省もこれを大学改革推進の重要施策と捉え、法人化を是認したのであった。
しかし、佐々木氏が批判するように「投資を減額し、しかも法人の自由を規制
し、その上で経営を向上させよ」という政府の姿勢は、まぎれもなく行財政改
革の一環としての法人化の本音である。この部分が持つ法人化の負の効果を和
らげるためには、天野氏が言う「科学技術立国や知識基盤社会を目指すわが国
の国民的な資産」としての国立大学を育てるという政府や関係者の覚悟が必要
である。

 大学の経営効率化は必要かつ重要なことではあるが、それは良質な教育研究
を実施するための手段であって、経営効率化自体が目的であってはならない。
数字の上での経営効率化が達成されたとしても、その背後にある教育研究イン
フラが損なわれてしまっては元も子もないのである。しかも後者の損失は中長
期的視点で見ないと分からないから、当面は誰も責任を取らないのということ
になり、要注意だ。

 その意味で、最近マスコミが「大学生き残り」という用語を連発するのも気
になる。生き残りのためには、本当は大したことがない中身に厚化粧をして世
間にアピールすべしというニュアンスを感じるのは私だけであろうか。とりわ
けコスト意識がややもすると希薄になりがちな国立大学が、なりふりかまわず
「生き残り」と称して武士の商法的ながんばりを見せようとすればするほど、
国立大学本来の役割・使命とは異なる方向に迷い込みはしないかと心配である。

 ■学長・役員の役割に期待するものは何か。

 第二に学内における経営体制の問題がある。佐々木氏も天野氏も、国立大学
の経営体制が大きく変わったことを認めておられる。学長や役員などの執行部
の役割に関しては、二人の見解はやや異なるようであるが、これまでの部局自
治にもとづく大学運営に何らかの変化が起きていることは間違いあるまい。問
題はその執行部の役割にあると私は思う。

 このことと関係して、私は以前この連載で、法人化後に起きるであろう新た
な競争関係とくに学内における異分野間の競争ということを取り上げたことが
ある(本連載平成十五年三月十四日号)。つまり、大学としての統一性を保ち、
他大学との競争を勝ち抜くためには、これまで学外での評価にゆだねられてい
たような案件まで、まずは学内で収めなければならなくなるであろうこと、そ
れが学内政治の横行を促しはしないかという心配を書いたのであった。

 私が思うに、執行部の役割は経営の舵取りではあるが、それは企業のように
トップダウンでは大学は収まらないであろう。専門職集団の特性をうまく活か
すには、ボトムアップの要素を大幅に取り入れる必要がある。つまり執行部の
役割は、部局や所属教員を「管理」するのではなく、彼らの活動を「支援」す
るところにあるのだと考える。現場の見えにくい役員が、大学経営の責任を果
たすには、現場の事情や教職員の意見をよく聞いて、それを踏まえて全学的に
判断するしかないであろう。

 いずれにせよ、国立大学の法人化から一年が経過し、大学運営の変化がよう
やく教職員に浸透しつつある。一般的に見て、大学関係者は事態の変化にきわ
めて真面目に対応しようとしている。

 学内には、これこれの新たな方針が文科省から出たとか、このような競争的
資金の募集があるので応募するようにという類の文書やメールが、以前に増し
て頻繁に飛び交うようになった。真面目に対応しすぎるあまり、能力が追いつ
かず、大学の本来の役割や責任を見失いはしまいかと心配である。

 教職員に大学本来の役割や責任を見失わせないためにも、大学執行部は雑用
と憎まれ役を進んで引き受けるとともに、文科省は国立大学の知的資産を守り
育てるためのきわめて重い責任を果たすべきである。