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新首都圏ネットワーク


『東京新聞』特報 2004年8月13日付

信州大がベンチャー“退去”要請のワケ


 大学の研究成果の社会還元を待ちわびていた信州大学が、産学連携先の大学
発ベンチャー企業(VB)「感性デバイシーズ」に突きつけたのは、本社の早
期“学外退去”という苦渋の選択だった。背景には、国立大の独立行政法人化
に伴う大学発VBが急増、対応が追いつかない大学の苦悩もある。大学発VB
が設立わずか一年で、大学敷地内から本社移転を求められる理由とは−。 
(吉原康和)

 「信州大発ベンチャーとして、本学の血を社会に還元していただけるものと、
私どもも大いに期待に胸を膨らませていた。それだけに、伝わってくる内容と
のギャップの大きさに最初、『おや』と思った」

 小宮山淳学長は困惑を隠しきれない様子だ。同大は同社に文書で本社の学外
移転を求めている。

 異例の退去要請は、小宮山学長が大学の「イメージダウン」を懸念してのこ
とだ。発端は、同社の株式投資に絡む“醜聞” を伝える経済誌などの報道だっ
た。「大学発ベンチャーの乗っ取り劇」「宮入バルブ製作所の株価動向にSE
Cが重大関心」。こんなタイトルが付けられた記事が大学に送りつけられ、問
い合わせの殺到に、小宮山学長は「内容の真偽については分からないが、必ず
しも本学のイメージアップにつながらない。むしろ逆効果だ」と語調を強める。

 信州大によると、同社が産学連携の大学発VBとして設立されたのは昨年七
月。次世代の薄型表示装置でポスト液晶とされる有機LEDの研究などが専門
の繊維学部の谷口彬雄教授を中心に、発光装置の開発などを目的にスタートし
た。

■「大学内に本社」第1号で話題に

 二〇〇二年六月、国立大学の研究成果を活用した中小企業等に大学敷地の使
用が認められるようになったが、大学敷地を新規で使用する場合は文部科学省
の承認が必要だ。谷口教授の取締役兼業許可などの手続きもあって、実際に繊
維学部内に本店登記されたのは三カ月後の昨年十月。「大学敷地に本社を置く
大学発VBの第一号」(同大関係者)と話題となった。

 「(数学者の)広中平祐先生らと定期的に行っていた勉強会に谷口先生を講
師に招いて有機LEDについて勉強した際、話が盛り上がり、皆さんで出資し、
事業を展開しようということになった」

 同社設立のきっかけを藤原慶太社長はこう語り、広中氏について「出資者と
同時に、会社設立の発案者であり、会社の方向性や技術を含めてアドバイスを
頂く相談的な立場」と話す。

 既に同県上田地域の会社との共同開発により、動体視力を測る試作機も完成。
谷口教授は「簡便な動体視力計ができれば、車の運転能力の判定などに使え、
交通事故防止に役立つばかりでなく、運転免許場、学校の検診、動体視力を鍛
える家庭用トレーニング機など巨大市場が期待できる」とその意義を指摘する。

 本社を大学敷地内に置くことについても、谷口教授は(1)信州大での研究
成果を生かした事業展開(2)上田地域を軸に、この地域で事業発信できる−
などを挙げる。その上で「『信州大に本社があり、この地域で頑張ろうとして
いる会社』と、『東京に本社があり、谷口が手伝っている会社』とでは、話の
進み具合が全然違います」とメリットを強調する。

■学内施設使用は今後も容認方針

 小宮山学長も「研究はしっかりとやっていただいている。もちろん(学内に
ある産学官連携施設は)そのまま活用いただいて結構」と言うが、「ただ、会
社が発展し、支店が都内にあるならば、本社をそちらに移られたらどうか、と
申し上げた」と話す。

 大学側が本社移転にこだわる理由は何か。

 同社は信州大に本社を置くベンチャー企業であると同時に、LPG(液化石
油ガス)の製造メーカーで東証二部上場の「宮入バルブ製作所」(東京都中央
区)の大株主だ。藤原社長自身も今年六月末の宮入バルブの株主総会で役員の
一人に選任された。

 宮入バルブの今年三月末現在の株主名簿によると、感性デバイシーズは九十
四万三千株を保有。同社が保有する株は現金ベースで資本金の十倍相当に上る
とみられているが、設立当初の定款の事業目的には「有価証券の保有、運用」
がなく、定款に同目的が追加されたのは会社設立二カ月後。大学が把握したの
も今年五月だった。

 藤原社長は投資目的について「ベンチャーとして多様な事業展開をする資金
調達の一環であり、われわれが提案するプランを宮入バルブの技術を使って実
現する技術提携の手段として株式保有、運用を実施するために定款に追加した」
と説明する。

■「企業活動には口出しできず」

 小宮山学長は「そこは企業活動の一環でしょうから、私どもからは何もいい
ません」と言うが、別の大学関係者は「大学発VBは大学の研究成果の社会還
元が目的。世間のベンチャーに対する信頼も、大学の信用が根底にあるので、
資金調達のあり方もおのずから制限される。株式市場で株を買い占めて資金調
達するようなやり方は好ましくない」と指摘する。

■独立行政法人化生き残り策探る

 大学側が対応に戸惑うなか、大学発VBは急増している。経済産業省の調査
によると、昨年末の大学発VBは全国で約八百社で、十年前の八倍以上だ。う
ち今回の感性デバイシーズのように、大学で生まれた特許や技術などの研究成
果を基に起業したベンチャーは過半数の四百八十四社に上る。

 急増の背景には、大学などの研究成果を企業と協力して実用化に結びつけ、
新しい産業を生み出す政府主導の「産学連携」の国策がある。国立大側も独立
法人化後の生き残り策の“切り札”として期待する。だが、起業増加で今後、
知的財産権などをめぐるトラブルの増加も予想される。

 筑波大学産学リエゾン共同研究センターの菊本虔(ひとし)教授は「大学発
VBは玉石混交の状況で、今後つぶれていく企業も多く出てくる。その場合、
教員も含まれる出資者や外部の債権者との間に、トラブルが起きる。大きな利
益を上げた時でも、出資者である教員が社会的責任と個人的利益の板挟みとな
り、大学の対応が問われる」と予想する。

 ベンチャー企業に詳しい上海交通大学の八木勤客員教授は、大学側の危機管
理についてこう提言する。

 「大学の人材と研究は草刈り場となっており、利用しようとする人はいっぱ
いいる。出資者の教員に任せるのならば、米国のようにすべて任せる代わりに、
株式運用も含めてすべてオープンにさせるべきだ。それが嫌ならば、特許など
の知的財産をどう活用し評価するのか、帰属先も含め、産学協同の運用やトラ
ブル時の対応について、枠組みをきちんと整備すべきだ」

 【大学発ベンチャー企業(VB)】 大学教員や大学関係者、学生らが大学
の研究成果などを基に製品やサービスを提供する事業を目指した企業。経済産
業省の分類では、これら研究成果を基に起業した企業、大学と関係の深い外部
企業などがある。学内で本店登記する企業は珍しいという。経産省が2001
年に発表した「新市場・雇用創出に向けた重点プラン」(通称、平沼プラン)
では、「大学発の特許取得件数を10年間で10倍、大学発ベンチャー企業を
3年間で1000社にすることを目標」としている。