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新首都圏ネットワーク


『朝日新聞』2005年1月19日付

 私の視点

 東京大学大学院理学系研究科長・理学部長 岡村 定矩(おかむら さだのり)

 ◆国立大学授業料 値上げは再考すべきだ

 昨年末、閣議決定された05年度政府予算案には、国立大学の年間授業料の
目安になる「標準額」を今年4月から1万5千円引き上げて、53万5800
円とすることが盛り込まれた。たかが3%との見方もあろうが、高等教育に対
するこの国の姿勢を憂慮せざるを得ない。再考すべきだ。

 過去40年間の国立大学の学費の推移を見ると、76年度に「大転換」があっ
た。それまで授業料と入学金は低い水準だったが、同年度から毎年交互に引き
上げられるということになったからだ。両者を合わせた初年度の納付金は、そ
れ以後20年間、ほぼ年額3万円ずつ増加し続けてきた。

 消費者物価は93年ごろからほぼ横ばいになり、98年からは下降している
にもかかわらず、初年度納付金は右肩上がりの増加を続けているのだ。今回の
引き上げはこの延長線上にある。

 76年度の大転換の背景には、受益者負担論と私学との格差是正の声があっ
た。だが、教育の成果を個人の利益に結びつける受益者負担論が強調されると、
社会のモラルがそこなわれる。

 「いい大学に行って、いい会社に入りなさい。勝ち組にならなければだめよ」

 この言葉の背景には、教育の成果を国の将来に役立てようという発想はない。

 東大が実施した03年度の学生生活実態調査によると、アパートなどに住む
東大の学部学生の生活費は、月額約16万円。現行の授業料の月額は4万34
00円なので、生活費に占める授業料の割合は27%になる。私が大学に入学
した66年は授業料が月額千円、生活費は約2万円で、その割合は5%にしか
過ぎなかった。

 約40年間に、消費者物価指数は3倍になったが、授業料はなんと、43倍
にも跳ね上がったのだ。

 標準額の引き上げが実施され、多くの国立大学法人が、経営上の観点から実
際に授業料を引き上げれば、約30年前に始まった値上げが、今後も延々と続
くことになるだろう。

 高等教育は受益者の負担が当然として、学費が上がり続ければ、いずれは教
育の機会均等をも脅かすレベルになろう。いや、既になっているかもしれない。
家庭の経済状態によらず、能力によって進学できる一定の枠を義務教育ばかり
でなく、高等教育にも保障することは、国の発展に必須のことではないだろう
か。

 大学院生に与える影響は特に深刻だ。理系の大学院では教育と研究は一体で、
院生は学ぶ立場であると同時に、研究の遂行に不可欠な役割も果たしている。

 このため、先進国の大半の大学院では、奨学金や授業料免除などで、院生の
学費負担が事実上ほとんどない仕組みを作っている。留学生向けの優遇措置を
備えたところも多い。

 日本だけが、博士課程も高い学費が必要なのに、それに見合う奨学金などの
制度が十分ではない。こうした現状を放置しておけば、優秀な学生は日本の大
学院には行かず、お金のかからない外国の大学院に流れ始めることだろう。

 例えば、旧日本育英会の奨学金事業を引き継いだ日本学生支援機構の奨学金
返還免除制度を思い切って廃止し、それに充てている財源で奨学金の支給枠を
増やすのも一案ではないか。

 研究者の頭脳流出が言われて久しいが、研究者の卵である学生まで流出する
ようになっては、「科学技術立国」など、とてもおぼつかない。それが杞憂に
ならないことを願うばかりだ。