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新首都圏ネットワーク


『陸奥新報』社説 2005年3月18日付

授業料値上げに見合う弘大に


 弘前大学が二〇〇五年度から授業料を値上げすることになった。国立大学の
年間授業料の目安となる「標準額」の引き上げに伴うもので、弘大としては大
学運営のためにやむを得ない判断だったに違いない。

 国立大学の授業料はこれまで全国一律だった。それが〇四年四月の法人化後
は、各大学の判断で定めることができるようになった。

 法人化によって、授業料以外にも各大学がそれぞれの特徴を生かしながら個
性ある運営ができるようになった。大学変革に期待が膨らんだ法人化スタート
だった。

 しかし、一方では目安である標準額の引き上げに対して授業料を据え置いた
場合、国からの運営費交付金が減るなどの現実が横たわっており、その厳しい
局面の中で、各大学は国が示した授業料値上げに従うかどうかを検討してきた
のである。

 大学としては値上げしないとその減収分はほかで補わなければならない。昨
年法人化されたばかりの大学に、すぐさま収入を上げるすべや値上げしないで
現レベルを維持する体力があるとは思えない。だからこそ、多くの大学が不本
意ではありながらも標準額通りの値上げに踏み切っているのだ。

 標準額改定に対し、弘大、岩手大、秋田大とで構成する北東北国立大学連携
推進会議が三学長連名で反対声明を出した。しかし、政府予算案が閣議決定さ
れ、授業料標準額の改定が決まった。

 あとは弘大がどう判断するかだったが、役員会、経営協議会、教育研究評議
会や連絡調整会議で協議し、教授や学生の意見も聞きながら授業料を値上げす
るか、据え置くかなどを検討してきた。

 弘大が授業料を据え置くと約一億円の減収となる。学内五学部でみると、各
学部二千万円の予算がなくなる計算になる。これに加えて運営費交付金の配分
も推定で約八千五百万円の減収が見込まれるといい、このままでは到底、健全
な大学運営ができない。そのような判断で、弘大も授業料の値上げを決めたの
である。

 予算が少なくなった場合、最も削られるのが研究費だという。支出を抑制す
るため研究費が削られれば、大学の存在意義が希薄になりかねない。そういう
意味でも授業料の値上げはやむを得ないものと理解したい。

 しかしながら、遠藤正彦学長も説明しているが、国立大の存在してきた意義
を思うと、国立大の授業料はもっと低額であるべきだった。国は、国立と私立
の格差を是正するため、国立の授業料をほぼ二年ごとに上げてきたが、国立は
本来もっと安い授業料にすべきであったと考える。

 今回の値上げは一万五千円。年額で授業料が五十三万五千八百円となる。学
生生活全体でみれば、保護者はさらに出費がかさむため、値上げは相当厳しく
受け止められるだろう。

 だが、弘大に対する地域の期待は大きい。弘大の研究が地域や行政に貢献し、
学生は地域と共に歩む大学で人づくり教育を受ける。

 期待に応えるため、弘大は運営費交付金依存の体質から脱却を図らなければ
ならない。十分認識しているとは思うが、あえて指摘しておきたい。