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新首都圏ネットワーク


『文部科学教育通信』2005年2月28日号No.118

教育ななめ読み65「適正価格」
教育評論家梨戸茂史

 来年度の国立大学の授業料がようやく決まる。平成十六年度は、全大学が標
準額のままだった。ともかく法人化を無事出発させなければならないというこ
とで他の課題は吹っ飛んでいたわけだ。平成十七年度の授業料は、各大学がバ
ラバラに設する初年度になる。

 国立大学の四年制は八三大学ある。二月上旬で、標準額以外の決め方をした
のが六校。内容は、大学院のみ・前期のみ・博士課程のみの据え置きが各一校、
専門職大学院の一〇%アップが一校、二年かけて標準額にするのと完全な据え
置きが各一校。一方、標準額への値上げを決めたのが約八割で残りは未定だが
多分値上げ。「みんなで渡れば恐くない」方式。

 国会で審議中の予算案では、授業料の標準額が一万五千円値上げされること
が決まっている。法人化した国立大学は標準額の一〇%まで値上げできるが据
え置きや値下げも可能。ただしこれはあくまでも政府案段階。多分三月か四月
に国会で決まるのだから手続き的にもややこしいし決定時期も微妙なところ。
予算の正式な決定前だから国会軽視という非難もある。おまけに募集要項に書
かずに受験生への周知がなっていないとしかられる。

 ところで授業料と入学金とも改定がなかったのが昭和六十年。両方とも改定
されたのが平成元年。その後一昨年までは交互に値上げ。今年授業料が値上げ
された形だから次の年は入学金の値上げかも。多くの大学が値上げを決めたの
は、運営費交付金が削減される中、授業料収入を考慮しなければ大幅な予算不
足になることを懸念したことが背景。構造的にも、自己収入が増えれば運営費
交付金が減る仕組みが悲しい。

 さてこの授業料たるものどうやって決まるのか。勝負は昨年十一月十九日の
財政制度審議会の「平成十七年度予算の編成等に関する建議」。財政健全化が
基本方針だから、高等教育では「…国立大学法人への支援等について、これま
での施策の在り方を根本から見直す必要がある」とし、授業料について「…受
益者負担の徹底、私立大学との格差是正及び各大学における自己収入確保の努
力を支援する観点から、運営費交付金算定の基礎となる学生納付金の標準額を
適切に改定する必要がある。」と書かれた。一般に、大学卒業が医師など高収
入の職業につながるとしたら「受益者負担」論も出てくる。昔の国立大学の授
業料は安かった。私立と五倍以上の差があった時代から一九八〇年には二倍ま
でに縮まってきた。この一〇年間はおおむね一・六から一・七倍というところ。
しかし文系大学院の経費は国立も私立もほとんど差がない実態もある。もっと
も明治のころ帝大の授業料が二五円でこれより高かったのが慶應義塾の三〇円
だけだったそうだから国立が安いのは歴史的に正しくないのかも。学生負担が
低い前提には「国立」の意義があるはず。授業料が安ければ、貧しい学生にも
高等教育の機会が与えられる。国立大学の特に大学院はわが国の学術研究と研
究者養成の中心になっている。おまけに学問間の均衡に配慮しながら人材養成
も行っているし、大学の配置も全国的にバランスをとって地域の活性化や学生
の進学機会の確保にも役立ってきているといえる。

 しかしである。では果たしてその授業料はいくらならいいのか。限りなく低
ければ良いのだろうか。低ければ学生がたくさん集まるわけでもあるまい(と
は思うが、据え置きの佐賀大学の試みを注目したい)。一方私立大学より高く
なってしまえばいかに国立といえども一部を除けば学生が集まらなくなる可能
性もある。さて、どこに授業料の「適正」な金額を見出せばいいのだろうか。