トップへ戻る   以前の記事は、こちらの更新記事履歴
新首都圏ネットワーク


<東京都立大学評議会の見解と要請>
新大学の教育課程編成等に係る責任と権限について
―新大学計画に関する問題点と要望―

2004年1月27日 都立大学評議会

 現在準備されつつある新大学とその教育課程は、大学教育のあり方に関連し
て重大な問題をはらんでいる。大学は「学術の中心として、広く知識を授ける
とともに、深く専門の学芸を教授研究」する(学校教育法第52条)ことを目的
としており、その教育は研究と一体のものとして「学問の自由」(憲法第23条)
のもと大学自治にゆだねられている。大学でおこなわれる教育は、関係諸法令
と各大学の教育理念にもとづき、それぞれの大学教員組織がその責任において
教育課程を編成し、学生を教育し、学修の結果を評価し、その課程を修了した
と認められる者に学位を授与するものとされている(学校教育法・同施行規則・
大学設置基準等)。

 しかるに、都大学管理本部が現在進めている準備手続においては、2003
年10月7日の都立大学総長声明にも見えるように、新大学は実質的には現大
学のいわゆる改組・転換であるにもかかわらず、教育課程の編成等の作業が、
現大学の意思決定機関である評議会・教授会の議を経ずに進められている。さ
らに教員組織がその教育責任を全うする上で障害となる様々な制度が、相変わ
らず現大学の意見も求められないまま具体化されようとしている。これらが大
学教員組織の権限を侵していることは明らかであり、また新大学が大学として
の教育責任を十分に果たし得ないことにつながるものとして強く憂慮される。

 先の総長声明ですでに求められたことであるが、あらためて大学との開かれ
た協議を行う新たな体制を再構築することを要請しつつ、以下、重要と考える
いくつかの問題点を指摘することとする。管理本部の責任ある対応を強く望む
ものである。


1.「単位バンク」の見直し、必修科目の設置が必要である

 第一は、これまでに伝えられている概要から判断すれば、「単位バンク」は
不要であり、教育責任を曖昧にするものである。現在、他大学等での修得は60
単位が認められており(「大学設置基準」第28条)、新大学の教育課程では学
生の要望に対応できない授業科目があったとしても、この制度を活用すれば十
分に対応できると考えられる。

 新大学において実施予定とされている「単位バンク」は「『選択』と『評価』
による新しい教育システム」であるとされている。これは他大学や海外の大学
の科目、学外における経験・学修等について卒業所要単位として認めるものと
され、60単位を越える認定を可能とすることが想定されている。さらに単位
認定は学外有識者が加わる「カリキュラム評価委員会」が、卒業判定は学外有
識者・企業経営者等が加わった「学位認定委員会」が、行うとされている。ま
た大学管理本部は、単位バンク実施のため新大学の教育課程の中に「必修科目」
は設定しない(10月23日教学準備委員会資料)としている。

 大学教育においては、幅広い教養と知的判断力を育てるために、学生が選択
可能な多様な科目が用意されるだけではなく、その要となる語学や基礎ゼミな
どを必修に指定することで教養教育の核を確保しなければならない。また深い
専門性を養うためには、系統的な学修とそのための必修科目を設置することが
必要である。これらは大学改革を進める多くの大学が認めるところである。

 そもそも教育課程は、各大学と学部・学科が、その教育理念・目的・目標に
したがい、また時代的・社会的要請を考慮しつつ、それぞれの教員組織の責任
において編成するものである。また、各科目の単位認定の権限はその科目の教
育に直接的責任を持つ担当教員にあり、教授会でさえ通常これを侵すことは許
されない。海外の大学への留学などで修得した単位は、その科目の内容・水準
を教授会において個々に吟味して判断し認定する。国内の他大学の科目は、大
学間の相互信頼に基づき大学間協定を結んで一定の範囲で単位互換を行ってい
る。このように現行では、学生の科目履修と修得単位の認定は、学生が所属す
る大学・学部の教員組織の責任において慎重に行っており、これらは大学が教
育責任を全うする上で不可欠の手続である。あわせて重要なことは、大学が求
める教育課程を履修したと認められる学生の卒業は、教授会がこれを判定し、
決定することである(学校教育法施行規則第67条)。これらは、教育の本質が
学生と教員との直接的関係のもとで行われることの中にあることからも、当然
と言うべきである。

 以上の観点からみると、「単位バンク」は、教育課程編成上不可欠である必
修科目の設定を排除すること、さらに学外者が直接単位認定・卒業判定に関与
することで教授会の判定権限すら制限することにつながるものと考えざるをえ
ない。「単位バンク」が、新大学が大学の学生に対する教育責任をはたす上で
おおきな障害となることは明白である。


2.新大学の教育内容・教育課程設計は現大学教員組織の責任と権限で行うこ
とが不可欠であり、改めて検討体制の再構築を求める。

 第二は、新大学「都市教養学部」の設計を、いわゆる受験業界に属する河合
塾に委託している点である。

 大学教育の改革において大学の外部に各種の有効な情報を求めることは、必
ずしも常に全面的に否定されるべきではない。しかし、基本的に重要なのは、
教育課程・教育内容は大学教育にとって最も重要な部分であり、その編成等は
学生の教育に直接に責任を負う教員組織の責任と権限に属する事柄だという認
識をもつことである。仮に外部からの情報を得ようとする場合も、その結果は
この見地に立ち取捨選択して活用されるべきである。 今回の新大学の設立は、
現大学のいわゆる改組・転換であり、その教育を担当する教員のほとんどがす
でに現大学に所属しており、実質的な母体となる教員組織も存在している。に
もかかわらず、東京都は、現大学教員組織の何らの了解もなしに、「都市教養
学部人文・社会系各コースの教育課程設計」、「都市教養学部全体の教育課程
設計」、「都市教養教育の教育内容設計」などを河合塾に委託した。

 もし河合塾からの「報告」のすべてを現大学教育組織に報告せず、検討の機
会も与えないままに、これが管理本部においてのみ検討の素材とされ、教育課
程、教育内容の設計が行われるということになれば、事態は正常範囲をこえて
いるというほかはない。それは教員組織の責任と権限に対する重大な侵害であ
り、これは由々しきことである。

 教育に対する責任を直接に負う教員組織の十分な参画なくして適正な教育課
程の編成はできない。早急に検討体制の再検討・再組織を行うべきである。


3.新大学の学部と大学院は一体のものとして設計・設置するべきである

 第三は、新大学大学院の発足を遅らせ、学部と切り離している点である。今
日の大学教育には、広い教養とともに深い専門性を養成することが要求されて
いる。この観点に立つなら、学部教育における十分に系統的な専門教育ととも
に、これと緊密なつながりをもって大学院における教育が実施されることが不
可欠である。これは、今日の大学教育における正道であり、新大学の学部と大
学院が一体のものとして構想されなければならないことは、すでにいくつかの
機会に指摘されてきた。それにもかかわらず、大学管理本部は、平成17年度
発足の大学院を現在の構成のままの「暫定大学院」として設置申請を進め、つ
いで翌18年にそれを再編して新大学院を開設しようとしている。これは1学
年のみ存在する大学院ができることになる。現在の都の方針によれば院生はそ
うした大学院で平成22年度まで学ぶことになる。他方で18年度出発の新大
学院は暫定大学院と同じ構成になるとは限らない。特に暫定大学院に入学する
者にとっては、新大学院にみずからの専攻が存置されるか、指導教員はひき続
き在籍するか等々、現段階では不分明な部分が多く、確かな見通しのもとに安
心して学習と研究に邁進するための制度的基礎条件が極めて不安定なものとな
る。これでは院生の学習権の保障の意味でも、研究者としての将来設計の面で
も重大な問題を含むことは明白である。

 現在の大学の世界標準に従うなら、新大学を有意義な教育研究組織とするた
めには、大学院を核として大学全体を構想することが必須の条件である。ます
ます高度化する科学技術と複雑化の様相著しいグローバル社会のなかで、情報
の洪水に流されることなく高度な教養と主体的な判断力とを涵養するためには、
常に最先端の学術研究に裏打ちされた教育体制の整備が不可欠だからである。
一方、現在の社会において長期的視点から自由に知の最先端を追求できる場は、
大学院を措いては存在しない。したがって、世界に冠たる大都市自治体の事業
計画として、予め大学院の構想も前提とせずにまず学部を単独で設置するとい
う方針は、新大学設置の意義を著しく損なうものと判断せざるを得ない。


4.大学管理本部がいま提案している任期制・年俸制の導入は行うべきではな


 第四は、新大学教員に対して任期制・年俸制による人事給与制度を導入する
としていることである。われわれは、法に定める任期制の導入をいかなる場合
にも拒否するという、かたくなな態度をとるものではない。任期制等について
は慎重に吟味すべき多面的な問題があるが、ここでは教育責任との関連に重点
をおき、最小限の指摘のみを行う。

 管理本部が今回導入しようとしている任期制・年俸制は、学部・センターを
問わず、すべての職階の教員を対象としている。これは適用対象を限定してい
る大学教員任期法または労働基準法の精神に抵触する可能性が高いばかりか、
新大学がその学生に対する教育責任をはたすという点でも深刻な影響を与える
であろう。大学教育は系統的で組織的なものでなければならない。一人の学生
の入学から卒業までの学修指導に責任を負うだけでも、学部なら4年間、大学
院なら5年間の期間が最低必要であり、任期制、それも1期3〜5年という短
期間で区切る制度ではとうてい責任をはたすことはできないであろう。主とし
て文系においては一般にかなりの長期にわたる課程博士論文までの一貫した指
導体制が失われる恐れが大きく、その損失は計り知れないものがある。また、
主として理系においては若手の研究者がハード面でも研究条件を整備するには
5年程度は必要であり、この期間を含めてさらに何年か落ち着いて研究する条
件がなければ、こと半ばにして大学を去らざるを得ない事態に遭遇する可能性
が高い。

 次に、さまざまな背景や個性を持つ学生の教育に関しては、何よりも教員の
自律的判断力と自由な精神が必要であり、そのためには、個々の教員が自立し
た教育主体であることが不可欠である。しかし、現在の提案では、研究員から、
準教授、教授、主任教授という階層構造の中で、とりわけ任期ごとの業績評価
に絡んで、管理本部の言葉とは裏腹に、いわゆる「たこつぼ」的上下関係がむ
しろ強化される恐れなしとしない。上位にあるものの評価に常に怯え、大学内
で一個の独立した人格として振舞うことのできない者とは、学術的真理のみを
奉じ対等の人格として学生を導くことを本務とする大学教員の体をなさない不
幸な存在と言うほかない。

 任期付き採用制度の成否が専ら評価制度の公正性と柔軟性に依存することは
最近認められて来ているが、管理本部は、この面での制度と運用に関する必要
な吟味も、教員に対する詳細な説明もきわめて不十分なままに、強引に任期制・
年俸制を導入しようとしている。このような状態で任期制・年俸制の導入を推
し進めるならば、多くの混乱を招くばかりか教育と研究の活性化は到底望むべ
くもない。

 さらに、任期制・年俸制による教員の勤務時間管理について「担当の授業、
会議等」を除き「原則自由に社会での活動ができる」とされ、また「こうした
活動で発生する収入についても原則的には制約はない」としていることに言及
しておきたい。大学教員は実際に授業以外の時間帯においても様々な形態と方
法で学修指導等を行っているのであり、提案されている人事給与制度は、大学
教員の実態からあまりにかけ離れている。もとより大学にいま求められている
社会貢献や、大学間交流にも資する非常勤講師の依頼への対応など、本務外の
仕事に積極的に参加するのはよいことであろう。しかし、大学管理本部が明記
しているような「原則自由」「原則制約なし」は、学生の教育と研究という任
務に第一義的重要性を見出すべき大学とその教員が、自らの責任をきわめて不
十分にしか自覚しないことを内外に表明するに等しいであろう。任期制・年俸
制の全般にわたる慎重な検討とあわせて再考を求めたい。

以上。