トップへ戻る   以前の記事は、こちらの更新記事履歴
新首都圏ネットワーク


『内外教育』第5525号 2004年12月3日

■ひとこと
《米百俵の精神が嗤(わら)う》      
                   日本国際教育支援協会理事長 福田昭昌



 越後長岡藩の小林虎三郎の米百俵の精神の尊さは、今日の窮乏生活に耐えて、
ただに明日の経済発展を期したことにあるのではなく、財政、経済が壊滅した
中で、目前の経済活性化や生活救済に益しない教育に投資を向けた興学興国の
志にある。

 明治新国家発足時の学制頒布も、先の大戦時、敗戦を1年前にしての大日本
育英会の設立も、敗戦直後の国家再建に際して実施された義務教育延長等の学
制改革もまた、きょうの衣食住に事欠く社会の大混乱と財政、経済の破綻(は
たん)の中、この精神に立ってなされた先人の偉業である。

 現在は逆に、学校の教育研究に収益性を求め、これを金もうけの餌食とする、
国の責務と公共観念放棄の時代。株式会社立の学校、すなわち、株主に配当す
るほどの利益の出る授業料ならば、それを下げるか教育研究条件の充実に向け
よう、とは考えない公共心薄き商業主義。大学をして企業の利益や経済の活性
化にすぐ役立つ研究機関たらしめんとすること急な経済的有用性中心主義。校
地、校舎は売り飛ばすためのものならずとも、地方の土地が安価で文学部や単
科大学の土地建物が小なるは罪ならずとも、校地校舎の評価額をもって大学の
財政力をランク付けする経済価値と単一数値信仰の評価主義。国民の祝日を、
祝日の意義とは無関係の、経済活性化を目的とした三連休確保のための休日に
変質せんとする経済価値独尊主義。振興さるべきは、経済産業に即効の技能・
技術の訓練、利益や成果を生む研究、収益を上げ得る文化。これすなわち、貧
すれば鈍すの心。

 かつて、国家社会のありようを専ら軍事の面から見る者たちによってリード
された軍国主義国家の時代あり。今はまた、経済的価値・効率性を唯一の価値
とする経済至上主義国家の時代。価値観多様化の社会にあらずして、経済至上
主義なる単一の価値観の社会。

 「社会の光輝は、科学、文学、芸術、教育から生まれる。人間をつくれ、人
間をつくれ」(佐藤朔訳「レ・ミゼラブル」より)