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国公私立大学通信抄 2003.08.3(日) 全文:http://ac-net.org/kd/03/803.html --[kd 03-08-03 目次]-------------------------------------------- [1] 8/1 閣議決定「中期目標期間終了時における独立行政法人の組織・ 業務全般の見直しについて」 [1-1] 7/31 読売「独立行政法人の中期目標点検、行革本部に一元化」 http://list.room.ne.jp/~lawtext/1947L025.html [2] 朝鮮学校卒の入学資格、大学判断で 文科省検討 asahi.com 08/02 06:09 http://www.ac-net.org/dgh/blog/archives/000059.html [3] 「単位バンク」で柔軟カリキュラム 統合後の都立新大学 http://www.ac-net.org/dgh/blog/archives/000057.html [4] 平成16年度学術創成研究費推薦者所属別一覧 http://www.ac-net.org/dgh/blog/archives/000056.html [5] 総務省平成13年科学技術研究調査 統計表 http://www.ac-net.org/dgh/blog/archives/000053.html [6] 文部科学省高等教育局主任大学改革官の視点 http://www.ac-net.org/dgh/blog/archives/000055.html 『文部科学教育通信』2003年7月28日号 No.80 特別寄稿 [6-1] 朝日新聞8/2窓― 山上浩二郎「文科省の未来」 [7] 藤田正一(北大前副学長)「「総長メッセージ」を読む」 http://www.ac-net.org/dgh/blog/archives/000060.html [8] かがわだいがく Mail Magazine 第28号 2003年7月31日より http://mm.kagawa-u.ac.jp/magazine/select_result.php?ITEM_ID=42 [9] 養老孟司著「バカの壁」より「NHKは神か」 http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4106100037/ [10]【 Publicity 】694:子どもが子どもを殺す、という意味 http://www.emaga.com/bn/?2003070086964630016195.7777 ---------------------------------------------------------------------- 4月に西日本のある国立大学から私立大学に転勤した方 から「通信」の配信停止を求める連絡を頂きましたが、 私立大学の教育や雑用の責務の重さは国立大学の比では ないが、様々な意味で国立大学にはない自由が有り、元 に戻りたいとはおもわない、と書いておられました。 これまでの国立大学に「自由」がなかったのか、なかっ たとしても、どういう「自由」がなかったのか、それに ついての認識は人によって様々のようです。法人化が、 国立大学に不足している自由をもたらす、と期待してい た人、あるいは今なお期待している人、もおられるよう ですが、少くとも、この方が、国立大学に不足している、 と考えている自由が「国立大学法人」化によって増すも のでないことは、この方の身の振り方自身が示している ように思いました。 一昨日の閣議で、主務省と総務省の2つの評価委員会に よる独立行政法人の評価でも不十分である、という考え から、内閣府にある行革推進本部自身が最終的な評価を 下すように独立行政法人制度を修正する方針が決まりま した[1]。 国家機関の民営化か廃止かを判断するための過渡形態と して設計された独立行政法人制度の趣旨を忠実に活そう という方針です。したがって、独立行政法人という法人 の大半は、数年後にはなくなってしまう可能性が高くなっ た、ということができます。 この方針が国会で承認されれば、国立大学法人にも当然 適用されますので、国立大学関係の「評価」は学内評価 と大学評価学位授与機構による評価も含めれば5段階と なります。しかも6年後に,行革推進本部から民営化が 適当と宣告されるのは、独立採算となってもやっていけ ると判断される「大手」の大学なのかもしれません。 国立大学から私立大学への転勤者は独立行政法人化政策 が表面化した1999年以降増えているようですが、それを 更に増やしかねない新政策が間断なく繰りだされます。 ------------------------------ 国立大学法人法が成立した直後の、文科省の杉野氏の文 章に、「学内資源の再配分の決定は、厳しい反発を招く 決断であっても、大学自身の手で決着をつける自主・自 律の体制を確立しなければならない。」[6]とありまし たが、ずいぶん寒々しく貧相な「自主・自律」になった ものです。大学への説教に終始するのではなく、法人化 後の急速な大学予算削減が不可避な状況下[1]にあって 「教育行政は、この自覚のもとに、教育の目的を遂行す るに必要な諸条件の整備確立を目標として行われなけれ ばならない。」と教育基本法が命じている困難な責務の 遂行への文科省の並々ならぬ決意を示していただきたかっ たと思います[6-1]。 ------------------------------ 最近、「日本は深刻な危機にある」という主張が、正反 対の視点からされることが多いようです。個人より国家 が優先される体制の整備が加速度的に進んでいることに 危機感を持つ人たちと、「内憂外患」に対処できる国家 体制の整備が遅れていることに強い危機感を持つ人たち とが居ます。両者は、政治、行政、司法、メディア等の 問題点について認識を共有する部分はありますが、各々 相手側の危機感自身を危機の主因と考えている点で、根 本的に相容れない、と言うことができるかも知れません。 たとえば、先日http://ac-net.org/kd/03/722.html#[6] で紹介した「騙されやすい日本人」は後者の危機感の典 型です。この危機感には世論に浸透しやすい平明さがあ りますが、それが津々浦々に浸透したときに日本に何が 起きたかーーその記憶は日本ではまだ完全には風化して いないはずです。しかし、米国の人たちの大半が、この 種の危機感に過度に感染し、正常な判断が出来なくなっ ている状況で、日本でも、それが急速に広がっています。 「有事法」が圧倒的多数で可決されたことはその広がり を如実に示しています。 社会の「危機」と大学との関係は複雑です。後者の危機 に対し、大学は専門的な協力が期待され、財政誘導・行 政指導・行政命令等、制度が許す種々の強制力を持って 協力が求められていく可能性は消えることはありません [1]。 一方、前時代的に聞こえるかも知れませんが、「精神的 自由」は大学のアイデンティティと不可分ですので、大 学関係者は前者の危機感を自然に持ちます。しかし、こ の危機感に基いて具体的にできることは限られています。 特に、国立大学が会社と同じように「組織の利害」を最 優先して運営される国立大学法人となるため、大口の 「出資者」である政府の政策を吟味する研究は、以前に も増して困難になるでしょう。 しかし、大学のアイデンティティと不可分の「精神的自 由」をグランドデザインに掲げ[7]、日本社会からの直 接的な支援を得るに到る「国立大学」が登場する可能性 は、大学内外の状況と国立大学法人制度の構造を考えれ ば皆無に近いように思いますが、そういう大学が出現し て、日本社会が、安全で強固だが個は全体の一部でしか ない蟻の社会のようになっていくことに歯止めがかかる ことが望まれます。(編集人) ---------------------------------------------------------------------- 編集発行人:辻下 徹 tjst@ac-net.org 国公立大学通信ログ:http://ac-net.org/kd |