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新首都圏ネットワーク

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Academia e-Network Letter No 91 (2004.04.08 Thu)
http://letter.ac-net.org/04/04/08-91.php
ログ http://letter.ac-net.org/log.php

━┫AcNet Letter 91 目次┣━━━━━━━━━ 2004.04.08 ━━━━

【1】ウェブログより「日本が大義に戻る最後の機会」

【2】 阿部泰隆編著「京都大学井上一知教授任期制法「失職」事件」(仮題)
 信山社2004年

 【2-1】目次

 【2-2】第6章 京都地裁平成16年3月31日判決論評
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━ AcNet Letter 91 【1】━━━━━━━━━━ 2004.04.08 ━━━

ウェブログ dgh/blog より「日本が大義に戻る最後の機会」
http://www.ac-net.org/dgh/blog/archives/000576.html

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「誘拐された高野さんはバクダッドのストリートチルドレンの生活
自立を支援する活動に取り組んでいた。バクダッドでの活動は、フォ
トジャーナリストの森住氏のイラクレポート(*1) で1月に紹介さ
れた。このことを都立大の長谷川宏さん(*2)から教えていただき、
このブログ(*3)で、高野さんの支援呼びかけを紹介したことがある。

(*1)http://www.morizumi-pj.com/iraq5/08/iraq5-08.html
(*2)http://letter.ac-net.org/04/04/07-90.php#2
(*3)http://www.ac-net.org/dgh/blog/archives/000495.html

平和憲法をもつ日本にふさわしい復興支援、日本が国をあげておこ
なっても全くおかしくない復興支援を、一人で取り組んでいた高遠
さんを、「国益」のための大義なき自衛隊派遣が窮地に追いやって
しまった。高遠さんたちを救うことが、日本が大義に戻る最後の機
会であることは疑いない。」


━ AcNet Letter 91 【2】━━━━━━━━━━ 2004.04.08 ━━━━

阿部泰隆編著「京都大学井上一知教授任期制法「失職」事件」(仮題)
 信山社2004年

#(原稿は出版社に渡っていて、6月頃に刊行予定とのことです。)
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【2-1】 目次
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第1章 本件事案と法律問題の要約    1頁

第2章 事件の真相と裁判所、学長への要望書     14頁

第3章 「失職」の処分性と実体法上の違法性     53頁

第4章 同意に瑕疵があるとの理論構成   148頁

第5章 大学教員任期制法の違憲性
・政策的不合理性と大学における留意点  192頁

第6章 第1審京都地裁判決 238頁

『資料編』(略)

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【2-2】第6章 京都地裁平成16年3月31日判決論評
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一 裁判の概要

本件は同一事件ではあるが、訴訟としては2つの事件からなる。
そして、2つの同じ内容の判決が同時に言い渡されている。

ひとつは、平成15年(行ウ)第8号の地位確認等請求事件で、
4つの訴えが選択的に併合されている。

@ 京大再生研教授たる地位確認訴訟、A被告京都大学総長が、
平成14年12月20日付でした再任拒否処分の取消請求、B
が被告京都大学総長は原告に対し平成15年5月1日付で原告
を再生研の教授として再任する旨の処分をせよとの義務付け訴
訟、C平成10年5月1日付の本件昇任処分に付された「任期
は平成15年4月30日までとする」との附款が無効であるこ
との確認訴訟、である。

このうち、A、B、Cは却下(門前払い)、@は棄却(これ
は門がないので中に入って排斥)された。

もうひとつは、平成15年(行ウ)第16号再任拒否処分取消
請求事件で、京都大学学長が原告井上教授に対して平成15年
4月22日付でした任期満了退職日通知書に基づき原告を同月
30日限りで失職させる旨の処分は取り消せという訴訟である。
この争点は、この通知が行政処分かどうか、これは違憲、違法、
内規違反を理由に取り消されるべきか、という点にあるが、裁
判所は、行政処分ではない、として却下した。

16号事件の理由は皆同じであるので省略し、ここでは8号事
件の争点を検討する。

争点は、裁判所の整理によれば次のようである。

争点1 原告は平成15年5月1日以降も京都大学再生研教授
の地位にあるか。具体的には、国立大学教員の任期制とは何か、
本件昇任処分の任期を定めた部分のみが無効であるといえるか、
昇任処分に対して原告の同意を得る手続に瑕疵があった場合、
任用の効果に影響があるか、本件のうち@の請求に理由がある
か、Cの請求は適法かどうか。

争点2 本件通知は原告を失職させる行政処分であるか、被告
京都大学総長は原告を再任することを義務付けられているか。
本件訴えのうちABの請求は適法かどうか。

判決は、本件訴えのうち、再任拒否処分の取消訴訟、再任の義
務付け訴訟、任期の無効確認訴訟は却下、地位確認訴訟は棄却
という結論である。

この判決については、本書末尾に資料15として添付する。以
下、この判決が指摘する論点について検討する。

二  任期制への同意の瑕疵の恣意的否定

判決文二争点1の5で扱われている原告の任期制の同意の瑕疵
について、この判決は極めて恣意的な事実認定と判断をしてい
る。原告が任期につき「同意しますと明確に記載した同意書を
自ら作成して提出したうえで、本件昇任処分を受けたことが明
らかであって」、という以上、任期制の趣旨について説明がな
くても、「任期を5年としてされた本件昇任処分は、法律上の
効果が何ら左右されるものではない」、というのである。この
説明がなくてもと書いた部分は筆者の言い方であるが、判決で
は、「任期が満了すれば法律上は当然に退職するのであり、再
任されることがあり得るとなっていても、法律上は、任命権者
に再任を求める権利はないことを、公募要領に明記するなどし
て十分に説明することが望ましかった」とか、「事務長の説明
も、再任が繰り返されることが当然であるかのような誤解を与
えかねないもので、むしろ任期法による任期制度が新しい制度
であることからも、任期満了の場合に法律上は再任される保障
は一切ないことを明確に説明することが望ましかった」として
いる部分である。

要するに、とにかく同意書を自ら作成して提出したという事実
だけで、既に任期満了で失職という効果を生じ、説明の不備は、
十分説明することは望ましかった、というレベルの低い別次元
のものにとどめられている。なぜこのように、書面を取られた
ら、万事休すなのか。

原告側は、本件では、書面の上では確かに任期に同意している
が、その同意は事務長の説明によってなされたものであるから、
この同意は普通にやっていれば再任されるという性質の任期へ
の同意であり、任期満了で失職するというのでは錯誤があった
と主張している。説明と同意とは一体のものと考えている。事
務長の説明、あるいは公募上での説明の不存在は、単に、十分
に説明するのが望ましかった、というレベルではなくて、同意
書を徴収するときには何についてなぜ同意するのか説明しなけ
ればならず、その説明が全く反対なのであるから、同意の意思
表示に瑕疵があると考えるべきではないのか。この点は安永意
見書(第4章第2節)で明らかである。

裁判所はこの件について直接には反論することなく、なぜ錯誤
でないかを説明せず、書面だけ重視している。裁判所は、任期
法の性質に関する説明と、任期への同意を切り離し、全く別次
元のものとして扱うことによって、この原告の主張を乗り越え
たつもりであろうか。しかし、同意は、説明を受けて行われた
ものであるから、これを切り離すことはできないのである。 

それから、「同意書は自ら作成して提出した」と認定されてい
るが、これは本人尋問記録からも自ら積極的に作成して提出し
たものではなくて、判決も、第三当裁判所の判断 一 争いな
い事実5において、「昇任に必要な書類であるとして見本の用
紙を示され、」「急ぐのでこの書面のとおりに書いてください、
大至急お願いします」、といわれたため、言われるままに自ら
記載したと認定しているのであって、自ら作成して提出したと
いうことが意味する、自発的発意とは全く逆である。

任期への同意を取られたときに見せられたのが単に京大規程の
中の再任可という部分だけで、任期制の規程全体ではないこと、
任期制度について法的な説明がなかったことも無視されている。

原告が、自分も再任されると考えて同意書を作成したことは、
この判決では再任されることを期待していたのにすぎない、と
されている。

しかし、井上教授は、単に再任されることを勝手に期待してい
たのではなくて、普通にやっていれば再任されるという説明を
受けたから、同意書に署名したのであって、判決は前提の事実
を誤認していると思われる。これでは、プロポーズされたので、
同意してキスしようとしたら、片思いだ、セクハラだといわれ
るのに等しい。

この判決は国会の附帯決議や再任拒否の経緯、同意書を取られ
た経緯などについてはそれなりに整理しているが、法理論にな
ると、とたんに同意書絶対、法律の条文絶対ということで、そ
れ以外のことを一切考慮しない。なんのために事実審理をした
のか、法解釈論をやっているのか全くわからない。

この判決は、二争点1の6附款の部分で、 「任期付きの任用
は・・・任期付きでない任用処分とは根本的に法的性質を異に
するものであって、任期付きの任期の定めは任用行為に不可欠
もので」と述べるが、もしそうなら、同意を取る際にこの採用
は任期付きであることをきちんと説明しなければならないので
あって、説明するのが望ましいが、説明が不備でも、「再任さ
れることを期待していたのにすぎない」というレベルものでは
ないだろう。この判決の矛盾のひとつである。それに、任期付
き任用に不可欠なのは任期の定めだけではなく、本人の真意に
よる同意である。なぜ、同意の方はかくも軽視されるのか。

原告は、この同意に錯誤があるという理由として、同意書を取
られた翌日に、協議員会で、「原則として5年の時限を課す」
という申し合わせが行われ(資料5)、研究所はこれを再任拒
否の根拠としている(資料11)ことを指摘した。原告は仕事
をしっかりやっていれば再任される任期制だと理解して同意し
たのであるが、そうではないという裏の了解があったというの
であるから、錯誤であることは明らかである。このことは本人
尋問調書にも出ている(第2章)し、原告準備書面でももちろ
ん主張している。安永意見書(第4章第2節)はこれを鋭く突
いている。しかし、この判決はこの重要な事実と主張に何らふ
れていない。重要な判断逸脱である。 

この判決は、後に述べる学問の自由の項で、「その自由意思に
基づいて一定の任期付きで任用することまで禁止されていると
解することはできない。」とした。仮にこの判決の立場に立つ
としても、本件では原告は「その自由意思」の形成が妨げられ
たと主張しているのであるから、これにまじめに答えないのは
一貫していないというべきであろう。

裁判所は自ら認定した事実や原告の主張する、同意書を取られ
た経緯をもっと丁寧に扱うべきである。書面だけ重視する、と
いうのでは、とにかく書面だけ取ればよいということに帰着し、
騙して取った同意書も有効だという被告代理人の主張をそのま
ま採用したに等しい。言葉としては詐欺という言葉を使っては
いないが、ほぼ同じ結果になっている。これでは詐欺の共犯で
ある。

こんな判決がまかり通れば、とにかく騙しても書面を取れば、
契約は有効だということになり、豊田商事事件などでも裁判の
意味がなくなる。そんなことが普通の裁判所で通るはずはない。
任期制は法律に書いてあるから違うと、この裁判所は考えてい
るのかもしれないが、任期制を発動するには「同意」が必要で
あって、これは契約の世界と同じなのである。

三 任期という附款の無効論

次に、任期などの行政処分の附款の無効論については、原告側
は、その附款は本件の場合重大ではない、したがって、その附
款のみを無効として、無効確認訴訟、地位確認訴訟で勝訴しう
る、と主張している(本書4章1節)のに対して、この判決争
点1の6は、一方的に、本件の任期は重要な本質的要素である
から、本件昇任処分の効力と切り離して任期の定めのみの無効
確認訴訟を提起することはできないとしている。確かに法制度
だけをみれば、任期付きの任用は任期付きでない任用と根本的
に法的性質が異なっているものであり、任期付き任用の方では
任期の定めが任用行為に不可欠のものであるということになる
が、それは任期付き任用ということが予め明示され、本人の真
意に基づく同意がある場合に限るものである。本件の場合京都
大学はもともと公募の時に任期をつけておらず、採用内定のあ
とで発令を引き延ばしてから(この事実はなぜか認定されてい
ない)任期制の規程をおいて、事務長が急にドタバタと任期付
きとなったから同意してください、と同意書に署名することを
求めてきたのである。しかも、再生研全体で幅広く任期制を導
入する動きがあるとまでいわれたのである(第三当裁判所の判
断一6)。

これは後手後手・騙し討ちであって、事後的・遡及的に原告に
不利な同意書の徴収を行ったものである。しかも、任期付きの
制度はこの再生研でも教授については井上教授だけで、一般的
に付けられたものでもなく、大学の教員について一般的には任
期制度はないわけであるから、任期付きということは重要なも
のではない。むしろ、重要なのは本人の真意による同意である。
裁判所はできた制度を後からみて、その途中の経緯を一切見な
いで判断している、ということになる。

この任期部分だけ無効という主張の詳細は第4章第1節を参照
されたい。裁判所はこの主張に答えているとは思われない。こ
れも判断逸脱である。

四 職務上の義務?

本件再任拒否決定は明らかに違法であったと思われるが、この
判決四によると、協議員会のこの公正かつ適正に再任審査を行
わなければならない職務は、手続に携わる者の職務上の義務で
あって、再任審査の申請をした者に対する関係での義務とは言
えないとする。これは、平成15年4月30日の執行停止却下
決定における理屈と同じである。しかし、なぜそうであるかの
説明はない。

このルールが職務上の義務にとどまるものではなく、原告との
関係での法的ルールであることは第3章で詳述した。再任ルー
ルも任期制法に基づく法的なものであるし、少なくとも再任申
請者に対して、自ら示したルールに則って判断するということ
は、約束である。再生研が自ら示したルールを破っても、申請
者との関係では無視して良いというのは、およそルールとは言
えず、これまた、放置国家であろう。

また、原告は、再任拒否は申請人との関係での義務に違反して
おり、当然拒否処分になるはずだという理論の根拠として、新
規採用の拒否でさえ申請人に対する関係で行政処分であるとす
る水戸地裁の判決を引用している(第3章)が、この判決は何
ら答えていない。

さらに、これが仮に単なる職務上の義務にすぎないとしても、
京都大学内ではこの再任拒否決定は違法であるということにな
る。そうすると、それは学長に対する義務違反でもあるから、
学長がこれに拘束されるいわれはないのである。


五  再任請求権?

この判決四は、法律上は任期制の任用による教員は任期満了の
後再任してもらう権利までは有するものではないと解されると
する。同様の誤解は執行停止却下決定においてもあったことは
さんざん批判した(第3章)が、裁判所には全く伝わっていな
い。原告は再任してもらうという権利があるというのではなく
て、合理的な手続によって再任の可否を判断してもらう権利を
有すると主張しているのである。そしてこの判決もその点は四
の冒頭では十分に理解しているのである。しかし、これへの答
えでは、突然、合理的な手続によって再任の判断をしてもらう
点について答えるのではなくて、任期満了の後に再任してもら
う権利までも有するものではない、としているだけである。驚
くべきことばかりである。

六 義務付け判決、学長は違法な議決に拘束される?

裁判所は、第三、当裁判所の判断二7、三2で「再生研の協議
員会が原告の再任を認めないとの決定をした以上,任命権者で
ある被告京都大学総長はこれに法律上拘束されて原告を再任す
ることはできないものと解すべきであるから,義務付け訴訟の
他の要件を検討するまでもなく,B請求は不適法というべきで
ある。」とした。これも被告主張をほぼそのまま採用したもの
である。

これは、研究所協議員会と学長の内部の権限の分担の問題を理
由にして義務付けができないとするものであろう。

しかし、京都大学総長が自ら一人で再任権を行使できるという
制度であれば、義務付けができるが、自ら一人では再任権を行
使できず協議員会の議に基づき再任権を行使するという制度の
もとでは、義務付け判決ができないとするのは奇妙である。

ここで、学長と再生研を分離して考察すると、この判決のよう
に、学長には実質的には何の権限もないのだということになる
が、そうではなく、再生研の決議は内部の決議であり、学長は、
再生研を含めた京大全体の代表者である(協議員会と総長とが
一体となってひとつの行政庁と同じ扱いになる)から、再生研
の決議が違法であれば、学長の決定は違法になり、学長は、再
生研の瑕疵なきやり直し決定を踏まえて発令すべきことになる
のである。

換言すれば、協議員会が適法に決議を行えば任命権者はそれに
基づき発令するというしくみになっているわけであるが、再生
研の決議が違法である場合には、学長はこれに拘束されている
というよりも、むしろ大学の自治を語るからには、違法な決議
をやり直すようにと、自らは違法な決議に縛られないというこ
とが大学の自治であるはずである。さもないと、違法な再生研
の決議が学長を拘束するという、およそ法治国家にあるまじき
制度になる。これこそ、放置国家と言うべきであろう。

したがって、再生研の決議が違法であれば、学長に対しては、
再生研で再検討する手続きを踏んだ上で発令せよという義務付
け判決を下すべきことになるのである。

なお、被告は、第二事案の概要二 争点に関する当事者の主張
2争点2で、義務付け訴訟を不適法とするため、第一次的判断
権とか、一義的明白性といった古めかしい議論をしている。し
かし、行政に第一次的判断権があるから、義務付け訴訟は原則
として許されないという議論は、誤りだということは今時の行
政訴訟制度改革でも一般的に承認されることとなり、義務付け
訴訟が導入されることとなった(ジュリスト1263号参照)。し
かも、本件では、京大は井上教授を再任しないという決定をし
ているのであるから、第一次的に判断しているのである。裁判
所はそれを審査して、再任拒否事由がないと判断すれば再任し
なければならないのであって、その際、京大当局の第一次的判
断権は保障されているのである。

一義的明白性も、本件ほど違法が明白な事案も少ないのではな
いか。騙し取った同意が無効であれば任期部分が無効であるか
ら、任期のない教授となるので、これを失職扱いすることは、
身分を奪うもので、処分であり、かつ、再任しなければならな
いことになるはずである。

七  任期満了?

三争点2では、この判決は、任期の満了により原告は地位を失
うのであってという。これは任期が有効であるということを前
提とするはずであるが、任期が無効であるとする原告の主張に
はここでは答えていない。この判決は、この関係は任期法の明
文の規定からも明らかであるとするが、原告は、その条文だけ
ではなくてこの任期をつけた経緯、同意の瑕疵からして任期法
のこの失職の規定が適用されないと主張しているのであるから、
これに対して条文だけをみて答えても、答えにはなっていない
のである。

八   学問の自由の無理解

判決文の第三、当裁判所の判断の二争点1の3は、任期制法と
憲法23条の関係について述べている。判旨は、憲法23条の
学問の自由の保障の規定から、大学の教官、研究者に、大学の
自治が認められる、とする。そして大学の自治の具体的内容と
して、大学の教授その他の研究者の選任は、大学の自主的判断
に基づいてなされなければならない、ということが挙げられる、
としている。そして、しかし、憲法の規定やその趣旨からも、
個々の大学の教官・研究者の選任を、任期法の前記各規定に従っ
て、その自由意思に基づいて一定の任期付きで任用することま
で禁止されていると解することはできない。任期法に規定する
任期制度自体が憲法23条に違反するものでないことは明らか
である、とされている。

しかし、ここでは、任期法が憲法23条に違反しないとする実
質的な理由はほとんど書かれていない。なぜそんなに簡単に明
らかなのか。これについては、本書第5章で詳論したので、あ
わせてお読み頂きたい。

ここでは、学問の自由の意味は、大学教員の選任が大学の自主
的な判断に基づかなければならない、ということだけに限るこ
とが前提とされているようである。たしかに、大学の自治の具
体的内容として、大学教授の選任は大学の自主的な判断に基づ
かなければならないが、それは、大学が教授人事に対する国家
権力・文部省の政治的・非学問的介入に抵抗して自治を勝ち取っ
た、という歴史的な事情から導かれたもので、学問の自由の内
容がこれに限る、ということになるわけではない。論理的には、
A「学問の自由」ならば、B「大学教員の選任は大学の自主的
判断に基づかなければならない」であるとはいえるが、AはB
に限られるとはいえない。AならばBであるということからい
えるのは、BでなければAでないというだけである。

そして、任期制度の下では任期を付された大学教員は再任拒否
にあわないようにと、再任拒否権を有する者の意向に従わざる
をえないので、自由な学問ができない。これは学問の自由を実
質的に阻害するのである。

ここで、この判旨は、その自由意思に基づいて一定の任期付き
で任用することが禁止されていると解することまではできない
としているが、それは、同じ任期制でも、ごく限られた分野で、
限定的に導入される場合には同意できよう。任期制法(4条1
項)でも、任期制の類型には、本件の1号任期制のほか、助手
などの2号任期制、一定期間で終わる予定の3号のプロジェク
ト型(詳細は本書第5章)があるが、この2,3号は学問の自
由を侵害するとまでは言えない。これに対し、1号は流動化型
というもので、優秀な研究者でも任期で追い出せというのであ
るから、説得力を欠く。それを正当化する唯一の理由は、この
要件が限定され、本人の真意に基づくことである。

もし、大学教員の任期制が一般化されれば、大学教員になりた
ければあるいは昇進したければ全て任期制以外はない、という
ことになり、個々の大学教員がその自由意思に基づいて任期制
か否かを選択することは不可能になる。そうすると、いついか
なる理由で再任拒否されるのかは見当がつかないから、すべて
萎縮せざるをえず、自由に議論することはできなくなる。この
ことが学問の自由を阻害することは明らかである。この判決は、
学問とは何かを理解しているのだろうか。

したがって、任期制の一般化は違憲である。現に、任期制法も、
任期を導入できる場合は限定的だとして、1号任期制も限定さ
れているのである。

この判決は、本件の任期制がなぜ1号に該当するのかという原
告の指摘に対して被告に釈明させず、判断もしていないが、そ
れは任期制が学問の自由により限定されていることへの理解が
ないためであろう。これも判断逸脱である。

このように、任期制と学問は一般的には両立しないから、まだ
研究者として評価の定まらない若手はともかく、教授の任期制
を一般的に導入する国は寡聞にして知らない。任期制を一般的
に広く大学教員に適用している韓国においても、人事権者側か
ら任期制を適用できるのは助教授以下であって、教授について
は教授側から求めなければ任期制を適用することができないし
くみになっている。任期への同意を騙して取っても有効だなど
という被告の屁理屈に乗る国はほかにあるとは信じがたい。

しかも、原告は、任期制が学問の自由を侵害するという、抽象
的な主張をしているのではなく、本件の具体的な状況で、本件
の任期制が原告の学問の自由を侵害していると主張しているの
である。公平な、合理的な再任審査ルールがなく、恣意的に再
任拒否をすることができるしくみでは、仮に任期制に同意して
いたとしても、自由な学問は侵害されるから、本件の再任拒否
は違憲であると主張しているのである。これへの答えはない。

九  リップサービス

しかし、この判決では、原告側にそれなりに理解を示すような
文章もある。四では、任期制は新しい制度であり、原告に対し
て本件昇任処分の際に任期制の説明は不十分なものであった、
外部評価委員会の構成員が全員一致して再任を可とする報告書
を提出しているのに、協議員会は結局これを全面的に覆して再
任を認めない決定をしたものでこれは極めて異例ともいえる経
過に至った、そして、それは原告に予想外のことであった、と
している。また、このようなことは原告の再任を可としない旨
の協議員会の決定が恣意的に行われたのであればそれは学問の
自由や大学の自治の趣旨を大学内の協議員会自らが没却させる
行為にもなりかねない、としている。そして、協議員会は任期
制の教員から再任審査の申請があった場合には所定の手続きに
従って公正かつ適正にこれを行わなければならないのは当然の
ことというべきである、衆参両院の附帯決議もその運用が適正
にされることを求めている、としている。

せっかくここまで認定しているのであれば、この趣旨に従った
判決を書くことができるはずである。異例ともいえるような経
過をたどった、原告の同意からはおよそ予想もつかない運用が
なされたのであれば、同意に瑕疵があるともいえるし、再任審
査手続が違法に行われた、ともいえるのであり、原告には再任
請求権まではないにしても合理的な手続によって再任の可否を
判断してもらう権利を侵害された、といえるはずなのである。
 同一人が書いた文章とはとても思えない。

一〇  最後にー研究者には理解できない判決の論理過程

私は、裁判所に、訴えを棄却、却下するならば、当方の示した
理由をすべて論破してほしいとお願いした(第3章第1節)。
当然のことである。

しかし、この判決は、重要な論点で、原告側の主張を一切考慮
していない。附款の無効論、合理的な手続によって再任の可否
を判断してもらう権利、再任拒否が行政処分である点、再任拒
否が原告との関係で職務上の義務であるという点などがそうで
ある。錯誤論のキーになる研究所協議会の平成10年4月21
日申し合わせは完全に無視されている。

そもそも、本件の審理から伺えるところでは、裁判所は、法律
判断なら、当事者に特に丁寧に論争させる必要はない(さっさ
と結審する)という態度を示していた。しかし、法律判断でも、
論争して初めて論点がわかり、より妥当な考察ができるのであ
る。法律家が学会でさんざん討論し、論文で議論を闘わせるの
はこのためである。裁判官だけが、議論しなくても、すべて立
派な法律論を展開できる神様であるはずはない。

被告はほとんど法律論を展開せず、原告は失職したと主張する
だけであり、あとは、騙して取った同意も有効とか(第4章第
1節)、外部評価委員会の判断に縛られるのは大学の自治に反
する(第3章第6節)などと、普通にいえば失笑を買うような
主張しかしていなかった。われわれ学界では、論争をするとき
は、答えないのは負けである。学生の質問に答えないのは失格
である。両当事者の主張をみれば、井上教授が勝つのが当然で
あった。

しかし、裁判所は、当事者の主張が何であれ、法律論だから、
自分で判断するということであったのであろう。その結果、判
断脱漏までしても、返事をしない方に肩入れした。それにして
も、なぜこのような判断に至るのであろうか。

本件の「同意」の実態をみないで、とにかく法律の条文と書面
だけをみるという解釈態度、どんな手口であれ同意書を取れば
それが騙し討ちでも有効だという信じがたい理屈に乗っている
こと、それから再任審査が原告との関係で法的なルールである
ということへの理解を欠くとことなどをみると、本件判決は、
とにかくなぜか知らないが、原告を助けたくないという事情が
先にあって、後からそれに合わせる理屈を無理矢理付けている、
都合の悪い論理、事実にはすべて目をつぶっているというしか
ない。

一般に、研究者は裁判所が認定した事実に基づいて法理論を検
討するにとどまるので、どうしても事件の表面だけ扱っている
観がある。本件のような具体的な事案について、事実認定、本
人尋問から関わって観察すると、裁判所の判断が当事者の主張
に答えていない、あるいは本人尋問からも、事実をつまみ食い
的に極めて恣意的に認定している、ということがよくわかる。
この裁判所がこれほどまでにやる気がないことは不明にして予
想しなかった。裁判所こそ正義の機関であると信じて裁判所を
頼りとした井上先生は、全く信頼を裏切られて、やるせない思
いであろう。

しかし、日本の司法が一般的にこんなずさんな判断をするもの
ではないだろう。普通にいえば、どこからみても、本件は高裁
では明らかに勝つべき事件であると思われる。

             4月5日 取り急いで

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