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『朝日新聞』2004年2月2日付夕刊 文化欄 Y字路との出あい 閉ざされる文化への窓 文学専攻を廃止する都立大改革構想 吉川 一義 東京都立大教授(フランス文学) 昨年10月からパリ第3大学フランス文学科に客員教授として赴任し、ソルボン ヌの校舎で、大学院の2時間ゼミを週にふたつ担当している。文学と美術の関係 についてボードレールからプルーストまでの事例を考察するのと、プルースト の原稿を調べて『失われた時を求めて』の生成過程を明らかにするのが目的で ある。教室にはフランス人学生だけでなく、ベルギー、イタリア、ポーランド のような欧州諸国をはじめ、レバノンや、中国・日本からの留学生もいるから、 伝統あるソルボンヌとしては教師・学生ともに国際色豊かである。 パリでは文学の研究が尊重される環境にいるが、休職中の東京都立大学では、 文学専攻をすべて廃止するという寝耳に水の東京都案が出てきた。都立4大学と 都本部との協議でまとめた案を反故にし、数学も法律も哲学もすべて「都市教 養」という一学部に統合したうえ、理念は予備校に作成させるという。50年に わたり各専攻が蓄積してきた学問的成果、とくに語学や文学を専攻する意義は、 まるで理解されていないらしい。文学など、小説や詩をつくる作者がいて、そ れを楽しむ読者がいれば十分だと思われているのかもしれない。外国語も、会 話や作文を語学学校で習えばいいというのだろう。 ◆文学は知的営為の総体 しかし大学の語学・文学専攻がめざしているのは、文芸批評でも実用外国語 の習得でもない。それは、ことばを通じて人間精神の営みを解明することであ る。そもそも文学とは、優れたことばで表現された知的営為の総体をさす。哲 学書であれ、歴史書であれ、小説や詩のような創作であれ、厳密なことばの運 用によって築かれた文化遺産の解明と継承こそ、文学専攻の役割なのである。 ことばは日本語にしても、中国語やフランス語にしても、それぞれ千年、数 千年にわたる長い変遷の歴史があり、古い文献を読みこなすには専門的研鑽を 必要とする。 日本人の精神構造を解明するには、万葉仮名から現代までの日 本語の正確な用法に通じたうえで、各時代の古文書をはじめ、『万葉』や『源 氏』や漱石などの古典を熟読する必要があるのではないか。 私の所属するフランス文学専攻が提供するのも、フランス語の歴史と伝統に 深く規定された精神活動の全歴史にほかならない。私が日仏辞典を作成したり プルーストの草稿帳75冊の解読出版を準備したり、授業で文学と絵画の関係を 考察しているのも、ことばによる知的営為解明のための基礎作業である。 ◆国際都市にこそ不可欠 外国人とは、理解のむずかしい絶対的な他者である。隣近所に住む日本人同 士でも容易ではない共存を、私たちはバベルの塔のようなことばの溝をのり越 えて地球規模でやるほかない。現代社会を揺るがす宗教上の対立にしても、た とえばアラビア語やヘブライ語による聖典や長い文化遺産の解明なくしては真 の理解はできないだろう。 語学や文学の専門研究者がいるからこそ、私たち は人類の精神的所産と真の国際理解に開かれた複数の窓が持てるのである。 語学・文学の専攻を廃止するのは、このような研究の蓄積を若い世代に伝え る道を閉ざし、人類の文化遺産に開かれた窓にすべて目隠しをするに等しい。 文学の研究は、ひと握りの専門家の趣味にしてはならない。本を読まない最近 の学生にこそ、ことばが人間の精神活動にいかに重要な役割をはたしているか を伝える必要がある。目先の経済効率ばかりを追い求めた教養の欠如が、バブ ル崩壊とその後の日本社会の停滞を招いたのではないだろうか。国際都市東京 の大学に求められているのは、将来をになう若者に、日本語はもとより複数の 高度な外国語の運用力を身につけさせ、その背後の文化遺産まで理解できる教 養を授けたうえで、世界に羽ばたかせることではないのか。 パリの教壇に立って勇気づけられるのは、ことばの障害をのり越えて世界各 地から集まってきた若者の真摯な学究心がみなぎっていることである。 よしかわ・かずよし 48年大阪市生まれ。著書に『プルースト美術館』、翻訳 に『評伝プルースト』(いずれも筑摩書房)など。 ◆東京都立4大学の統廃合問題 石原慎太郎都知事は昨年8月、都立4大学を廃止・統合し、都市教養、都市環 境、システムデザイン、保健福祉の4学部を設置する構想を発表した。都と大学 側が協議を続けてきた中でのトップダウン式の発表に反発は強まり、10月には 都立大総長が批判を発表。4大学の過半数の教員も反対声明に賛同している。全 国的な大学再編の動きに影響を与えるケースとして注目されている。 |