トップへ戻る   以前の記事は、こちらの更新記事履歴
新首都圏ネットワーク


『朝日新聞』2004年7月29日付

 足元固め進む国立大
 法人化4ヶ月 佐々木毅・東京大学長に聞く

 国立大学が4月に法人化されて4ヶ月になる。1886年の帝国大学令公布、1949年の
新制国立大発足以来の大改革で何が変わったのか。国立大学協会の会長も務める佐々
木毅・東京大学長に現状や今後の見通しを聞いた。(長谷川玲)

 
 ◆競争より基盤整備先決

 −法人化といっても、外からはまだ大きな変化が見えません。

 「各大学の内部では、人事や財務などの仕組みを変えて走らせることに大きなエネ
ルギーを注いでいる。これまでにない工夫も必要だ。例えば、東大では『月次決算』
を取り入れた。毎月のキャッシュフロー(資金の流れ)がどうなっているのかを見る
ためだ。各大学がそれぞれに、法人化の足元を固めている状況と言っていい」

 「そんな最中に懸念がぬぐえないのは、国から各大学に渡される運営費交付金を、
政府が概算要求の際に減額する方針を打ち出す恐れがあることだ。現実化すると足元
をしっかりさせることすらできなくなる。各学長の間で危機感が募っている」

 −減額には、大学同志の競争を促すねらいもあるようです。各学長が政府や国会の
関係者に減額しないように働きかけていますね。

 「各大学は中期目標・中期計画に沿って運営を進めて業績評価を受ける。それが法
人化前の説明だったのに、評価も受けていない段階でいきなり予算を減らされかねな
いとなると、約束が違う」

 「私立学校も含めた高等教育の基盤への投資が不十分なのに、いかがなものか。基
盤維持もせずに競争、競争といっても足元が崩れるだけだ」

 ◆変わる学内の意識

 −法人化の前には、学長のリーダーシップ強化や国の制約からの脱却といった変化
が起こると強調されてきました。

 「何か実現できないとき、学長はこれまで『残念だが、文部科学省がうんと言わな
いからあきらめてくれ』などと言い訳してきた。だが、施設の問題を含めた様々な不
満や、学生の教職員への要求などが直接伝わるようになり、学長の意識が変わってき
た」

 「学長が腹を決めれば実現できることがあるかもしれないと、学内の人は認識し始
めている。学長自身が明確な考えを持たねばならないという意識は強い」

 −教職員には変化があるのでしょうか。

 「いままでは、大学にどういう人がいるのか学長は知らなくても済んだ。新聞で
『東大が○○に取り組む』といった記事を見て、初めて学内のことを知るくらいだっ
た。」

 「それが、法人化で大学全体が組織的に動く必要が生じて、学部や研究所にいた人
が表に顔を見せ始め、学長や副学長らと直接的な関係を持つようになってきた。いま
は自分の大学がどのような資源を持っているのかを確認しているところ。これから、
各大学が個性を打ち出す段階に入る」

 −東大では?

 「学長直轄の新領域創成プロジェクトをつくろうと思っている。いくつかのテーマ
について、5年ぐらい学長のもとで先進的な研究に取り組んでもらう構想だ」

 「研究や教育が部局の責任で進むのは今後も変わらない。だが、政府が進める重点
分野の研究に受け身的に対応するだけではなく、これが21世紀の学問だと、大学側が
将来の学術政策を提示するような冒険をしたい。やがては学内の各研究への重点の置
き方や組織の協調体制の見直しにつなげられればと思っている」

 ◆各校、目標絞り込み重要

 −法人化に伴う外部からの役員登用などに効果は出ていますか。

 「東大の場合、具体的な問題が出てきたときに、どう動くかを民間からの役員に聞
くなど、非常に役立っている」

 「ただ、各大学は学長の任期を今後どう決めるか頭を痛めているようだ。いまの各
学長は法人化前に選ばれている。東大では9月に学長選がある。これまでは慣例的に4
年1期が続いてきた。法人化発足という特別な事情などもあるが、来春からもう4年と
いうのは、体力的にも他の意味でも現実的ではないと思う」

 −法人化の主眼だった、大学間の競争は本格化するでしょうか。

 「この2、3年、各大学で『こんな研究に取り組みます』とか、『こうした教育の見
直しをしています』という報道が続き、あたかも報道されること自体が評価につなが
るような印象を与えてきた。産学連携も同じだ。今後は、それぞれの大学が、冷静な
自己認識を基に目標を絞り込むことが重要ではないか」

 「一番まずいのは、どこをとっても特徴がないということだ。いま持っている能力
を上手に活用して質の向上を図っていくことが現実的だろう。みんなで同じことを競
う必要はない。地方では、地元とじっくりと関係をつくろうとする大学が出てきてい
る。国単位の護送船団方式から変わってきたように感じる」

 −社会の側が「法人化で大学が変わった」と実感できるのは?

 「国立大全体で言えば、学生を集めること、つまり入試に一番はっきりと表れてく
るのではないか。いまは違いがそれほどないが、思い切った見直しをする大学がでて
くると、変化が一気に始まるかもしれない。いずれ入試を通じて法人化の影響を見て
取れるようになると思う」

 ◆「成果」評価にはなお時間

 国立大学法人法が成立したのは昨年7月のことだ。審議中は国会の内外で法人化に
対する賛否評論が飛び交った。推進派が「横並び意識から脱して競争心を身につける
ことで『象牙の塔』は活性化し、より社会に開かれた存在になる」と売り込めば、反
対派は「派手な成果が出にくい基礎研究がないがしろにされる」「学問の自由や大学
の自治を損なう」と押し返した。

 それから1年。法人化を迎えた国立大の現場は、そうした理念や原則を論じ続ける
いとまもなく、態勢を切り替える作業で精いっぱいだったようだ。準備を促した文科
省側でさえ「何とかして1年ぐらい実施を遅らせられなかったろうか」(ある幹部)
と自問するほど、現場は駆け込みで体制を整えざるをえなかった。

 混乱する学内事情を思えば、「法人化で大学は変わる」という「成果」を学外から
はあまり感じ取れないのも無理はない。佐々木学長の言う「足元固め」が進み、教員
らの意識が変わってきた段階で、派手に論じられてきた法人化の功罪を検証できるだ
けの変化が生まれてくるのだろう。

 もっとも、法人化の影響は国立大だけにとどまらない。

 少子化や不況の影響で経営状態が厳しくなっている私立大の間には、多額の税金が
投じられている国立大がやみくもに競争に乗り出すことに「民業圧迫だ」とする警戒
感が強い。法人化の直後にもかかわらず、規制緩和論者の間には国立大を民営化する
案もくすぶる。

 官僚の養成や技術力の向上を目的として整備されてきた国立大と、学生の7割以上
を抱えて高等教育のすそ野を広げてきた私立大とでは積み上げてきた伝統も、得意分
野も、教員の質や量も異なる。法人化をきっかけに過当競争に突入するとすれば、単
に国立大の活性化だけの視点から法人化の「成果」を評価してはならないことも自明
だろう。

 佐々木学長の「(各大学が)冷静な自己認識を基に目標を絞り込むことが重要」と
する指摘は示唆に富む。国公私の大学がそれぞれに自らを磨き、高等教育全体の質が
高まることにつながるのかどうか。法人化の賛否両論に対する総括には、もう少し時
間が必要だ。

 ささき・たけし 東京大卒。専門は政治学・政治学史・同大法学部長を経て、01
年4月から学長。中央教育審議会大学分科会長も務めている。62歳。

 キーワード
 国立大学の法人化 国の組織の一部だった国立大を「国立大学法人」として独立さ
せる改革で、4月に89法人が誕生した。もとは行政改革の一環だったが、「護送船団」
方式での大学行政を転換し、大学に裁量を与えて「個性化」を競わせる目的で進めら
れた。学長の権限を大幅に強めてトップダウン型の運営を可能にし、国からは運営費
交付金を渡して大学が自由に使い道を決められるようにした。大学側はそれぞれの中
期目標・中期計画(6年間)に沿って運営し、達成したかどうかの業績評価を受ける。
その結果が交付金の配分に反映される仕組みで、各大学に民間手法を取り入れた経営
を求める形になっている。