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新首都圏ネットワーク


『東京新聞』2004年4月5日付特報

教授にもタイムカード!?
国立大 裁量労働制の功罪

 今月一日からすべての国立大学が法人化されたのに伴い、東京大学など過半
数の大学で教職員の「裁量労働制」が導入された。労働時間管理が厳密なこの
制度に、東大教授らからは「学問の自由が侵される」という声もある。一方で
同制度を採り入れた民間企業では長時間労働や過労死の問題が指摘されている。
国立大学に導入された影響は?。 (藤原正樹)

■東大も導入『社会にメお墨付きモ』

 「合法的に長時間勤務させる制度で、労働災害を増加させている。(ブラン
ド力が強い)東大が裁量労働制を採り入れると、社会全体にお墨付きを与える
"宣伝"になる」

 東大社会科学研究所の田端博邦教授(労働法)は制度導入が社会に与える影
響についてこう危ぐする。

■みなし労働で賃金払われる

 裁量労働制は、実際に何時間働いたかは関係なく、労使で合意した時間を労
働時間とみなし、賃金が支払われる仕組みだ。みなし労働時間が「八時間」の
場合は、それ以上の実労働があったとしても割増賃金を支払う必要がなくなる。

 同制度は一九八七年の労基法改正で研究開発職や弁護士などの「専門業務」
への導入が認められ、二〇〇〇年からは企画、立案、調査などの「企画業務」
も加わり、ホワイトカラー分野全体に対象が広がった。

■サービス残業増える懸念

 導入目的について、厚労省は「創造性が求められる分野では、実際に働く時
間ややり方は労働者が自分の裁量で決めた方が生産性が向上する」と説明する
が、田端教授は「違法のサービス残業を合法化して、残業代を支払わず長時間
勤務させたい企業側の意向に沿って対象範囲が広がった」と指摘する。

 実際、連合の調査(九九年)では、裁量制を導入した企業の八割で、実労働
時間がみなし労働時間を上回っている。労働問題に詳しい弁護士(東京)は
「長時間労働で過労死する例が増加している。裁量制の導入で実際の労働時間
がわかりにくくなり、サービス残業の取り締まり自体が難しくなる」と懸念す
る。

 裁量制の導入当初、労基署は「実労働時間が労働者に任されている」として
労災適用は困難との判断を示したが、〇一年の認定基準見直しで過労死の認定
を行うようになった。〇二年一月には、急性心不全で死亡した出版社編集者=
当時(24)=が過労死の認定を受けている。

 大学教員の場合どうか。「論文執筆や研究が本人の裁量労働とみなされ、
(労災が)認められにくい。裁量労働制導入で、より認定を受けにくくなる」
(前出の弁護士)という。〇二年四月、脳出血を起こした札幌学院大学の法学
部教授に「過労による労災」が認定されたが、「珍しいケース」(北海道労働
局)だ。

■競争制導入で『過労死急増』

 全国大学高専教職員組合(全大教)担当者は「総合科学技術会議(議長・小
泉純一郎首相)が昨年四月、競争的研究資金制度を打ち出してから、大学教員
の精神疾患が増えている。同制度では、最先端研究の実績を書類提出しなけれ
ば資金を得られず、過労の一因になっている。国立大法人化で研究評価がより
厳しくなり、自殺や過労死が急増する」と不安視する。

 実際の勤務時間がわかりにくい裁量制では、「健康確保措置」として出退勤
時刻の厳密な管理が求められる。今春タイムカードを導入する大学はないが、
東大教職員組合委員長の横山伊徳(よしのり)教授は「過労による死者が出た
場合、使用者側は『勤務時間を管理していなかった』とは言えない。研究者の
管理には不適当なタイムカードの導入はありうる」と懸念する。

 実際、茨城大学人事課は導入に前向きだったが「タイムカードを設置する予
算がなくて、裁量制を採用できなかった」。福島大人事課も「タイムカードは
管理されるイメージが強く教員たちに受け入れられない。しかし、教員自身を
過労から守る手段なので、タイムカードやICカードなどの導入もある」と予
想する。

 さて、そもそもなぜ、大学教員が裁量労働制の対象になったのか。その経緯
は不透明だ。

 国立大学協会(国大協)は昨年八月、大学教員への裁量労働制適用を求める
要請書を厚労省に提出。従来「不適当」として、大学教員への適用を認めなかっ
たが同省は同十月、大学教員を追加対象にする告示を出した。横山教授は「国
大協は裁量制に関して議論せず、問答無用で厚労省に要請書を出した。厚労省
も法人化に合わせて認めただけだ」と批判する。

 法人化で教授会の合議中心だった運営が、学長を中心としたトップダウン型
に切り替わる。学長は民間のような経営手腕が求められ成果主義賃金や厳しい
経費削減が実施される可能性が高い。

■『過労』危ぐ人件費は減

 福島大人事課は「裁量制はコスト削減が狙い。今まで以上の成果を上げなけ
れば、教員の給与削減もありうる」と明言する。

 田端教授も「経費削減の第一対象は人件費で、年功序列賃金を抑えるために
高齢教員の解雇が進む」と悲観する。

 裁量制と成果主義が導入されても、憲法二三条で保障された「学問の自由」
は守られるのか。

 組合の立場から横山教授は「裁量制の問題点を十分に理解している教員が少
なく、労使協定を締結せざるを得なかった。裁量制は、自己の労働時間管理に
大幅な裁量が認められていた教育公務員特例法とまったく違う。教職員を『時
間を売る』労働者に位置づけ、学問の中身がどう変わるかの議論を時間の問題
にすり替えた。使用者の評価で教員の待遇・賃金が決まり、研究がゆがめられ
る可能性が高く、学問の自律性が侵される」と懸念する。

 全大教によると、ほとんどの大学で労使協定が締結済みだが、静岡大などは
交渉中だ。労使協定がない状態で、八時間以上の勤務をさせると労基法違反に
なる。厚労省賃金時間課担当者は「裁量制や時間外労働を規定した労使協定が
ない状態で残業命令を出すと、刑事罰を科せられる。時間外労働があれば指導
の対象になる」と目を光らせる。

 一部の大学とはいえ、学問の府が労基法上の違法状態に追い込まれた原因に
ついて、全大教担当者は国の責任を指摘する。

■大学も教員も『国の被害者』

 「三月三十一日に労使協定を締結した大学も多い。昨年七月に国立大法人法
が成立してから、各大学当局は労使協定案づくりに着手したが、前例がなく手
間取った。教職員側も十分議論する時間がなく、満足できない協約に判を押し
た例も多い。国の将来を決める"百年に一度"の大改革で、最低二年程度は準備
期間が必要なのに、八カ月しかなかった。拙速な判断を迫られた大学当局、教
職員とも"国の被害者"といえる」