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新首都圏ネットワーク


『日本海新聞』2004年5月3日〜5月5日付

変わる「医」―鳥大医学部の独立法人化―


 山陰の医療をけん引する鳥取大学医学部(米子市西町)に変革の荒波が押し
寄せている。四月から「国立大学法人」として生まれ変わり、自立と競争原理
の概念が導入された。戦後の新制国立大学発足以来となる大改革だ。時を同じ
くして、新人医師に二年間の研修を義務付ける新臨床研修制度も始まった。地
域の中核医療機関として高度医療の提供を果たしつつ、効率化を図りながら新
制度に対応する。そんな難問に直面した鳥大医学部の今を探る。


法人化と新研修制度
予算獲得が大命題に
2004/05/03

セールスにも

 「大学はお公家と呼ばれていたが、これからは教授がセールスにも歩かなけ
ればならない」

 医学部の井藤久雄学部長は、こんな表現で産業界とのタイアップなど外部資
金の調達に強い意欲を示した。医学部の動向が鳥大全体の経営を左右するといっ
ても過言ではないからだ。

 鳥大の二〇〇四年度予算収支は二百九十二億二千万円だが、そのうち医学部
の収入は百五十一億二千万円を占める。国からの交付金を除いた自己収入で見
れば、その役割はさらに鮮明だ。自己収入百五十八億七千万円のうち、実に77
%、約百二十二億円が付属病院の診療費だ。

 しかも、医学部は病院施設、機材など約三百億円の債務を償還しなければな
らない。その上、中期計画(〇四―〇九年度)で付属病院は毎年2%ずつの増
収が課せられており、同額の交付金が削減される。

 債務償還という借金の返済、2%の収入増。経営改善は不可欠だ。

 法人化で国の評価委員会が各大学の「中期目標・計画」の達成度を評価し、
優秀な大学には交付金が手厚く配分される仕組みとなった。井藤学部長は「交
付金は間違いなく削減され、予算面で大学間の格差が広がる」と見通す。

 産業界との連携で予算を確保しなければならない背景には、こんな理由があ
る。


人材流出の懸念

 新医師臨床研修制度の導入も、医学部にとっては法人化と同レベルのインパ
クトを持つ。

 これまでは努力目標だった卒業後二年間の研修が必修化。一年目は基本診療
科目である内科、外科、救急・麻酔を回り、二年目は小児科、産婦人科、精神
科、放射線科、地域保健・医療を研修後、希望診療科を選択する仕組みになっ
た。

 新人医師にとっては専門以外で経験を積むメリットがあるが、大学病院側か
ら見れば、今後二年間は各医局への入局者減少が不可避となった。法人化によ
る研究機能の強化、指導医の確保、そして何よりも不足する労働力を補充する
ために医員(非常勤医師)の採用は例年より増えた。

 さらに、入局者の減少は大学病院から派遣された医師の引き揚げという形で
全国の病院に影響を及ぼした。医師不足が慢性化している県内の病院も例外で
はなく、危ぐする声が続出している。

 さらに深刻な問題がある。次代を担う若い医師が山陰地方にとどまるか、だ。

 付属病院では毎年五十―六十人の研修医を受け入れていたが、研修の必修化で
今年の研修医募集枠は四十三人に狭められた。もともと若い医師は都会志向が
強いだけに、人材が流出する端緒になりかねない。

 人材をどう引き止めるのか。井藤学部長は「地域で活躍する医師を育てるた
め、入学定員に地域枠を設けることもありうる」とまで言及した。

 今後、予算の獲得から学生の確保まで、大学間の競争は激しさを増すばかり
だ。真の大学の自立に向けて、さいは投げられた。


付属病院の機能強化
救命救急センターが柱
2004/05/04


 「都会への医師偏在を食い止めるため、学術的にも、診療内容でも優れた
『山陰のメディカルセンター』を目指す」

 大改革が進む中、石部裕一病院長は、裁量権が増す法人化こそ変革のチャン
スと意気込む。

 医師不足が深刻な山陰地方にあって、大学病院として教育や研究という特殊
な役割を担いながら、診療面での機能強化を目指す。しかし、それには克服す
べき課題もある。

 機能充実の柱としてまず挙げられるのは、十月に開設される救命救急センター
だ。鳥取県内では県立中央病院(鳥取市江津)に次いで二カ所目。専用病床十
床(うちICU四床)を整備し、二十四時間体制で重篤な急患を受け入れる。
現在の救急部を拡充するものだが、センターとして認可されれば診療報酬の増
加が見込める。救急部長を務める八木啓一教授は「法人化で(医師が救急車に
同乗する)ドクターカーもやりやすくなる。西部消防局には分署を置くようお
願いしたい」と三次救急の強化に情熱を注ぐ。

 再生医療も期待が大きい分野だ。昨年四月、大学院に設置された機能再生医
科学専攻では、さまざまな細胞や組織に分化できる「幹細胞」を研究し、すで
に血管再生に成功。再生医療センターの開設も視野に入れる。また脳幹性疾患
研究施設ではパーキンソン病、アルツハイマー病など神経性の難病治療に取り
組む。

人件費増など課題

 しかし、こうした高度医療が軌道に乗るにはしばらく時間がかかる。設備投
資に対しては、大学全体の理解も必要になる。石部病院長も「今までは学部ご
とに国へ予算要求していたので『鳥大』の意識が希薄な面もあった」と学部間
の距離を暗にほのめかした。

 法人化に伴う人件費の負担増も大きい。法人職員に身分が変わったことから
当直医師には労働基準法にのっとって変則交代制が導入された。しかし定員は
据え置き。人手不足は非常勤医師でカバーするしかなく、予算確保に苦労して
いる。

 また救命救急センターでは開設に必要な医師、看護師が確保できていない。
四月三十日に開かれた県西部救急医療推進協議会で自治体、医療関係者を前に
石部病院長は「鋭意努力している」と説明するにとどまった。

 経営体質強化に向けて経営分析にも取り組む方針で、手始めに薬、医療材料
などのコスト削減を図る。例えば手術用のゴム手袋はメーカーを替えるだけで
年間百万円以上の節約が可能だという。石部病院長は「少し痛みも伴うが経営
の発想が必要」と、医療ニーズに即した人員配置など診療科の再編も念頭に置
く。


急患集中で支障も

 高度医療へ特化するには、他の病院との機能分担が不可欠となる。付属病院
は年間一万人の急患を受け入れているが、生命にかかわるような重症患者はご
く一部。八木教授は「今のように急患が集中しては本来業務に支障が出かねな
い」と危ぐする。

 同センター開設を要望してきた県西部医師会の魚谷純会長は「例えば医師会
が運営する急患診療所を同センターに併設し、軽症患者を受け持つことも考え
られる」と理解を示し、夜間、休日の病院輪番制と併せて検討が必要だと考え
ている。

 また入院日数の短縮も喫緊の課題だ。平均在院日数は二十五日で、全国の大
学病院の十九日と比べるとその長さは一目りょう然。長期入院患者で病床がふ
さがっていては治療もままならない。付属病院で初期治療を終えた後、地域の
病院がリハビリなどの継続治療を受け持つ。こうした役割分担によってこそ各
病院の機能が発揮される。


地元企業との連携
ベンチャー起業容易に
2004/05/05

 これまでは世間と隔絶したイメージがあった大学だが、激しい変革を乗り切
るために地域連携が重要になっている。鳥大医学部も地元企業との共同開発で
研究成果の実用化を目指すなど、地域との関係強化が模索されている。

 産学官連携による外部資金の調達は以前から行われていたが、教職員は非公
務員化で兼業が可能になり、ベンチャービジネスの立ち上げが容易になった。
鳥大医学部でも法人化を追い風に弾みがつきそうな研究もいくつか見受けられ
る。


民間と共同開発

 「成功して企業が大きくなれば環境も良くなる」と夢を語るのは、食用油を
ディーゼル発電機の燃料に再利用する研究を進める生体制御学講座の田中俊行
助教授。健康商品などを企画、販売するイルカカレッジ(米子市内町、朝山規
子代表)と共同で研究。低コスト、環境負荷を出さないろ過装置を開発し、自
動車を動かすことが目標だ。田中助教授の重金属毒性に関する専門知識を生か
し、廃油から有害物質を取り除く方法など独自技術を考案。三キロワット発電
機で三百時間の運転実績を挙げている。五月に横浜市で開かれる二〇〇四年自
動車技術会春季大会での発表が決まっており、注目の高さがうかがわれる。

 薬物治療学の長谷川純一教授は、縫製業のカノン(米子市八幡、竹本利治社
長)などとホルスター型の心電計の試作品を開発。一週間もの長時間にわたっ
て記録ができ、既にメーカーや自治体から打診もある。竹本社長は「コストダ
ウンして売れる物にしていかないと」と市場開拓をにらむ。

 生命科学科分子生物学の佐藤健三教授は、氷温食品の製造、販売水産加工業
のダイマツ(米子市旗ケ崎、松江伸武社長)と日本有数の漁港、境港で産廃と
して大量に廃棄される魚の皮に注目。肝臓の働きを活発化させる糖タンパクを
抽出し、機能性食品の開発に取り組んでいる。

難しいマッチング

 産業界からの積極的なアプローチも始まっている。米子商工会議所は会員企
業と鳥大、米子高専、行政関係者による懇親会を昨年から隔月で開き、毎回六
十人程度が参加している。今まで目に見えた成果はない。同商工会議所相談課
の松本順次課長は「地元で大学のハイレベルな研究を利用できる企業は少ない」
と軽くため息をついた。

 企業側から見ても、大学の敷居はまだ高いようで「高専の方が少ない資金で
研究しやすい」という声のほか、大学側から「そんな話は持ってこないで」と
拒否された例もあるという。企業ニーズと大学の研究成果とのマッチングは難
題だ。井藤久雄学部長は「個別に対応していては、せっかくの研究が日の目を
見ないこともある。今後は総合的なマッチングを行いたい」と広報部門の充実
を課題に挙げる。

 法人化で資金調達を重視するあまり、基礎研究分野が切り捨てられないかと
危ぐする声も多く、バランス感覚が求められている。佐藤教授も「産業界とディ
スカッションを重ねれば可能性は生まれてくる」と期待する一方で割り切れな
い気持ちを抱く。

 タンパク質の分子量解析法を開発し二〇〇二年度のノーベル化学賞を受賞し
た田中耕一氏も失敗の連続だったが、地道に他人と異なる研究を続けていた。
「時代の流れだから仕方ない面もある」と前置きして佐藤教授は軽やかに笑っ
た。「学生には生命科学のビル・ゲイツになろうと、よく話している」