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新首都圏ネットワーク


『朝日新聞』夕刊 2004年3月9日付

 大学を覆うモラルハザード 公共性危うくする「経営」先行

 岡山 茂 早稲田大学助教授(フランス文学)

 早稲田実業学校の初等部が入学試験の面接で350万円もの寄付を保護者に求め
ていたという。早稲田大学も責任を免れるものではないだろう。白井克彦総長
は早稲田実業学校の理事長でもあるし、寄付金の額は保護者にとって、子弟を
早稲田大学へと無試験で進学させるための条件と映ったはずだからである。し
かしそこにおいて問われているのは、一私立大学の学校法人としてのモラルば
かりでなく、公共サービスとしての高等教育を危うくしているネオ・リベラル
な大学改革の是非である。

           ◆          ◆

 早稲田大学はいま財団法人あるいは株式会社への道をひた走っている。奥島
孝康前総長は学校法人としての公共性の強調を批判しているし(『大学時報』
04年1月号)、財務担当の関昭太郎常任理事も、日本の大学が「大学人」によっ
ていかに不健全な経営に陥っているかを指摘しつつ、私立大学が「学校法人」
として甘やかされてきたことを批判している(日本経済新聞、03年12月13日)。

 「財の独立なくして学の独立なし」という関氏の考えは、企業と同じような
トップダウンの経営によって早稲田大学を世界レベルの大学へと躍進させよう
というものである。しかしアメリカの有名私大のように莫大な資産があるわけ
でもない日本の私立大学に、どうして自律した経営が可能だろうか。初年度納
入金はすでにいくつかの学部で120万円を超えており、学費の値上げも不可能で
ある。学内外に寄付を乞うのでなければ、事務職員のリストラや、資産を増や
すための投機的試みに走らざるをえないのは目に見ている。

 じっさい早稲田大学は、創立125周年を記念した寄付を募るほかにも、自ら
SPC(特定目的会社)を設立して不動産の証券化事業に取り組んだりしている。
しかしさらに問題なのは、理事会の力が強まるなかで、学生や教職員も知らな
いうちに新たなプロジェクトが始まり、始まったあとも十分な説明がなされな
いということである。4月から法人化される国立大学に対抗するためにも、より
スピーディな意思決定が必要であるとされ、学内での合意形成はほとんど無視
されている。たしかに早稲田大学は変わったけれども、学生は大学問題に無関
心になり、多くの教職員は理事会に対して疑心暗鬼になっている。

           ◆          ◆

 日本の大学は、民営化圧力の下で切磋琢磨しているというよりも、目に見え
ない暴力のスパイラルに巻きこまれて自律性を失っているというべきだ。私立
大学の必死の経営努力は、法人化による混乱が続いている国立大学や、改革を
めぐって地方自治体の首長と深刻に対立している公立大学にも圧力として働い
ている。個々の大学にとっては真摯なものかもしれない改革への取り組みが、
システム全体を混乱させ、「生き残る」大学がはたしてよい大学なのかどうか
もわからなくさせている。

 この1月にイギリスでは、上限を六十数万円にして大学が独自に年間授業料を
設定できるようにするという法案が、僅差で議会を通過した。サッチャーの過
激な改革のあとでも大学の授業料は二十数万円に抑えられていたが、ブレア首
相が今回提出した法案はその枠を取り払うものであったため、野党ばかりか、
与党の内部にも激しい反発が起きた。このことは、ネオ・リベラリズムの先進
国であるイギリスにおいてさえ、公共サービスとしての高等教育の存続を求め
る声がいまだに強いということ、そして大学が政界を揺るがすほどの大問題に
なっているということを意味している。

 日本において異様なことは、大学生の8割近くを受け入れている私立大学の公
共性が危機に瀕しているにもかかわらず、国・公・私立からなる日本の大学シ
ステムをどうするのかをめぐって、文部科学省が具体的なプランを示さず、国
民的な議論も起きていないことである。小泉首相による「聖域なき改革」の方
針に文部科学省が従っているというなら、その方針を批判する大学人、野党や
与党の議員たち、そして彼らを支えるメディアの力が、いまほど試されている
ときはない。

 早稲田大学の白井総長は、学校法人が高額の寄付を求めること自体には何の
問題もないと考え、今回の事件もそのプロセスに問題があった不幸なミスにす
ぎないとみなしている。日本の大学界全体を覆うモラルハザードがそこに色濃
く影を落としている。

 おかやま・しげる 53年茨城県生まれ。早稲田大学大学院博士課程中退、パ
リ第四大第三課程修了。「アレゼール日本」(高等教育と研究の現在を考える
会)事務局長。