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新首都圏ネットワーク


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Academia e-Network Letter No 98 (2004.04.18 Sun)
http://ac-net.org/dgh/blog/archives/000589.html
ログ http://letter.ac-net.org/log.php

━┫AcNet Letter 98 目次┣━━━━━━━━━ 2004.04.18 ━━━━

【1】 白井厚氏「大学ーー風にそよぐ葦の歴史」抜粋
http://ac-net.org/dgh/01/901-shirai.htm
日本経済評論社 1996.12.8 ISBN 4-8188-0903-9

□その精神状況というものは、大学としては自滅ではな
かったんだろうか。だから大学ははたして大学だったの
だろうかということです。□

【2】 転載:緊急共同声明の賛同呼かけ
http://www.jca.apc.org/wsf_support/ngo_statement.html

□このような世論形成は、人命を軽視した安易な武力行
使や実力行使を正当化させかねず、NGOなどによる海外
での活動を大きく制約しかねないという危機感を大変強
く持っています。□

【3】投稿「人質自己責任論の恣意性と危うさ」
Sat, 17 Apr 2004 03:14:11 +0900

□3人は自分自身の国境を超えた博愛の実践活動の実績
で自分の身を守ったといっても過言ではないのです。□

【4】「自己責任論」を巡る言説

 【4-1】 Publicity 904 「陰惨なイジメ大国」ニッポンの本性を撃て
   http://www.emaga.com/bn/?2004040047191840021235.7777
   Publicity 登録ページ:http://www.emaga.com/info/7777.html

  【4-1-1】 松沢呉一氏の意見

□戦地に取材に行って死んじゃった人たちはこれまでに
もいっぱいいますが、こういう人たちに「自業自得」な
んて言葉を投げつけるのなら、命がけでビデオを回し、
写真を撮り、記事を書いている人たちに失礼だから、二
度とニュースや雑誌を見なさんな。□

  【4-1-2】 Publicity 編集者の意見

□“「いじめられる側にも理由がある」という「論理」
が「暴力」になる、という論理”を理解できない人のこ
とを、「日本人」と呼ぶのだ。それをどう変えるかとい
う問題だ。□

 【4-2】ルモンド 2004.4.16 「日本:高揚する人道主義」(抄訳:橋本尚幸氏)
http://homepage.mac.com/naoyuki_hashimoto/iblog/C394170269/E2083218708/index.html
□この出来事は日本の若者の間において利他主義の価値
観が強まっていることを示すものである。・・・・本当
の日本の強みとか創造性は、経済指標には現れないこう
した市民活動にあるのである。□

【5】お便り紹介

 【5-1】Fri, 16 Apr 2004 08:55:27 +0900

□ ”もっとも重要な正義の諸概念は,世界はいかに運
行すべきかに関する特定の公式から導出されるものでは
なく,誰の眼にも明々白々な根深い不正義(patent
injustice)を,一つ一つ暴いていくことに見出されるで
あろう(Amartya K. Sen (後藤玲子訳))”□

 【5-2】Sat, 17 Apr 2004 11:33:24 +0900    

□経営協議会学外委員の中から「もはや学問の府ではな
くなった」という発言があったと聞き驚いています。□

【6】 ネットからのクリップ
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━ AcNet Letter 98 【1】━━━━━━━━━━ 2004.04.18 ━━━━━━

白井厚氏「大学ーー風にそよぐ葦の歴史」抜粋
日本経済評論社 1996.12.8 ISBN 4-8188-0903-9
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4818809039/hon-22/249-5420018-2114769
抜粋: http://ac-net.org/dgh/01/901-shirai.htm
───────────────────────────────
(2001.9.3 http://ac-net.org/wr/wr-66.html#[66-7-2] 再掲)

「・・・大学の目的は、こういった教育・研究を通じて、長期的に
人類の将来の幸福に貢献するものであると考えられます。このへん
が国の政府の目的とは違うわけです。国の政府ですと、関心は個人
の権力やナショナル・インタレストであります。今の政権がいつま
で続くか、次の議会をどうやって乗り切るか、今度の戦争をどうやっ
て勝かというような問題でありまして、常に短期的な利害というも
のを考えなければならない。しかし大学はそういう目的に奉仕する
のではなく、長い将来にわたって人類の幸福ということを考えなけ
ればならない。大学の目的と国家の目的は違う。基本的に矛盾しま
す。・・・・

□ 五十年目の大学評価 p27

大学というのは高等教育機関ですね。去年のわだつみ会の八・一五
の集まりの時だったかと思いますが、当時の日本人がみんなお国の
ために夢中になって戦争に協力をしていた。・・・それに対する疑
問をもった人は非常に少ない。それは教育の効果である、という話
があった。しかしそのときにどなたかが、しかし大学の教育として
は失敗ではないかと発言されて、私はなるほどなと思いました。

大学だけを特別視するのはおかしいけれども、もっとも批判的な精
神を涵養するところが大学であろうと思います。その大学の学生も
教授たちも、戦争目的に対する批判的な見解というものはほとんど
もたなかった。もったごく少数の人は牢獄に入れられた。しかしそ
れ以外の人はほとんどもたなかった。あるいはもとうとしなかった
という、その精神状況というものは、大学としては自滅ではなかっ
たんだろうか。だから大学ははたして大学だったのだろうかという
ことです。小学校なら国定教科書で教えるわけですから、やむをえ
ないと思います。しかし大学には国定教科書はありませんし、まが
りなりにも学問の自由とか言えるような時代に、しかも意外に敗戦
の間際までけっこう自由にしやべっていた人もいる。学生などもけっ
こう自由に動きまわっていた例も幾つもありました。そういうとき
に積極的にこの戦争目的に対する疑問がほとんどどこからも提起さ
れなかったということは、大学としての自滅ではないだろうか。そ
こで、記億に残る大学教員の発言リストをつくったのは、50年目
の大学評価ではないかというふうに思っています。

□ 大学の責任と反省

・・・政治に対する批判とか、真理の探求とか国際情勢の分析とか、
そういう本来大学がやるべき使命を完全に放棄してしまった責任、
そういうものをいったいどう考えるのであろうか。このことが戦後
行うべき大学の一つの仕事ではなかったかと思います。

・・・戦後二、三十年ぐらいで、落ち着いたところで大学は大学と
しての戦争責任というものを自分で整理をする作業をやるべきでは
なかったか。今となっては若干遅きに失した。しかし今からでも、
やらないよりはましかもしれません。大学によっては、かつては右
翼の大学として有名だった大学が、非常に反省して、がらりと内容
を入れ替えて、平和のために、戦争を二度と起こさないために努力
している大学もあります。全然そういうことを考えない大学もあり
ます。大学の評価というのは、いろんな点でなしうることだと思い
ますけれども、過去を正確に調査して、誤りを二度とくり返さない、
そういう決意をもつ、そのための手段をもつ、そういう大学が、将
来ともに生き残るべき優れた大学ではないだろうか。逆に言います
と、そういうことを一切行うつもりがない大学は、世の名声にも関
わらず、学生の偏差値にもかかわらず、大学としては、真理を追求
すべき社会的責任をもつ大学としては失格ではないかと思います。
戦争責任の前に社会的責任があります。・・・・」


(*1) 1994年8月15日、飯田橋の家の光会館ホールで開かれ
た日本戦没学生記念会〔わだつみ会〕主催の講演会記録。「きみと
語りたい、私の8・15−−日本人それぞれの戦争責任−ー」とい
う共通テーマの中で、大学の責任を論した。同年2月発行の『わだ
つみのこえ』No99に録音記録を掲載。)

━ AcNet Letter 98 【2】━━━━━━━━━━ 2004.04.18 ━━━━━━
転載
緊急共同声明の賛同呼かけ
http://www.jca.apc.org/wsf_support/ngo_statement.html
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(回覧をお願い致します。回覧期間 2004年4月21日)
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■
■(共同声明) ■
■「自己責任」論による非政府組織(NGO)、市民団体、ジャーナリ ■
■スト等の活動への批判に憂慮します ■
■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■■

わたしたちは、世界中の人々との草の根の交流、人びとの生活や人
権などへの支援活動、ジャーナリストとしての活動などをおこなっ
ている非政府組織(NGO)、市民団体やこれらに関わる個人です。わ
たしたちは、イラクにおける人質事件以降、政府および一部のマス
メディアが今回の人質事件の原因を危険なイラクに出向いた被害者
たちにあると批判し、事態の責任を「自己責任」の名のもとに、現
地で活動しているNGOや個人に転嫁しようとしていることに大きな
憤りと悲しみを感じています。(注)

このような「自己責任」論は、NGO等として紛争地域などで活動す
る人たちの人命が危険にさらされるような事態になったとしても、
それは当事者の責任であると考えるあやまった世論をつくり出して
しまいます。このような世論形成は、人命を軽視した安易な武力行
使や実力行使を正当化させかねず、NGOなどによる海外での活動を
大きく制約しかねないという危機感を大変強く持っています。

政府や一部マスメディアが主張する「自己責任」論は、自律した個
人が自らの責任で社会活動をすることの意義を意味するという、そ
の本来の意味をすりかえにしています。そして、人質の人たちとそ
の家族を、そのようなまちがった「自己責任」論によって批判する
ようなことはすべきではないということを強く訴えたいと思います。

紛争地域などでのNGO活動には多かれ少なかれリスクは伴います。
このことは、海外で活動する人びとにとっては十分理解されていま
す。武器をもたずに、どこかの国家の組織に属することもなく、イ
ラクの人びとの安全や人権を守り、真実を伝えるために危険な地域
におもむいた人びととその行動を「自己責任」論を持ち出して批判
することはできません。ところが、現在、政府や一部のマスメディ
アが批判のために持ち出している「自己責任」論は、紛争地域での
NGOやジャーナリストなどの活動を萎縮させて閉め出し、その独立
性を失わせ、ますます地域の不安定を助長することになりかねない
のです。

はたして自衛隊や日本の政府がNGOにかわって劣化ウラン弾の被害
の調査を行ったり、貧しい子どもたちを支援するといった活動を行っ
てきたでしょうか。また、政治的な理由に左右されることのない人
道支援を行えるでしょうか。戦争の被害を当事国の利害や国益にと
らわれずに正確に把握することが果たして戦争の当事国にできるも
のなのでしょうか。国連のガイドラインでも、人道および軍事活動
間の明確な区別を維持するために、軍事組織は直接的な人道支援を
すべきではないという基準を設けており、紛争地域で中立な立場で
人道支援できるのはNGOだということが確認されています。これに
反して、「自己責任」論は、人道支援の軍事化を促し、人びとの安
全をますます損なう結果となることに強い危惧を持つものです。

NGO や市民団体は、政府や軍隊には出来ない多くの分野で支援の実
績を達成してきました。この事実は正当に評価されるべきことであっ
ても、「自己責任」の名において批判されるべきではありません。
あるいは、戦時のマスメディアがどれほど戦争の真実を伝えてきた
でしょうか。軍隊や政府の庇護を受けないフリーのジャーナリスト
の報道は不要だといえるでしょうか。検閲や自主規制にとらわれな
いフリーのジャーナリストが戦争の真実を伝えるために、報道の自
由に果たした役割ははかり知れません。

私たちは、政府や一部マスメディアによる「自己責任」論に基づく
人質とその家族の皆さんへの批判はいわれのないものであって間違
いであり、これを撤回することを強く望むものです。そして、現在
のイラクの状況から、人道支援の最大の障害は軍隊なのだというこ
とがあらためて明らかになっているということを強調したいと思い
ます。日本政府が自衛隊をいち早く撤退させ、米国や連合国にも軍
隊の撤退を働きかけかけることこそが、イラクの人びとの生活と生
命の安全を保障し、NGOなどの援助活動、人権監視活動、ジャーナ
リストとしての活動の安全を確保するもっとも確実な方法なのです。

(注)「自己責任」論についての政府、報道機関の言及の一例

外務省の竹内行夫事務次官の発言「非政府組織(NGO)メンバー
によるイラク国内での活動について「自己責任の原則を自覚して、
自らの安全を自らで守るということを考えてもらいたい」

『日経』4月13日社説 「自己責任がイラクにおける基本的な行動原
則である」

『読売』4月13日社説 「自己責任の自覚を欠いた、無謀かつ無責任
な行動が、政府や関係機関などに、大きな無用の負担をかけている。
深刻に反省すべき問題」

=======切り取り線=======

「(共同声明) 「自己責任」論による非政府組織(NGO)、市民団体、
ジャーナリスト等の活動への批判に憂慮します」に賛同します。

お名前
所属
連絡先(メールかファックスをお書き下さい)

なお、いただいた賛同署名については、お名前と肩書きを公表いた
します。連絡先は公表されません。

===================

●賛同署名の送り先および問合わせ先は下記です。

賛同署名の送り先

電子メール jikosekinin@freeml.com
ファックス(ピープルズプラン研究所)03-5273-8362

電話での問合わせ先
    070-5553-5495 (小倉/WSF連絡会)
メールでの問合わせ先

ウエッブ上でのアクセス((WSF連絡会ウエッブサイト内)
http://www.jca.apc.org/wsf_support/ngo_statement.html

呼かけ団体/個人および賛同団体/個人のリストはこちら:
http://www.jca.apc.org/wsf_support/list.html

━ AcNet Letter 98 【3】━━━━━━━━━━ 2004.04.18 ━━━━━━

投稿「人質自己責任論の恣意性と危うさ」
Sat, 17 Apr 2004 03:14:11 +0900
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      人質自己責任論の恣意性と危うさ

3人が解放されるや、政府、一部の政党・マスコミから「人質自己
責任」論が沸騰し、救出費用自己負担論さえ台頭しています。私も
今回の3人のイラク入りが状況判断において問題なしとは思いませ
ん。

しかし、議論をそこに収斂させ、今回の人質事件をより大局的見地
から見ようとしない論調には政治的恣意性と危うさを感じます。

3人が解放されたのは、ご家族の献身的な訴え、内外の救出支援活
動、聖職者協会をはじめとするイラクの各界の方々の尽力によると
ころ大であったのはいうまでもありません。

と同時に、忘れてならないのは郡山さん、高遠さん、今井君がアメ
リカによる占領統治への協力者ではなく、逆に戦禍にあえぐイラク
国民の悲惨な実態を世界に伝え、支援の手をさしのべようとした日
本人であったことが正しく先方に理解されたこと―――このことが
3人の解放につながる大きな要因になったということです。この意
味で、3人は自分自身の国境を超えた博愛の実践活動の実績で自分
の身を守ったといっても過言ではないのです。

さらに背景を辿れば、こうした日本人の善意でさえも危険にさらさ
れる状況になった真因は、日本国政府が国連の枠組みでイラク復興
支援をという国際世論に背を向け、卑屈にもアメリカからの要請に
応える形で自衛隊をイラクへ派遣したこと、そのことがイラク国民
に、自衛隊、ひいては日本はアメリカによる占領統治への協力者と
みなされてしまったこと、にあります。

3人解放後のマスコミの世論調査によれば、自衛隊の撤退を拒否し
た政府の方針を7割以上の回答者が支持したと伝えられています。
その背景には自衛隊はあくまでも人道支援のために出かけたのだか
ら、という意識があるようです。

しかし、こうした国内世論を知るにつけ、私は今回の3人の解放に
尽力したイラク聖職者協会のメンバーが語った、「私たちの方が日
本の小泉さんよりも人質の方々を大切にした」という言葉の重みを
感じずにはいられません。さらに、3人が解放された今もファルー
ジャはアメリカ軍によって封鎖され、再攻撃の恐怖と電気、水道が
断絶した生活環境のなかにおかれていること、そして、ほかでもな
い日本国政府は一貫してこうしたアメリ主導の占領統治に世界有数
の支持を表明してきたこと、を忘れてはならないのです。前記の聖
職者協会メンバーが解放された3人に対して、ファルージャの実態
をぜひ日本の皆さんに伝えてほしいと託した言葉の重みを私たち日
本人が感受できないとしたら、あまりに悲しいことです。

実際問題でいえば、10日ほど前のテレビでサマワのある部族長が
自衛隊の今の活動について、「彼らは基地の中ばかりにいて何も支
援活動をしてくれない。12月まで待つが、そのときになっても今
のままなら、我々は黙っていない」と語っていました。これは、自
衛隊派遣の政治的経緯が人道支援の妨げになっていることの証左と
思われます。

人道支援をいうなら、自衛隊ではなく、電気、水道、建設といった
社会インフラの整備に通じた民間の専門家を派遣するべきでしょう。
彼らであれば、イラク国民に歓迎され、円滑に任務をまっとうでき
るはずです。それでも日本国政府が自衛隊にこだわるとしたら、そ
れは派遣の真の目的が人道支援にあるのではなく、アメリカへの忠
誠のアリバイ作りにあるのだというほかありません。

そこで、提案です。

次のようなことを訴える意見公告を全国紙に掲載することはできな
いでしょうか?

 1.自衛隊は人道支援のために出かけたといわれるが、本当か?
   現地でその任務をどれほど果たせているのか?
   人道支援を実効的に行うための提案

 2.人質自己責任論の国家主義的危険性と問題のすり替え

 3.ファルージャをはじめとするイラク国内の恐怖と貧困の実態

掲載料が莫大であることは承知していますが、多くの賛同者を募る
ことは不可能ではないのでしょうか?

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【4-2】ルモンド 2004.4.16 (抄訳:橋本尚幸氏)
「日本:高揚する人道主義」
http://homepage.mac.com/naoyuki_hashimoto/iblog/C394170269/E2083218708/index.html
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「・・・阪神大震災以降、日本の高度経済成長期に生まれた子供た
ちは、日に日に人道活動やボランティアに数多く従事するようになっ
た。イラクで人質になった彼等の仲間もそうだ。

イラクで人質になった若い日本の三人は、イラクの泥沼の中で、善
意だけを頼りにいったい何をしようとしていたのか? 自覚がない
のか、それともナイーブなのか? 彼等以外に拘束されたと見られ
る二人の若者についても言えることだが、この出来事は日本の若者
の間において利他主義の価値観が強まっていることを示すものであ
る。・・・・・・

1970年から80年にかけて、日本人の若者でアジアの各地をル
ンペン旅行するものが居たが、彼等はごく少数派にしか過ぎなかっ
た。今日、日本では男女を問わず多くの若者たちが無数のNGO活
動に携わって海外に出かける。アフリカやアジアのとんでもない奥
地へである。大学生が夏休みに出かけるのもいるがフルタイムでそ
んなことをする若者の方がずっと多い。日本の世間は、三人の向こ
う見ずな錯乱した行いを執拗に非難して三人の家族を責めるが、多
くの親たちはいつなんどき彼等の子供たちが同じような行動に出な
いとは限らないことを良く知っているのだ。

すべての若者が夢を実現できるとは限らないが、日本列島は、こと
世界的な人道主義の高まりという動きの中で決してマージナルな存
在ではないのである。日本ではさらに高年者たちまでがNGO活動
に参入を始めている。それぞれ個別の活動は地味で小さいものの、
確実に日本で市民社会が形成されつつあることを物語っている。

世界第二の経済大国とかが世界の新聞の見出しをにぎわすが、本当
の日本の強みとか創造性は、経済指標には現れないこうした市民活
動にあるのである。

日本のNGO組織は欧米のものと較べると規模が小さくバラバラで
ある。地域性が強いのが特徴だ。規模が小さいからこそ多様性があ
り、それが強みともなっている。多様性があるからこそ連帯の精神
も生まれる。

・・・・・・日本が苦しんでいる長い経済不況は、生産性と経済発
展という60年代から80年代にかけて日本を支配した神話をうち
砕いた。おかげでその期間は端っこに押しやられていた市民社会と
いうものが息を吹き返したのである。

・・・・・・彼等は一般的に地味で、あまり目立たず、理屈をこね
たり大風呂敷の議論をするよりは実践を重んじる人たちである。彼
等の資本は有り余るほどの善意だけだ。組織は弱体で要員の質もそ
れほど高くはない。お金がないので小さいプロジェクトしかできな
い。多くは個人の献金で成り立っている。日本の慈善活動は、20
03年に発表された報告書によると寄付金額全体では世界でも高い
方である。しかし多くの日本のお金は大きな国際機関に流れ、日本
の零細NGOには資金を集める能力がない。

活動家の最初の世代は60-70年代の学生運動家だった。しかし
いまは違う。もっと若い世代で組織だったものではない。でも阪神
大震災の時、未だかってみられなかったような連帯を示した。13
0万人ものボランティアが集まったのだ。まさに国家の影が薄くな
り「市民社会」が出現している。もちろん混乱はあったが、彼等は
巨大な動員力を示した。以来、NGOは急速に増えてきた。

1998年の法律でNGOの設立が、欧米の基準からすると税制面
などで不十分な子のではあるが、認められるようになった。効率が
悪いODAにかわる活動も組織的にできるようになった。政府はN
GOが日本の国際イメージの改善に繋がることを知りNGOのある
ものについては政府か支援するようになった。しかしほとんどのN
GOは独自性を維持するために政府からお金を貰っていない。

日本がいま其の平和ドクトリンを捨て去ろうとしているとき、NG
Oがいま新しい戦争反対の推進者となろうとしている。イラクで捕
まったこの三人はこの理想を共有していた若者である。ボランティ
ア運動の常として、彼等の平和運動も一つにまとまったものではな
い。ヨーロッパに老いてみられるような大規模なデモもない。しか
しいったんこのバラバラな運動に火がつくと大きな運動に結びつく
可能性がある。阪神大震災では、これが可能だと云うことが示され
ているのである。 」

━ AcNet Letter 98 【5】━━━━━━━━━━ 2004.04.18 ━━━━━━

お便り紹介

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【5-1】Fri, 16 Apr 2004 08:55:27 +0900
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「・・・・・・以前はあまりマスメディアに疑問を持つようなこ
とはなかったのですが,独法化の過程を経験することにより,やっ
と,世の中の動きが理解できてきたように思います.また,以前
は英語では,論文以外は読んだこともなかったのに,海外メディ
アのHPの記事をよませていただきました.その中でアルジャジー
ラのHP に天秤の絵がありました.やはりジャーナリズムとは,
すべての立場から中立でなければならないと思います.このとこ
ろ,”社会貢献する”という掛声のもとに,中立でない報道が内
外でみられるようですが,よく考えると大学だって似たような状
況のような気がします.そう考えると,ジャーナリズムと学問に
は通じるところがあると思われます.わたし自身は,工学部の中
で制御理論を研究していますが,その分野の中に,ロバスト制御
というものがあり,それは,「最悪なものを抑える」という考え
方からきています.それと以下の経済学者であるセンの言葉は共
通するのではないかとも考えています.

”もっとも重要な正義の諸概念は,世界はいかに運行すべき
かに関する特定の公式から導出されるものではなく,誰の眼
にも明々白々な根深い不正義(patent injustice)を,一つ一
つ暴いていくことに見出されるであろう(Amartya K. Sen
(後藤玲子訳))”

今,イラクで起きていることを考えると,我々はこの言葉の重み
をかみしめる必要があると思っています.かといって,家族を持
つ身でなかなか無謀なこともできませんが...」

───────────────────────────────
【5-2】Sat, 17 Apr 2004 11:33:24 +0900
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「イラクの3人の人質が解放され、まるで知り合いの事のように
喜びました(まだ2人の方、および他の国の方々が人質になって
いらっしゃいますが)。ところが日本政府の談話を聞いていると、
まるで自分たちが助けてやったんだ、という高飛車な態度で驚い
てしまいました。日本の政府は日本の政府のために働いているだ
けで、国際貢献などは行っていないのに(少なくとも政府の中枢
で働いている人たちは)、本物の国際貢献をしている人たちに余
計なことをするなというのにはあきれてしまいます。そして、そ
の政府を支持する人が多いことにがっかりします。一方で、危険
を顧みずに行動を起こす人たちを誇りに思いますし、その人たち
を支えている人も多いと思います。

**大学では経営協議会学外委員の中から「もはや学問の府では
なくなった」という発言があったと聞き驚いています。大学法人
になったとはいえ、株式会社になったわけではなく、「大学」で
あるからには学問の府でなくてなんなのでしょう?「産学連携な
どを進めると同時に、学問の府であることをこれまで以上に強く
認識して」というのが当たり前の考え方だと思います。法人化を
進めてきた流れに立ち向かう強い意志と行動力がますます必要に
なってきたと思っています。」

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