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新首都圏ネットワーク

4月8日付大学管理本部長文書に関する見解

東京都大学管理本部長
山口一久殿

                     2004年4月15日 東京都立大学人文学部教授会

 大学管理本部長名による4月8日付文書が多くの重大な問題点を含むことは、都立大学総長による9日付学内向け緊急通知でその概略が示されたとおりである。しかし、上記本部長文書は、ようやく緒に着いた協議の過程を著しく歪曲して伝え、3月23日の理事長予定者も交えた4大学学長・総長会談から3月29日の第7回教学準備委員会に至る大学側の努力を無に帰せしめるものと評さざるを得ない。しかも、4月2日に総長名で送られた管理本部長宛意見書に対して何の回答もないままに、逆に教職員に対しこのような文書を一方的に送りつけるやり方は、大学との協議を拒否し続けてきたこれまでの姿勢と実質的に何ら変わるところがなく、到底受け入れられるものではない。それどころか、うわべで協議の形を装いながら、結果においては巧妙に大学の意見を排除する点においてさらに悪質であり、総長の呼びかけを受け現計画への疑念や異論にもかかわらず前向きの検討を行うことに同意した教職員に対する重大な信義違反と言うべきである。総長をはじめ都立大学委員は、些少なりとも大学問題に識見を有する者として、新大学を真に大学の名に値するものとするために意見を申し述べているのであり、たとえ管理本部案を批判することがあったとしても、虚心に耳を傾け改善を図ることこそ設置者に望まれる態度であろう。

 以下、やや詳細にわたり疑義および反論を申し述べる。

 1.4大学学長・総長懇談会(2004年3月23日)の内容について

 まず第一に、都立大学総長の呼びかけで開催された4大学学長・総長懇談会には、高橋理事長予定者も出席し都と大学の十分な協議が必要である旨の発言を積極的に行ったと伝えられるにもかかわらず、管理本部長のまとめにはこのことがまったく触れられていない点を指摘すべきである。3月30日の総長メモにあるように、この懇談会の主眼は、「2005年4月、新大学を開設すべく、大学の代表たる総長・学長、大学管理本部長、学長予定者、理事長予定者による十分な協議を行いつつ準備を進めること」の確認であった。本部長による概要は、当日の発言のうち都合のよい部分を列挙したに過ぎず、席上総長から出されたと伝えられる反論は故意に無視しながら、ありもしない「意見の一致」を捏造するに等しい。とりわけ、Bの第3項に、「新大学への参加意思を示した人たちは、新大学の基本的な枠組みを了解したうえで建設的に新大学の実現に取り組むことを表明したのであり、文部科学省への申請段階で反対運動を展開するということは許されない」とあるのは、意思確認書の許すべからざる趣旨逸脱にほかならない。協議体制の設置に向け「重要な前進があった」旨の総長の呼びかけに答え、最終的に意思確認書を提出した教員は、認可申請そのものを故意に妨害する意思のないことを示したに過ぎず、新大学計画をよりよいものにするために必要な批判を行う権利を放棄したわけではないことは、ぜひ強調しておく必要があろう。


 2.第7回教学準備委員会(2004年3月29日)関係事項

 第7回委員会の議事及びその後の経過については、すでに4月2日付都立大学総長意見書においても疑義が呈されているが、全体として改めて指摘すべきは、相も変わらぬ恣意的な議事運営法である。大学を代表する形で総長も参加して行われる「協議」なるものが、このような形式だけの見せ掛けであり、実質を欠く空虚なものにとどまるのならば、人文学部としてこれ以上いっさいの協力は差し控えるべきと判断せざるを得ない。東京都は、これにより設置認可審査上いかなる障害や混乱が生じようとも、その責任はひとえに自らの不法な準備体制にあることを知るべきである。

 @の単位バンクに関しては、総長以下出席した委員の報告による限り、部会長報告に対し異論が続出し、設置申請に向けて大幅な手直しの必要なこと、拙速な導入を避け慎重に継続審議とすべきことなどが合意されたのみであり、単位バンク推進のための「学長直轄の独立組織」などという組織案を委員会として了承するどころか、その審議さえ行われなかったとされる。それにもかかわらず、あたかも合意を見たかのような記述を行うことは、およそ協議というもののあり方を無視した非民主的手続きであり、直ちに撤回を求めるものである。なお、本部長文書には触れられていないが、単位バンク検討部会報告の問題点を指摘するなら、単位バンクなる制度自体、その概念からして大学としての責任ある教育体制と矛盾し、現行案のような形で導入を急げば無用の混乱を招くことは必至であろう。とりわけ、審査のうえ全科目を例外なく単位バンクへの登録科目とし、審査に通らない科目は開講を許可しないとされる点は、学問の自由と大学の自治の根幹を揺るがす大きな問題を含んでいると判断せざるを得ない。改めてこの新奇な制度の再考を強く求める所以である。

 Bの学部等名称は、都市教養学部について強い異論が出され、むしろ代案として選択肢に含まれていた総合教養学部を推す声が多かったにもかかわらず、座長一任の結果、当初案通り都市教養学部に決定とされたことが伝えられている(4月2日付総長意見書)。当日議論に参加した総長は、これに強い違和感を覚える旨表明し、このような決定に至った合理的理由の説明を行うよう求めているが、この要求はあまりに当然と言うべきである。すでに繰り返し指摘されて来たように、新大学が「大都市における人間社会の理想像の追求」を使命とするとしても、普遍性・基礎性を旨とすべき「教養」の概念に安易に「都市」を冠することはあまりに偏頗な特殊性の接合であり、理念的整合性に基づくべき学部の名称としてはいかにも異様なものであろう。

 Dの経済学コースの取り扱いに関しては、何よりもまず、定数問題の未解決を原因とする調整の不調を以って直ちに経済学コースの非設置を決定するごとき審議過程に深い疑念を呈さざるを得ない。このようなこじれは、もっぱら昨年8月1日以降の東京都の上意下達の強引さに由来するものであり、東京都は、予め現大学と公に十分な協議を行い各構成員の納得を得ることなく設置準備を進めようとした点を深刻に反省すべである。無理な日程と頑なな強硬姿勢のせいで十分な教員の同意を取りつけることが危ぶまれるや、就任承諾書以前に法的根拠のない意思確認書を強要し、配置先、雇用・勤務条件等不透明な状況のなかで不可能ともいえる決断を迫り、当然の権利として保留を貫く者を切り捨てるというのは、まことにもって横暴としか表現しようがない。

 Eの今後の進め方に関連し、現大学の構成員の意見をまったく聴取することもなく学部長等予定者が一方的に指名され、これらの予定者を柱として今後の検討体制を敷く旨が通告されたが、このような進め方には大学設置準備手続きとして著しい瑕疵があると言わなければならない。2003年10月7日付都立大学総長声明、2004年1月27日付の同評議会見解などに示されているとおり、都立新大学の設置はいわゆる改組転換の方式に準ずると解すべきであるところから、関連諸法規などにより、現大学との十分な協議を要請するものであることは言を待たない。したがって、今後は、現大学の部局を代表する者の意見が今まで以上に尊重されることが肝要であるとともに、新大学の学部長等予定者も現大学構成員の意見を聴いたうえで初めて決定されるべきである。新公立大学法人の定款がどのようなものになるにせよ、新大学においても大学の自治は絶対に譲れない根幹の要件だからである。


 3.法人化及び人事制度に関する事項

 この項目は、経営準備室運営会議においてもまだ未検討の事項であり、これがどのような位置づけのもとに4月8日付本部長文書に掲載されたかを改めて問いただす必要があろう。こうした重要な論点について、あたかも既定事項であるかのように通達を行うことは、明らかに現大学との協議をないがしろにするものである。また、そこで提示されている考え方には多くの錯誤や無理解があり、それが実現すれば新大学の正常な発展が阻害されることも疑いを入れない。いずれにせよ、上意下達の命令系統、教育研究等に関わる一方的業績評価、採用・昇進等人事管理体制の類を見ない強化、大学を発展させるべき本来の経営的視点とはまったく異質の、後ろ向きの予算配分・人件費運用(任期制・年俸制等)など、このまま大学の自治を圧し殺す制度的基盤が整えられるならば、新大学にいかなる未来もないことはいくら強調してもし過ぎるということはない。大学管理本部は、行政組織や営利企業とは根本的に異なる大学の特質に特段の配慮を払い、経営準備室運営会議において、真摯に大学の意見に耳を傾けつつ至急これらの問題を具体的に議論すべきである。

 4.教学に関して質問の多かった事項

 前項同様、この項目も、質問の主体が誰なのか、示された回答は誰の責任において行われているのか、これはそもそも単なる叩き台なのか、あるいはどこかでオーソライズされた既定方針なのか等、きわめて曖昧であり、本来であればまともに議論の俎上に上せるには及ばないとさえ判断される。しかしながら、本部長文書に取り上げられている以上これらは拘束力を持つ可能性があり、ここでは、うち一点につき疑念を述べる。

第1点の「オープンユニバーシティ等センター教員」に関し、「所属の別により大学院における研究指導等を区別するものではない」との方針は評価できるが、大学院担当のために「新たに定数を設けることは考えていない」とあるのは、現計画における学部・センターの定数配置を固定するものであり、研究重視の大学院構想とはまったく相容れない。とりわけ、現人文学部のように、大幅な定数減により高度な基礎研究の拠点として機能して来た実績の保持が危うくなっている部局の場合、大学院の構想において相応の定数上の配慮が払われなければ、研究・教育に壊滅的打撃を蒙る恐れが大きいことは強調されるべきであろう。第7回教学準備委員会において学術研究の重視が承認されたと伝えられているが、基礎研究に十分な資源を配分することなくして研究重視の大学ができる道理はない。2003年度大学評価・学位授与機構による評価を見ても分かるとおり、人文学部大学院におけるこれまでの研究・教育の成果は、他の有力大学に比して勝りこそすれ決して劣るものではないとすれば、この文化的蓄積をあたら散逸せしめるのは、およそ首都東京の名を汚す恥ずべき行いと断ずるほかはない。

以上