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新首都圏ネットワーク


『山陽新聞』夕刊 2004年7月23日付

一日一題 「諸刃の剣」

岡山光量子科学研究所長 二宮正夫

 国立大学法人となった旧国立大学が、混乱の嵐の真っ直中にあると聞く。だ
が、私も法人化移行特別委員となっていた京都大学では、これまでの民主的大
学運営を継承することで、混乱をきたすどろかむしろ大学の結束が強まった観
がある。そのため、単に大学の名称が変わっただけのことと了解してきた。私
同様に政府のさまざまな学術系委員会へ呼ばれている東京の面々に聞いても、
やはり同じような答えが返ってくる。

 では、法人化の嵐はどこに吹き荒れているのか? 学会で地方大学からの参加
者に問うと、確かにすさまじい変化を受け入れざるを得ない由。地方大学を自
然淘汰させる意図が背後にあるのではという憶測までも飛び交っているそうだ。

 気になったので、研究所設置段階から適切な助言を頂載していた、ある地方
大学の様子をうかがい、驚いてしまった。なぜなら、学長職の権限を強くした
結果、教授会の存在が有名無実となってしまったという。当然の結果として、
予算や人事権を掌握した学長職に近づいていく者が優遇され、他の者は冷遇さ
れるのではないかという危ぐが生まれている。

 ミッション系の女子大のように、いくら聡明な理事長が選ぶとしても、限ら
れた経営側の人材を学長職につけたのでは大学運営に失敗するという事実を痛
いほど学んできた私立大学では、むしろ正反対の方向を目指した大学だけが生
き残っている。研究と教育はあくまで教授会が中心となり、学長は教授会から
求められる大学環境を実現する責務を全うするのだ。

 学長職は大学全体の経営面での運営にのみ全力を投ずるべきであり、いくら
その目的のために予算執行を含めた大学運営全般の裁量権が必要だとはいえ、
そこまでを与えてしまうのは大学として諸刃の剣を手にすることになりかねな
い。