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新首都圏ネットワーク


『朝日新聞』静岡版 2004年4月1日〜6日付

変わる国立大学 法人化の行方

★(1)新大学院 学長主導 世界の先端へ(4/1)
★(2)労働条件 協議不足 募る不満(4/2)
★(3)防災の先頭に立つ地域連携(4/3)
★(4)授業評価 品質管理 教育にも(4/4)
★(5)民間の力 古い体質脱皮へ「光」(4/5)
★(6)研究所統合 出資求め 地元と縁(4/6)


変わる国立大学 法人化の行方★(1)

 新大学院 学長主導 世界の先端へ

 駿河湾を一望する静岡大学(静岡市大谷)の事務棟5階、大会議室。昨年1
1月、大学の将来を考える「将来構想委員会」が開かれた。天岸祥光学長は、
学内の部局長ら13人にこう訴えた。

 「法人化後、3年以内に新大学院をつくる。これは私の使命だ」

 反対はなかった。

 新大学院は約4年前から学内で検討されてきた構想。だが遅々として議論は
進展しない。法人化を5カ月後に控え、天岸学長はしびれを切らせていた。
「新大学院で世界が注目する大学に立て直したい」。この思いが決断させた。

 全国89の国立大学のうち、理学、農学、工学の各学部がそろう総合大学は
16校だけ。静岡大学もその一つだが、逆に「個性の見えない大学」に甘んじ
てきた。それを克服する戦略が新大学院の設置。次の学長選考を迎える年の春
に、開校させるのが目標だ。

 1日、国立静岡大学は国立大学法人・静岡大学になる。これまでの国立大学
は「学問の自由」を標榜(ひょうぼう)しながらも、国の行政組織の一部とし
て文部科学省の影響から逃れられなかった。今後は大学独自の経営に移行。責
任はあっても権限がなかった学長の役割も大きく変わる。民間的な経営手法を
採り入れ、大学のかじ取りが学長に任される。

 新大学院は、現在ある大学院の組織を再編、新たに「先導自然科学大学院」
(仮称)という博士課程を設ける。浜松キャンパスに、ナノテクノロジー(超
微細技術)と情報通信に特化した「創造科学技術研究院」を設置。静岡キャン
パスには生命科学と環境科学を中心にする「環境・バイオ学術研究院」を置く。

 大学院生の専門教養部に当たる「教育府」も作り、「1教育府2研究院」と
いうユニークな組織にするという青写真だ。従来の学問分野にとらわれない学
際領域を集中的に学ぶ1科目連続10日間講義など野心的な教育制度案も浮上。
「全国初のモデル」を狙う。

 天岸学長のトップダウンで、昨年12月に新大学院構想作業部会ができた。
責任者の渡辺健蔵電子工学研究所長は「ナノビジョン・サイエンスに最も力を
入れる」と話す。

 テレビ技術とナノテクテクノロジーを組み合わせ、光と電子の変換を一つず
つ制御するという世界初の試みだ。今あるカメラでは写らない暗い場所でも、
ほんのわずかな光さえあれば、はっきり撮影できる撮像素子を開発する。本物
に近い立体的な画像を映し出すテレビの開発も視野に入れる。テレビ発祥の地・
浜松から「画像立国の復権」を目指す。

 静岡大学は、静岡市と工業集積地・浜松市の2カ所にキャンパスを持ちなが
ら、その特性を生かせていなかった。既存の大学院は、学生定員に対し担当教
員が多すぎるという経費的な無駄もあった。そうした反省から新大学院は、地
域産業と密接に結びつく研究領域に限定。担当教員を半減し、スリム化する方
針だ。

 「教員の反発も予想されるが、世界に類を見ない研究拠点を目指したい」と
渡辺研究所長。天岸学長は「重大な覚悟で臨んでいる。この構想にヒト、モノ、
カネをつぎ込む。静岡大学を顔の見える大学に変えたい」と決意を見せる。

   ◇

 1日、全国の89国立大学が国立大学法人になる。独自の運営が可能となる
一方で、特色を打ち出さなくては「大学生き残り」に取り残される恐れもある。
大変革で何が起きているのか。県内の静岡大、浜松医科大、そして大学共同利
用機関の国立遺伝学研究所から生まれ変わる情報・システム研究機構の姿を追
う。

変わる国立大学 法人化の行方★(2)

 労働条件 協議不足 募る不満

 法人化を目前にした3月中旬、教職員が選出した代議員24人が、静岡大学
(静岡市大谷)の事務棟にある大会議室に集まった。労働条件の変更を大学と
協議する教職員の代表者を選ぶため、大学が呼びかけた。

 「議事進行をつかさどる議長を選びたい」

 「大学が発議するのはおかしい」

 「早く進めてほしい。時間がかかる」

 集まった代議員の口調は最初から荒れていた。入り口論に終始し、なかなか
実質的な協議に移れない。労働条件がどう変わるのか、その不安がイライラを
募らせていた。

 法人化によって国立大学教職員の立場は激変する。教官や事務官は国家公務
員から法人職員となり、雇用形態は私大に近くなる。労働条件は、人事院規則
などで決められていたが、一般企業と同じく労働基準法の適用を受けることに
なる。

 代議員会では、議長が決まった後も大学側の運営に対する不満が噴出した。

 「最新の就業規則案や労使協定の内容を今日初めて見た」「検討できる日程
が短い。他大学では全事業所の連絡会も開かれているのに」。重苦しい雰囲気
が続いた。

 静岡大は昨年5月、法人化に対応する移行準備本部を設置。人事労務部会を
設け、中村和夫学長補佐(労働法)を班長に早くから準備を進めてきた。作業
班の9人は週に1〜2回のペースで集まり、年明けからは土日曜をつぶして労
働条件の整備に当たってきた。

 同年9月には就業規則第1次案を大学のホームページに公開、教職員の意見
を募りながら改定を繰り返し、成案を仕上げた。本則、別規定などを含めA4
判で177ページに及ぶ。作業班の労働時間は5千時間を超えたという。

 作業に当たった大学側の疲労感は大きい。事務職員の一人は「労多くして実
はあるのか疑問を感じる。仕事量も多くてまいっている」とこぼした。

 静大保健管理センターは事務職員らの精神面を心配する。昨年秋の全国大学
保健管理研究集会で「法人化の準備のため事務負担は明らかに増大している。
ストレスの蓄積が学生サービスの低下につながりかねない」と発表。「今後は
メンタルヘルスを充実させる必要がある」と結論づけた。

 中村学長補佐は「労働条件は現行をベースに考えた。だが形態が変わる以上、
限界もある」と話す。天岸祥光学長とともに学内や付属施設を行脚、教職員説
明会も開き、理解を求める努力を続けてきたと主張する。だが、教員と事務職
員の待遇格差や非常勤職員への有期雇用の導入などでくすぶる不満は消えてい
ない。

 代議員会で教職員の代表に選ばれた原田唯司教授(教育学部)は指摘する。
「通常の業務がある中で就業規則を作る苦労は理解する。だが、労働条件の問
題では一人ひとりが納得できる時間が必要だった。大学はその観点からの配慮
が欠けていたのではないか」


変わる国立大学 法人化の行方★(3)

防災の先頭に立つ 地域連携

 静岡大学で普通の講義室が防災センターに生まれ変わろうとしている。

 教養教育で使っていた静岡キャンパス(静岡市大谷)の共通教育棟の一室。
広さ60平方メートル。壁にインターネット回線を配備し、水道工事で簡易キッ
チンを備えた。屋外から入る専用の扉もある。今月中旬のオープンに向け、壁
の塗装や床の張り替えなどの工事が急ピッチで進む。

 「いざ災害が起きたら、防災センターがいつでも被災者を受け入れます」

 防災対策委員長を3月末まで務め、センター設置に力を注いだ中井弘和教授
は、そう語る。大震災の際には、地元住民の代表者や学生が自分で入り口のカ
ギを開けてすぐ使える態勢を整えることが目玉だ。

 東海地震を想定した大規模地震対策特別措置法が成立して四半世紀。震源域
にある静岡大は、約41万平方メートルの広大なキャンパスを持つにもかかわ
らず、地元住民には「垣根のある大学」だった。

 静岡市の地域防災計画で、静岡大周辺で拠点避難地に指定されているのは大
谷小学校。国有財産の施設に「学外者が出入りする」という発想がそもそも欠
けていた。

 建物などの施設は各学部に割り振られ、「自分の部屋は自分のものだ」とい
う意識だった。施設のあり方を検討する委員会は存在したが、「学部代表が各
自の利益を主張するだけ」(中井教授)の状態だった。

 昨年11月、施設特別委員会が設置された。法人化後は大学が一元管理をす
るという方針を掲げ、効率的な運用を目指すことに。大学経営の独自性が高まっ
たことで「国の施設」というくびきが外れた。

 防災センターは、インターネット回線で震災時でも情報発信ができる。ベッ
ドもあり、寝泊まりが可能。揺れを観測するカメラや地震計を置くことも検討
されている。普段から住民や学生らが集まって防災に関する情報交換の場にな
るという。

 静岡大は、防災をキーワードに地域とのつながりを深めようとしている。

 静大生、教職員を中心に地域住民、市の担当者を巻き込み有志の「静大・防
災ボランティア・ネットワーク」が02年に発足。定期的な会合を重ねながら
提言活動を始めた。

 昨年度は、新入生向けの防災訓練や泊まり込みの避難所体験訓練、富士原生
林でのサバイバルキャンプを実施。地域とは没交渉だといわれた下宿学生にとっ
ても、こうした体験を通じて交流が始まった。

 新科目「地震防災」も今月開講する。防災の基礎知識を深めるだけでなく、
震災時に先頭に立てる学生づくりに結びつける考えだ。

 同ネットワークで幹事をする池谷直樹・助教授は「近くて遠い存在だったが、
近隣に住む学生や地域住民は、災害時に静大を当てにしている。被災者も救護
者もここに来れば何とかなると思ってほしい」と思いを語る。

 大学近くに住む大谷学区連合町内会長の常木則男さん(63)は「大学の意
識はこの2、3年で急激に変わった。地域住民を受け入れ、拠点まで作る。住
民の命を考えなければならない立場として本当にありがたい」と喜ぶ。


変わる国立大学 法人化の行方★(4)

授業評価 品質管理 教育にも

 講義終了まで10分を残して授業が打ち切られた。静岡大学(静岡市大谷)
の講義室。教員は学生にアンケート用紙を配り始めた。

 A4判の表裏に設問が並ぶ。「授業に対する熱意・情熱は感じられるか」
「説明は明快でわかりやすいか」「授業をよくしようと努力しているか」。自
由に記述する欄もある。

 黙々とペンを走らせる学生と、静かに見守る教員。「年配の教員ほど評価を
受け入れない」「教える気のない教授は研究だけやってくれればいい」。学生
の厳しい意見が並んだ。

 静岡大は02年度の後期から年4回、学生による授業評価を始めた。結果を
受け取った教員は、評価に対する自分の考え方や授業の狙いなどを報告書にし
て提出しなければならない。

 国立大学は、法人化で「大学運営」から「大学経営」にかじを切った。国か
らの運営費以外は自己収入で賄わなければならない。柱は学生が払う授業料と
入学金。「授業はほどほど、重視するのは研究」で通ってきた従来の考えが通
用しなくなった。

 静岡大は、教育力を向上させるため「FD(Faculty Develo
pment)活動」と名づけた取り組みに力を注ぐ。個々の教員が互いに研鑚
(けんさん)し、全体のレベルアップを目指す活動だ。授業評価のアンケート
や教員相互の授業参観などを繰り返し、問題点や課題を一緒に洗い出しながら
改善を進める。

 3月下旬、各学部のFD活動を披露する全学研修集会が開かれた。静岡と浜
松の両キャンパスをテレビ会議システムで結び、約100人の教員らが参加し
た。

 報告をしたのは6学部から計9人。卒業生や就職先から評価を聞く追跡調査
の結果(人文学部)や、学生投票による「ベストティーチャー」選び(工学部)
などが紹介された。

 報告者の一人、村井久雄理学部教授は「自ら学ぶ人間を育てることが大学教
育だ。問題は教員が関心を持たないことだと思う」と話した。

 審査員を買って出たのは人文学部4年の鈴木恵美子さん(24)。「いい授
業をつくるには互いの歩み寄りが大切で、学生も意識を変える必要がある。学
生の気を引くだけの授業になってはいけない」と提言する。

 FD活動を推進してきた大学教育研究開発委員長の小沢隆一教授は語る。
「授業改善の答えは常に現場にある。法人化を追い風にして学生と教員、教員
相互の理解に努めたい」

 大学の教員は教員免許が不要ということもあって、基本的な教える技術が欠
ける場合があるという反省がある。静岡大は昨年秋、全国の大学を講演して回っ
ていたFD活動の専門家、中部大学(愛知県)の三浦真琴・助教授を教授にス
カウトした。

 三浦教授は、授業内容の点検・改善活動など全学的に扱う「大学教育セン
ター」の専任教員に就任。「教育サービスにも品質管理の考えが必要。カリキュ
ラムの改善や学生の将来までを考える教育に変えていく必要がある」と訴える。

 教育をどう変えていくのか。試行錯誤は始まったばかりだ。


変わる国立大学 法人化の行方★(5)

民間の力 古い体質脱皮へ「光」

 浜松医科大学(浜松市半田山)の学長室。寺尾俊彦学長は1日、浜松ホトニ
クスの晝馬(ひるま)輝夫社長に頭を下げた。

 「学外の目で学内を見てもらいたい。大学が目指す方向に進んでいるかどう
か指導してほしい」

 国立大学法人となった浜松医大には学長と4人の理事で構成する役員会が設
置される。3人の理事は3月末まで教授をしていた学内者だが、学外からただ
一人選ばれたのが晝馬社長だ。小柴昌俊東大名誉教授がノーベル賞を受賞した
研究で観測装置の開発を支え、同社を世界的企業に押し上げた手腕に期待が寄
せられる。

 辞令を受け取った後の雑談で晝馬社長は「暗黙智(あんもくち)を育てたい」
と話した。

 暗黙智とは、世界観や信念、現場で取得した熟練や勘であり、それぞれの体
験に根ざした感覚などを意味するという。その言葉を「全体のレベルを底上げ
し、名前を聞けば個性がイメージできる大学になることだ」と大学は受け取っ
た。

 午後には、さっそく経営協議会が開かれ、会計規則や職員の就業規則などを
決定。新しい大学法人が動き出した。

 役員会は毎月第4月曜日に開かれる。晝馬社長は「頻繁に行きたい」と毎週
月曜日にキャンパスに顔を出すという。

 民間の発想を学んで、染みついた国立大学の体質から脱皮したいと考える寺
尾学長は、晝馬社長からの指摘に驚いている。「優秀な医者を育てた大学は国
から対価が支払われるべきだと言われた。人間を製品としてとらえ、対価を得
るという発想は我々にはなかった」

 浜松ホトニクスと浜松医大のつながりは実は深い。同社が89年に始めた寄
付講座では、出向社員が客員教授を務める。そのもとで91年に「光量子医学
研究センター」を設置。当初、10年の期限付きで文部省(当時)の認可を受
けたが、さらに10年の延長が認められている。

 寄付講座を担当する平野達(とおる)客員教授の研究は、ホトニクスの自慢
の「光」を使ったがん治療だ。がん細胞に集まりやすい薬を投与し、レーザー
光を当てて発生する活性酸素でがんをやっつける。すでに効果を確認、機器の
改良を進めている段階だ。

 浜松医大は、こうした企業との共同研究を着々と拡大する。

 01年完成の「探索的臨床研究施設」は、浜松ホトニクスの寄付金2億円で
建設された。承認前の薬を実際に人に投与し、安全性や効き目を確認する研究
施設だ。

 施設を使って製薬会社3社がそれぞれ共同研究を進める。レーザーを使った
しわ取りや、健康食品が酵素に及ぼす影響などの研究がされてきた。民間から
拠出された資金は合計で約3億円にのぼる。

 世界的にも珍しい「光学と医学」をキーワードに、浜松医大は最先端医療を
狙う。地元の有力企業などのヒトとカネの力を得て、激動の法人化を乗り切る
構えだ。


変わる国立大学 法人化の行方★(6)

研究所統合 出資求め 地元と縁


 「出資しますよ」

 3月中旬、JR沼津駅北口にある展示場「キラメッセぬまづ」で開催された
「ふじのくにテクノ&ウェルネスメッセ04」の会場で、ベンチャー企業の説
明に当たっていた小見山智義さん(35)は、そう声を掛けられた。

 会場を埋めたのは約80の企業。異色だったのは、教育研究機関である国立
遺伝学研究所(三島市谷田)の出展だ。映像を使って最先端の研究を分かりや
すく説明し、世界と競う研究成果のパネルを掲げて研究者が解説した。

 小見山さんは実は遺伝研の研究者。製薬会社から出向し、生命情報をコン
ピューターで扱う研究に励む。一方で遺伝研の五條堀孝教授を中心に大学の研
究者ら9人と企業3社で株式会社「国際バイオインフォマティクス研究所(B
iGG)」を設立、軌道に乗せようと走り回る。

 来場した銀行員らが興味を示したのは健康管理情報サービスだった。生活習
慣病の予防に役立つ「健康電子便構想」と名付けたプロジェクトだ。

 腕時計型などの器具をつけるだけで、利用者の血圧・体温・血糖値などを常
時管理する。データを携帯電話を使って医療機関に送り、診断結果を送り返す。
技術はほぼ実用段階にあるといい、実際に診断する医療機関の選定を進めてい
る。ネットワークの発達で医療機関の場所は問わないが、測定器具の開発は、
行き来がしやすい地元企業との連携を探る。

 大学法人化と同時に国立大学共同利用機関である遺伝研も法人化した。「情
報・システム研究機構」の傘下に入り、情報学(東京都千代田区)、統計数理
(同港区)、極地(同板橋区)の3研究所と合流。15の共同利用機関が、四
つの研究機構に統合されるという大幅な改革が始まった。

 三島市の高台にある遺伝研は桜の名所として有名。敷地には研究目的で集め
られた200種以上の桜が開花を競う。例年の一般公開では地元住民が訪れ、
花見を楽しむ。今年の開放は10日だ。

 設立から55年。こうした品種集めに見られるように遺伝研は生命現象を追っ
てきた。統合では情報・システムというコンピューター科学の分野に軸足を移
す。

 3月末まで遺伝研の所長を務めた堀田凱樹・新機構長は正しい選択だと語る。
「いまや理論が実験をリードする時代。次に何の実験をするかを決めるために
コンピューターを駆使しなければならない。統合する他の研究所の力も借り、
連携してやっていく」

 遺伝研はヒトゲノムなどのデータベースを持つ。どの遺伝子がどんな病気に
抵抗力を持ち、どんな薬剤が効くかどうかを個人ごとに判断する研究につなが
る「人類の宝」だ。こうした資産をもとに「世界レベルの研究」(堀田機構長)
を狙う。

 経営の手腕が問われるのは大学法人と同じ。05年度以降、教育研究費など
の国の経費は毎年1%ずつ削減される。広報・知財権研究室の富川宗博教授は
「研究は世界レベル。実用は地域との連携で」と語る。外部資金の獲得に向け
て地元企業との連携が「命綱」になる。=おわり

 (この連載は、坂田一裕、関根光夫、山口恵理子が担当しました)