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『信濃毎日新聞』2003年9月12日付 今日の視角 教育の国家支配 大学運営の効率化と称して、大きな大学には副学長が置かれるようになって いる。執行機関の強化が目的なので、評議会での選挙や推薦ではなく、学長の 指名というところが多いようだ。その副学長に、東北大学では昨年、文部科学 省官僚で当時現職の事務局長だった北村幸久氏が指名された。 東北大学には教育担当、研究担当、総務企画担当、財務人事労務担当の四副 総長(一般の大学では副学長)が置かれている。昨年九月二十四日の東北大学 評議会議事録を見ると、北村事務局長が財務人事労務担当の副総長に指名され ており、「なお、本学の教授就任が前提となる旨の説明があった」と付記され ている。つまり副総長にするために、事務職員を教授にしようと謀ったのであ る。 かくして北村氏は、流体科学研究所の応用システム研究分野の教授となった。 流体科学研究所の教授会は、理工系の研究業績のまったくない役人を教授資格 があると認めたのである。東北大学は流体であり、事務局長とはその流体のシ ステム研究者であったとでも選考したのであろうか。 こうなると、なんでもありだ。大学も文科省官僚によって直接運営されるよ うになったということである。国立大学の独立法人化の将来像は、こんな形で すでに実現している。しかも東北大学の教官はこのような人事を問題にする意 思さえなく、一年が経っている。 今年二月、中央教育審議会の臨時委員に文科省の前事務次官、小野元之氏が 任命されている。教育基本法の改正を諮問した文科省の事務局トップが、途中 から審議する側に加わったのであった。しかも文部省の元次官がすでに委員に 入っているのに、さらに加えてであった。 これでは、まるで犬の芸を見ているようだ。飼い主が棒を投げて、犬が棒を くわえて戻ってくる。飼い主は棒を受け取って犬の頭をなでる、というわけだ。 それは学問の自由、大学の自治の対極にある。 (野田 正彰) |