国大協は、運営費交付金削減補填のための授業料値上げに反対し、来年度大学関係予算案の組み替えを要求すべきである

2005113日 国立大学法人法反対首都圏ネットワーク事務局

 

本日の臨時理事会は、運営費交付金削減と授業料値上げ強要を内実とする2005年度大学関連予算政府案が提示されているという事態の中で、「文部科学省から詳しい説明を受けるとともに、今後の対応を協議する」(20041224日付「国大協企画第125号」)ことを目的に開催される。既に各大学には昨年のうちに削減された来年度運営費交付金が内示され、教育研究の現場を担う教職員のなかでは大学崩壊の危機感が拡がっている。一方、大学を構成するもう一つの主人公である学生、院生諸君には、運営費交付金削減を補填するものとして授業料の値上げが強要されようとしている。しかし、少なくない大学で、学生諸君に対して「来年度は授業料の値上げは行わない」と確約しているのである。大学経営に責任を負う学長諸氏は、学生・院生の信頼に応えるのか、それを裏切るのかの瀬戸際に立っていることを自覚しなければならない。

国立大学法人法に基づく法人化が行われてから9ヶ月、今、全国の国立大学は大学経営の基礎となる財政と、教育研究遂行のこれまた基礎である学生・院生諸君との信頼関係という2つの基盤において、まさに存亡の危機に立っていると言って過言ではない。本日の臨時理事会が、この困難な事態を主導的に打開する道を選択することを切望する所以である。そのために、以下の諸点にわたって真剣な議論がなされることを期待したい。

 

1.来年度政府予算案は国立大学に予算削減を集中している

来年度予算案をつぶさに分析すると、国立大学に対して集中的に犠牲を強いている状況がわかる。3つの事実を指摘しよう。

第1に、運営費交付金削減率0.8%が一般歳出削減率0.7%を上回っていることである。

第2に、国立大学等(89国立大学法人+4共同利用機関)の運営費交付金の削減が全体として98億円であるというが、内訳をみると89国立大学法人が123億円余の減額、4共同利用機関は25億円弱の増額となっている。

第3に、大学関係の施設整備費は、今年度に対して124億円減、率にして実に24%減であるが、文科省における公共投資関係費は8%減に留まっている。

 

2.授業料値上げへの依存は、大学を蝕む阿片吸飲の道である

政府が大学に予算削減を集中しているのは、運営費交付金削減を授業料値上げと病院収入2%増収見込みで補填できると考えているからである。だがこの方針を受け入れることが、各年毎の効率化額・経営改善額に対応して間断なき授業料値上げと、付属病院のなりふり構わぬ利潤追求を招くであろうことは想像に難くない。それは、“教育研究費確保のためにやむを得ない”と言い訳しつつ授業料値上げという阿片を吸うことを意味する。この阿片は大学の身体をむしばみ、その崩壊を導くだろう。

このような予算案と授業料値上げを大学に強要しながら、「最善に近い予算」と胸を張る文科省の態度は許し難いと言わねばならない。しかも、文科省は、あろうことか授業料値上げの説明責任を各大学に押しつけている(昨年12月22日付国立大学法人支援課長「事務連絡」)。「文部科学省から詳しい説明を受ける」(前掲「国大協企画第125号」)ことが臨時理事会の目的の一つであるのであれば、文科省への厳しい追及こそ求められよう。

 

3.拡がる授業料値上げ反対の声を真摯に受けとめねばならない

 12月8日に国立大学協会が意見書「国立大学関連予算の充実について」を提出したのち、全国の大学では、中四国10大学長の声明(鳥取大学のウェブページを参照)、北東北3大学長の声明(秋田大学のウェブページを参照)、東京11大学長の声明(新首都圏ネットのウェブページを参照)などが出され、授業料の値上げを再考すべきとの声が高まっている。とりわけ地方大学では、「これは大学の問題であるとともに、地域の将来につながる問題。経済格差が高等教育の機会均等を奪いかねず、危機感を覚えている」「一度引き上げが容認されれば今後も引き上げが起こるかもしれない。そうなると地方と都会の差がますます大きくなることを懸念している」(平山岩手大学長『盛岡タイムス』2004年12月21日)との声が強い。授業料値上げは何よりも地域の「知のサイクル」の破壊につながるのである(中四国10大学長声明など)。授業料値上げを通じた運営費交付金の削減は、競争的資金へのシフトをもたらし、「大学の死活に関わる基盤的教育研究経費の維持は不安定とならざるを得なく、全体として基盤的経費の減額が予想されます」(長谷川佐賀大学長の年始挨拶)という状況が現実のものとならざるを得ない。尾池京都大学総長が、「今回の改訂は決して容認できることではない」(新年名刺交換会挨拶)と強く授業料値上げを批判し、「今年最悪の知らせ」とまで述べていることは、国立大学法人法の本質と国立大学の存立意義に関わる問題であることを示している。

また、各国立大学はこれまで、授業料の据え置きを学生に対して約束してきた。一橋大学、東京大学教養学部、名古屋大学、信州大学をはじめ、多くの大学で授業料据え置きを言明してきたことは、受験生、在学生、保護者に対して国立大学がその約束を果たす責任を負っていることを意味している。国立大学は、学生から「大学人としての真摯な対応」を求められているのである。国立大学は、不況にあえぐ次のような声にどう応えようとするのだろうか。「給料、ボーナスの減額で子どもの大学進学を断念しようと思ったが、親の責任と思い進学させた」「自営業で不景気のために思うように学費が工面できない」(国民生活金融公庫の調査『読売新聞』1月11日)。裕福家庭出身者多数といわれた東大でも、年収額は950万円未満が50.8%。半数を超え、入学動機のトップが「私大に比べて授業料が安いから」となっているのである(「第53回東大学生生活実態調査」

 

4.通常国会に対して来年度大学関係予算案組み替えの要求を行うべきである

来年度政府予算案のこのような内実は、直接的には運営費交付金制度が「収支差額補填方式」から「総額決定・各種係数による逓減方式」に変更されようとしていることに起因する。しかし、重要なことは、今提示されているのは政府予算案に過ぎず、予算を審議し、決定する権限はいうまでもなく国権の最高機関たる国会に存在することである。国大協にとって必要なのは、政府予算案への「今後の対応」のために右往左往することではない。まず第1に、昨年12月8日の臨時総会の確認に立ち戻り、改めて授業料値上げに反対する明確な意思表明を行うこと、第2に、最低限授業料値上げ分の運営費交付金増額の予算組み替え要求を21日開会の通常国会に対して行うこと、そして、第3に、その組み替え要求実現に全力をあげることである。国大協理事会がそうした方針を確立するならば、教職員、学生・院生は合流し、ともに全力を尽くすであろう。

広く国民の支持を得て予算組み替えが実現するならば、「総額決定・各種係数による逓減方式」からの離脱、すなわち運営費交付金制度の抜本改革の道へと進むであろう。それは、今日の困難をもたらした国立大学法人法体制からの脱却と、国立大学の新たな前進の準備へと発展するに違いない。