トップへ戻る   以前の記事は、こちらの更新記事履歴
新首都圏ネットワーク


『毎日新聞』2004年3月7日付

コラム
[時代の風]首都大学東京の試み=川勝平太・国際日本文化研究センター教授

 2003年の数字で、日本に4年制大学は702、短大は525、総計12
27もある。少子化の影響で大学は厳しい競争に直面しており、それに打ち勝
つために各大学は現代社会の要請に見合ったカリキュラムの再編を含む組織改
革を試みており、その改革に成功するかどうかで大学の命運が決まるだろう。

 先月、石原慎太郎・東京都知事は東京都立大学を改編し、新しいカリキュラ
ムを編成して来年4月から「首都大学東京」として開学し、新大学の学長に西
沢潤一氏を迎える旨を発表した。首都大学東京という新しい大学名は、公募さ
れて4000以上の応募点数、828の異なる名称の中から選ばれた。

 学長就任予定の西沢氏は、「ミスター半導体」として知られる日本を代表す
る科学者である。同氏は東北大学学長を経験した後、6年前に発足した岩手県
立大学の初代学長に就任し、現在もその地位にある。

 岩手県立大学はソフトウェア情報学部、総合政策学部、福祉経営学科、福祉
臨床学科、看護学科などの学部・学科名から知られるように、当初から実践的
学問を目指し、地域社会の要請に見合った「新しい実学」を身につけた青年を
世に送るところまでこぎつけた。編著書「新教育基本法6つの提言」「教育亡
国を救う」などで主張している「個人の自立」や「創造性」を軸にすえた教育
理念を、短期間に根付かせた手腕は、増田寛也・岩手県知事をはじめ地元でも
高く評価されている。

 西沢氏が、県立の大学長から都立の大学長にスムーズに移籍できたのは、大
学設置者の増田知事と石原都知事との了承が友好裡(り)に行われたことを物
語っている。西沢氏は「岩手県立大学は自立の目途が立った」と語る。ここ数
年の岩手県の地域自立の動きは目立っている。それを西沢学長が県立大学でも
お墨付きを与えた格好だ。西沢氏は、場所を首都に移し、新しい実学を根付か
せる手法を首都大学東京でも実践するだろう。

 すでに首都大学東京は、新しい学部として「都市教養学部」「都市環境学部」
「システムデザイン学部」(いずれも仮称)などを打ち出しており、首都東京
の立地を生かし、首都独自の地域学とでもいうべき学問を柱にしたカリキュラ
ムを固めたようである。

 現在、日本各地で地域名を冠した「地域学」が勃興(ぼっこう)しつつある。
江戸・東京学、東北学、堺学、金沢学、丹波学、沖縄学、日本海学など枚挙に
いとまがない。推進しているのは自治体のほか、地元の有志、大学関係者など、
広い意味で草の根である。ほぼ例外なく、それらは地域自立の動きと歩調を合
わせている。

 首都大学の名称も、そこで予定されている学部の名称も、「地域学」を正規
のカリキュラムに取り入れるということでは画期的である。このような「地域
学」の勃興は、近代日本の極度に専門化した学問のあり方を変えると予想され
る。というのも、地域は地形、地層、気候風土、生活、言葉、伝統、文化、産
業、歴史、他地域との関係など、自然科学・社会科学・人文科学のすべての領
域が関係する。地域学は総合的、学際的、国際的にならざるをえない。

 自然科学・社会科学・人文科学という学問体系は近代西洋社会に生まれ、政
策的に明治日本に取り込まれた。厳密には明治5年の学制にさかのぼるが、そ
の前年まで漢学、国学、洋学のどれを教育内容にするかで激しい議論がなされ
ていた。これに対して、時の政府は「洋学の丸写しをもって施行」(江藤新平)
という不退転の大方針を立てた。洋学の専門家は日本にいないから「お雇い外
国人」を招かざるをえない。

 それが現在では、4年制大学に勤務する教授・助教授・講師・助手は15万
6000人、短大の教員数は1万4000人の合計17万人。そのうち外国人
教員数は6000人にも満たない。97%が日本人の学者である。日本人の学
者が日本語で、日本の青年を教育している。その大学に学ぶ日本人の数は30
0万人。

 これらの数字は何を物語るのか。それは130年前に新しい学問として取り
入れた洋学が土着化したということだ。古代に受容された仏教が土着化して鎌
倉仏教が興り、近世に受容された儒学が土着化して国学が興ったように、明治
期に受容された洋学もついに土着化した。

 「洋学」は導入当初、「実学」とも言われた。それは近代社会の建設に必要
とされた実践的学問であったからだ。日本は世界に冠たる近代社会になった。
現在、勃興している地域学は「新しい実学」として自らの足で立つ新しい国づ
くりと結びついている。

 今や、留学生の数も10万人を超え、そのうちアジアの学生が9割強を占め
ている。彼らは日本に憧(あこが)れて来日しており、将来、出身国と日本と
の平和の懸け橋になる人材である。アジアの学生が憧れるのは日本の先進性で
ある。その先進性を体現しているのが首都東京である。東京は西洋文明を受容
する場であった。今や、首都東京が学ばれる場に転身しつつある。

 西沢氏は、現在の東京都立大学の執行部との会議で個人の自立の重要性を述
べ、アジアの伝統に立脚し、アジアに燦然(さんぜん)と輝ける大学にしたい、
と抱負を語った。批判には堂々と反論し、筋を通す。その態度は見ていて清々
(すがすが)しい。首都大学東京は日本の大学教育改革の先駆けになると予見
しておきたい。