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新首都圏ネットワーク


『毎日新聞』2004年9月10日付

理系白書’04:成果で社会貢献 特許戦略に本腰−−奮闘する研究者


共同研究を打診してきた地元企業と初打ち合わせ。「山口大の取り組みが、だ
んだん浸透してきた」と古川浩平さん(右から2番目)=山口TLOで、元村
有希子写す

 ◇国立大の法人化で加速

 国立大学が、4月の国立大学法人化を機に、特許戦略に本腰を入れ始めた。
法人化で「経営体」としての仕組みが導入され、頑張った大学や研究者個人に
は、特許の相応の見返りが渡るシステムが整ったからだ。「論文を書くための
研究」から一歩踏み出し、成果を社会に生かそうと奮闘する研究者。知の財産
を、生み(発明)、守り(特許)、育てる(利用)拠点として、大学は生まれ
変わるだろうか。【元村有希子、永山悦子、西川拓】

 ▽山口大

 山口大工学部(山口県宇部市)の古川浩平教授(58)=社会建設工学=は
昨年、顔写真入りの名刺を初めて作った。「顔、覚えてもらうためです」。土
木工学者ではなく、有限会社「山口TLO」の取締役としての顔だ。昨年は1
60日も出張し、企業などに山口大の研究の売り込みに回った。

 TLO(技術移転機関)は、大学を基盤に作られる「半学半民」の別組織。
大学での発明を特許にし、企業などに使ってもらう橋渡し役になる。

 古川さんが「報酬なし、出資はしても配当なし」という条件でTLO取締役
の兼業を引き受けて2年。ほかに3人が教授と取締役を兼業する。実績は右肩
上がりだ。今年度は、8月までに20件の技術移転をまとめた。ライセンス収
入は1000万円を超え、5カ月で昨年度1年分(1139万円)に迫る勢い
だ。

 古川さんが特許に目覚めたのは3年前、学内の特許相談会。冷やかしついで
に自分の研究成果を「こんなんでも特許になりますか」と聞いてみた。目の前
の弁理士は即座に「なりますよ」。「へえ、と思いました。研究者として育ち、
特許は別世界の話でしたから」

 以来、古川さんは8件をTLO経由で出願。大雨による土砂災害の危険度を
斜面の特徴に合わせ算出する手法など、全8件が17社に移転され、合計13
52万円の6割が古川さんと共同発明者(個人と研究室)に還元された。

 TLOは全国で37組織あるが、実は、経営はどこも厳しい。国の補助金な
しでも黒字経営というTLOは、1割あるかないかだ。その中で山口TLOは
かなり好調だ。秘けつを聞かれれば、古川さんは「教授が率先して営業するこ
と」と答える。「地方大学は知名度は低いし地の利も悪い。それでも教授は必
ず学会に行く。そこで営業するんです」

 学内の教授たちには「学会発表の前に特許出願を」と口説いて回る。「論文
書いてこそ研究、という気持ちは分かるけど、そこに価値をつけて社会に使っ
てもらうことも大切」。目下の目標は、設立5周年を迎えるTLOの独り立ち
と教員の意識改革だ。

 ▽北海道大

ヒト抗体を使った製薬でベンチャーの事業拡大を目指す高田賢蔵さん(左端)
と守内哲也さん(中央)=北海道大で、永山悦子写す

 北海道大遺伝子病制御研究所の高田賢蔵所長(59)の初めての特許は、9
4年に取得した、がんの原因ウイルスの増殖に関する技術だった。

 出願は企業にゆだねた。その方が実用化が進むと考えたからだ。だが、実用
化されることなく成果は死蔵。この体験が昨年1月、自分の特許を基にした大
学発ベンチャー「イーベック」(本社・札幌市)設立につながった。

 イーベックは、国産のヒト抗体生産技術を持つ。抗体は生体防御の機能を持
ち、薬としても威力を発揮する。高田さんの技術を使えば、「製造コストの3〜
4割を占める欧米へのライセンス料」(高田さん)を省けるため、安価な製薬
が可能になる。もともとヒト由来の抗体なので、マウス由来の薬より安全だ。

 既に、臓器移植後の拒絶反応などを防ぐ薬に活用できる抗体を開発した。高
田さんは「利益を追求する活動に、研究にはない手応えを感じる」といいなが
らも「収益が見込めるのはもう少し先。役員は全員兼業で報酬もゼロ。経営が
分かる専業の役員を迎えるために、資金調達を急ぎたい」と表情を引き締める。

 この夏、研究所の同僚の守内哲也教授(56)が取締役に就任した。00年
9月、全国初の国立大学発ベンチャー「ジェネティックラボ」を起業した経験
が買われた。

 守内さんは起業当時、役員会で示される決算報告書を前に途方に暮れた。
「もうかっているのか、損をしているのかも分からない」。小樽商科大大学院
で2年間、経営学を学び、修士号も取った。

 ジェネティックラボはいま、従業員51人の企業に成長し、06年の株式公
開を目指す。そんな守内さんには、従来型の大学人の研究姿勢が物足りなく映
る。「論文だけでは紙の束。その厚さを競っている限り、せっかくの富も捨て
ているのに等しい。生かす方向を目指すべきです」

 ◇法人化と知的財産

 国立大の法人化と同時に、特許などの知的財産は「原則として大学が持つ」
ことになった。従来の特許は、教員個人が所有する以外は「国有財産」として
扱われ、収入は国庫に入っていた。法人化後は、大学が出願人(特許権者)と
なり、技術移転も大学が責任を持つ。収入は大学に入り、発明者(研究者など)
や研究室に分配する。作業は、学外組織であるTLOや学内の「知的財産本部」
が担当する。国は法人化後3年間は、大学にとって負担の大きい出願・維持費
用を補助する特別措置を設けており、これが大学の特許出願に拍車をかけてい
る。

 ◇研究との両立に悩みも−−「産学連携、社会の要請」

 湯川秀樹らノーベル賞学者を輩出し、「基礎科学」が看板の京都大も、特許
出願を急増させている。松重和美副学長(産学官連携・知財担当)は「以前は
大学への発明届け出が年に20件以下だったが、今は月に40件以上ある」と、
うれしさを隠さない。

 「あの京大さんが」と驚かれることも多いが、もともと大学が関与しない教
員個人と企業の共同出願特許は400件以上あった。「この財産を戦略的に活
用しよう」と京大は昨年「特許は原則として大学に帰属する」との方針を決め、
支援に乗り出した。

 これが数字に表れた。昨年度の特許出願件数は、国立大最多の131件。今
年4月以降は国有だった特許約200件を大学に移し、TLOと連携して売り
込んでいる。

 「産学連携は長い間毛嫌いされてきたが、大学の知識は世の中で使われてこ
そ価値がある。知的財産を大切にする姿勢は、企業の信頼にもつながる」と、
松重さんは強調する。

 だが、各大学とも学内の雰囲気は一枚岩ではない。特許戦略担当者には悩み
も多い。

 松重さんは、学内会議の席上で「学問はそういうものではない」などと批判
されたことがある。山口大の古川さんは知人から「論文書いとんのか。研究者・
古川は死んだんちゃうか」と言われ、落ち込んだ。

 世界の産学連携に詳しい原山優子・東北大大学院教授(科学技術政策論)は
「先進的な米国の大学でも、産業に直結するような発明はまれ。『特許でもう
ける』というのは幻想です。ただ、産と学の協働は社会の要請で、特許はその
呼び水になる。そこに意味がある」と指摘する。

 特許の強みと限界をどうとらえ、運営に生かすか。大学の戦略と手腕が問わ
れている。

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 ■データ・ナビ

 ◇人材難の「大学発ベンチャー」

 特許の価値が注目されるなか、大学教員が自ら起業する「大学発ベンチャー」
も増えている。特に国立大教官の民間企業役員兼務が解禁された00年以降急
増し、今年3月現在799社。今年度末には1000社に届く勢いだ。一方、
多くは苦しい経営状況に直面している。

 菊本虔・筑波大教授らが昨年度、647社の大学発ベンチャーを対象に実施
した調査(回答率35・9%)によると、直近の会計年度の経常利益は「0〜
100万円」が33%で最多。平均では「300万円の赤字」となった。

 ただし、前年度は平均が「5200万円の赤字」だったので、経営状況に改
善はみられる。経常赤字の企業は40%から29%に減少したが、菊本さんは
「経営は依然厳しく、特に資本金が尽きてくる設立後3〜5年の経営は非常に
苦しい」と指摘する。

 「現在の問題点」としては、「スタッフの確保」が30%で、「資金調達」
28%を上回った。菊本さんは「いい発明だけでは経営はうまくいかない。し
かし起業まもないベンチャーはリスクが大きく報酬も不十分なので、経営経験
のあるいい人材が確保できない」と話す。