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新首都圏ネットワーク


『毎日新聞』2004年8月5日付

記者ノート:「東京大学銀行」 瀬川至朗


 夜になって飲み会の約束が急に入る。「いいよ」と受けたものの、手持ちの
金がないことが後でわかり、慌てることがある。最近は、コンビニにATM
(現金自動支払機)が設置されていて、店が開いていれば(そして口座に残金
があれば)お金を出せるようになった。以前と比べ、自由度が増し、困る機会
が少なくなった。

 大学などの研究においても、お金をある程度自由に使えることが重要だ。特
に理系の研究は、文系に比べてお金が何百万円、何千万円とかかる。新しい分
析装置などを「買いたいときに買える」ことがチャレンジングで、新鮮な研究
にとって決定的な要素となりうる。が、残念ながら日本政府が出している研究
費は、とても使いにくい代物なのだ。

 その一つが、1年のうちに研究費を使えない時期が存在することである。4
月から翌年3月までが一つの年度だが、多くの研究費は、新しい年度が始まっ
てしばらく経過しないと配分されない。しかし、その年度の研究費は、原則的
には年度内で使い切ることになっている(申請すれば繰越ができるなど、最近
は運用が少し柔軟になってきている)。つまり、お金を使えない「金欠期間」
が出現するのだ。

 研究をやりたいときに自由にやれない。ということは、政府が日本の研究の
進展を結果的に邪魔しているといわれても仕方がない面がそこにはある。

 この金欠期間を解消するため、研究費が来るまでの期間、お金を立て替えて
貸与するシステムを、東京大学が今春から始めた。東大で開かれた懇談会の席
上、佐々木毅学長がそう話していた。

 学内の研究が中断しないよう、大学がローン(おそらく無利子だと思う)業
務を開始したのである。例えてみると、東京大学銀行の誕生である。佐々木学
長によると、4〜7月で40億円の立て替えをしたという。研究費全体の10
分の1程度である。

 国の仕組みの硬直化した部分を、大学側が補完していく試みとして興味深い。
今春の国立大学法人化が、いい方向に作用しているのかもしれない。

 同じ懇談会での佐々木学長の発言を「ごもっとも」と思って聞いた。やはリ
研究費のことであり、運営費交付金(国が支給する研究室の運営費)と競争的
資金(公募制の科学研究費補助金など)のバランスの話である。

 国の総合科学技術会議が、最近、競争的資金を増やし、一方で運営費交付金
を減らす方向性を示したにしたことについて、佐々木学長は「それは基盤なき
競争をやれというに等しい。競争がお粗末なレベルになっていくのではないか」
と反対の意向を明らかにしたのだ。

 その中で佐々木学長が指摘したのは、競争的資金の配分が毎年12月に決定
し、翌年3月までに使わないといけない点だった。金欠期間がかなり長い。研
究室の基本的な運営費を削られ、代わりに使いにくい競争的資金だけで研究室
を維持しなさいと言われたら、誰が自信をもってやれるだろうか。新設された
東大銀行の役割が一層大きくなるだろうが、その立て替え能力にも限度がある
だろう。

瀬川至朗 せがわ・しろう

 岡山市生まれ。物理学者をめざして理系に進学したが、結局、科学史・科学
哲学を専攻。1978年毎日新聞社入社。科学・医療・環境分野の取材歴20余年。
趣味はテニス、野球は阪神。理系白書取材班デスク。現在は科学環境部長。