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新首都圏ネットワーク


『毎日新聞』夕刊 2005年2月26日付

キャンパる:国立大学法人化から4月で1年 変化は看板だけ!?

 ◇「学生はお客さま」の思い、徐々に

 わがお茶の水女子大の正門の看板が「国立大学」から「国立大学法人」へ変
わった−−全国の国立大学が国立大学法人となって4月で1年、私が感じた変
化はそれだけだ。大学のサービスの質が向上したとも思えない。授業料値上げ
話も流れる中、何のための法人化だったのだろうか。各大学の取り組みを聞い
てみたが、底流に変化の兆しが感じられた。【お茶の水女子大・竹内冬美、写
真も】

 法人化で大学が経営に責任を持つようになったということは、極端に言えば
大学がつぶれることもあり得る。一学年たった500人と小さいお茶の水女子
大に未来はあるのか、本田和子学長(74)に「女子大として存続する意義は
なんですか」と入学時から疑問に思っていたことを質問した。

 「少子化で(労働力人口が減る中)、女性人材をどう生かすのかが重要な課
題です。良い製品として社会に送り出せるように女性を本気で育てていくのが
女子大の役目・意義です」

 実際、育児中の教員が研究の時間を確保できるよう会議や授業を減らすなど
個々の希望に合わせ対応しているという。本田さんがお茶大で初の女性学長だ
と聞いて驚いた。女性教員の数が44%と日本一ではあるが、「本当は50%
でなくてはいけない」と本田学長。

 キャンパス内の子育て支援施設「いずみ保育園」は保育士さんらに支えられ、
好評を得ている。また女子教育支援として、奈良女子大、日本女子大、東京女
子大、津田塾大と提携してアフガニスタンから女性リーダーを招き、研修を行っ
ている。

 「今までお国任せだった国立大学が緊張感を持ち、個性を出すよう努力すれ
ば、法人化も悪いことばかりではない。本学は少人数を生かして丁寧な指導が
できるのが強み。お客様である学生に快適な教育環境を与え、魅力を発揮して
いきたい」と本田学長。授業料値上げ問題については「値上げはよくないが、
値上げしなかった場合経営がかなり苦しいからやむを得なかった。ただし別な
形の学生の支援方法を工夫して勉学環境を充実させたい。例えば奨学金など」
と話した。

 学長は私に「ここは嫌だなというところを教えて」と聞いてきた。学生主体
の大学づくりをしよう、という思いが伝わってきた。今年度で任期を終えるが、
女子大の未来は暗くない、と心が少し軽くなった。

 ◇授業料据え置きや公務員講座開講も

 埼玉大は、国際化時代に対応するため、今年の入学生からパソコンを使った
必修の英語の授業を実施。学生全員にノート型パソコンの購入を義務付けた。
経済的に困っている学生には貸与する。また、昨年度から大手予備校と提携し
て公務員講座を学内で開いている。1年生のうちは自由に講義を取れるように
し2年目から学部を選択する−−という案が出されるなど改革を進めている。

 国立大学の多くが授業料値上げを打ち出す中、佐賀大は据え置きを決定した。
受験生の出願時期までに金額が公表できなかったことなどが理由。約1億円の
減収となるが、管理的経費の徹底的な削減で対応する。同大は地方大学ならで
はの特色を生かした大学づくりを目指す。具体的には、有明海の再生・環境保
全に向けたプロジェクトを始めたり、農学部の学生が住民と協力して放置され
た棚田の復田作業を行っている。

 ◆大学人はこう見る

 ◇狙いは大学つぶし−−東京大教養学部・野村剛史教授(53)の話

 来年度予算で国立大学への交付金0・8%減というのは、一般歳出の削減割
合(0・7%)より大きい。なぜ国立大学のほうが多く削られるのか。地方活
性化になくてはならない大学を統廃合へと追いやる政策。効率だけを考えて多
くの大学をつぶしてしまおうというのだろう。官僚、政治家たちの都合の良い
ように教育がコントロールされていってしまうのが一番問題だ。当の学生は甘
えているように見える。巧妙な仕組みは自覚しにくいところがあるけれど、そ
れを見通して批判していくのが大学人の役目ではないか。

 ◇無駄な仕事増えた−−東京外国語大外国語学部・岩崎稔助教授(48)の話

 大学法人化は、一見各大学に自由を与えるように見えて、実は教育が商品化
され国の責任がなくなっただけ。私たちは多様性のないサーキットの中をいか
に速く走るか、が求められている。法人化で異様に煩雑な中期目標、中期計画
の作文提出が義務付けられるなど教員の仕事が急に増えた。研究や授業の時間
を削って、いかにきちんとやっているかをアピールするための書類作りで、無
意味だ。実務教育ばかり重視した政策も問題。ITやナノテクには巨額なお金
が投資される一方、人文科学、社会科学分野を軽視している。