トップへ戻る   以前の記事は、こちらの更新記事履歴
新首都圏ネットワーク


『文部科学教育通信』2004年7月12日号 No.103

 教育ななめ読み 50 「日本型経営」 
 教育評論家 梨戸 茂史

 日本の産業界ではグローバル・スタンダードなど米国流の経営が流行してきた。で
も、最近は経済が上向いてきたこともあり、単純なリストラによる人員削減や成果主
義賃金を見直して独自の日本型経営を指向する動きがみられる。短期的な利益のため
終身雇用をやめると一時的には良いかもしれないが企業への一体感や忠誠心が失われ
る。成果重視の賃金は個人さえよければという風潮を生み、誇りや賞賛、認知などの
人間的な動機付けや集団主義の良いところを失わせる。

 大学だって何もかもアメリカのやり方が正しいのだろうか?中期計画などで教員の
「任期制」は流行だ。法人化で給与も教育研究の成果に応じて大幅に上積みできる話
もある。研究者の任期制は欧米並な競争原理の支配するハイレベルな職業の雰囲気が
出る。すでに導入した某大学院大学のように現在の教授、助教授は対象外に制度化す
ればみんな賛成だ。自分のことじゃあないしね。平均的な在職年数で任期を設定すれ
ば、たとえば助教授一〇年しかダメと決めても一〇年後に教授のポストに就けば良い
のだから支障はない。教授も二〇年としておけばその期限の前に定年が先に来る。本
当に移動がしやすいのは紙と鉛筆で研究できるような分野だ。大型の実験設備の必要
な研究は動くと大変。でも、考えようによっては新しい異動先で最新の設備を買って
もらえるならそれも良いか。

 ただ、短期間で大学を替わったら教え子が困る。世間では落ち着かない性格と思わ
れる。住宅ローンも組みにくいそうだ。もっとも住宅なんて購入しているヒマもない
かも知れないが。

 成果を反映した給与は評価を前提とする。この評価、なかなか難しい。客観的であ
ろうとすれば論文の数だの引用数だの数値化できる指標に頼らざるを得ない。数で勝
負なら一つの研究を細分化し投稿論文を増やせば良い。毎年評価すると言えば一年以
内に成果の出る研究だけにする。達成度を評価するとなればその「目標」を低めに設
定すれば済む。これが賢いやり方。数字化も限界がある。であれば、主観で決めるの
も良いかも知れない。ただし評価者は何年か毎に変えるべきだ。

 国立大学の先生の社会的評価はまだそんなに低くはない。しかし、給与は世間で考
えられているほど高くない。どうせ好きなことをやっているのだろうから、そこそこ
食べていくことができればよいと考えたかどうかは知らない。世間のサラリーマンか
らみても低いレベルと言えよう。ただ、これは日本人の給与に共通な考え方だったの
ではないかと思う。生活に困らないレベルの支給をし、年齢が加わり家族が増えれば
それに合わせた、いわば後顧の憂いのない状態を保証して、仕事(教育や研究)に専
念してもらおうという考え方が根底にあるのではないか。そしてその仕事の中に人生
の価値を発見してもらおうとしたのではないだろうか。人はお金だけで生きてはいな
い。雇用や給与を含めた環境が安定し、じっくり学部や大学院で研究を続けながら興
味と好奇心の発露から研究を続けることが大事ではないか。それが大きな発見につな
がっていく分野もあることを再認識しないと基礎研究がダメになってしまう。期間限
定、成功すれば高報酬は限られた分野だ。しかし、全部の学問分野でこのことが行わ
れれば日本の学問は滅ぶ。性急な任期制と短期で成果を追い求めるのは、時間とその
時だけの能力を買うシステムだ。組織に対する愛情、愛着を培う余地はない。いろい
ろなタイプの人材がいて平時では「昼行灯」に見えてもいざとなれば誰かが研究して
いたという、いわば忠臣蔵的日本の学問体制は結構有用なシステムではなかったのか。

 トヨタが終身雇用を維持して格付けを落とされたが、快調な経営はその評価をかす
んだものにした。必ずしも米国流のマネージメント一辺倒が良いのかどうか産業界で
は皆さんだんだん気がついてきていますよ。さて、どうする大学は?