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『山陽新聞』夕刊 2004年7月30日付 一日一題 大学とは何か? 岡山光量子科学研究所長 二宮正夫 大学改革が話題に上ることが多く、当事者だけでなく知識人も含めた論議が 盛んだ。米国の大学運営を手本にしようという主流の考えでは、学生はお客様 であり、大学は顧客に教育サービスを提供する場所となる。その勢いにのまれ、 多くの大学でお客様である学生によるサービス要員たる教員の接客評価、すな わち授業評価が行われてきた。学生募集の場に至っては、修学から就職まで一 貫した教育サービスが受けられる点のみが強調される。 大学が率先しているのだから、当然ながら学生も大学とはこんなものだとか 考えない。これはゆゆしき事態だ。 そもそも大学の理想像を米国に求めるのが間違っている。建国の浅い米国が 欧州に追いつくために必要だったのは、社会ですぐに活躍できる専門家だった。 そのため、大学といえば欧州での専門学校的なもので十分だったのだ。 言い換えれば、米国のまねに終始する日本の大学改革は、せっかく明治以来 欧州から本格的に取り入れてきた大学文化を葬り去り、すべてを専門学校化す る愚行に匹敵する。こんなことを言うと、改革主流派からは「大学とは学生を 育てるところだ。ならば、教育に徹した改革を進めるべきではないか!」とい うおしかりを受けることだろう。 だが、待て。いつから大学が学生を育てるところになったのか? 欧州の伝 統を見ればわかるが、大学とは学問を育てるところだ。教会の片隅に集い、一 部の心ある聖職者と、ちまたの若者たちが議論しあう中で学問が生まれ育った。 聖職者は、教会では口にできない革新的考えを若者たちに聞かせたかったし、 若者はそれによって教え育ててもらおうと思って集まったのではない。ただ、 新しい学問の創造現場に立ち会うことが願いだった。 それが大学の原点だし、将来も変わることのない大学の存在理由なのだ。 |