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『毎日新聞』余録 2003年7月17日付 「白井道也は文学者である」で始まる夏目漱石の「野分」は、行く先々の学 校で土地の実業家らの金権主義と衝突してクビになってきたこの文学者にこう 語らせる。「学問をして金をとる工夫を考えるのは北極へ行って虎狩をするよ うなものである」。 真理探求をこととする学問を世俗的な禁欲清貧の倫理と結びつける発想は、 別に漱石だけではない。だが高名なノーベル賞学者が、破たんした悪名高いヘッ ジファンドの経営陣に名を連ねていたといった話に事欠かないのが現代だ。 欧米では経済学者が商売や投機で大もうけしたり大損したりする例は珍しく ない。J・K・ガルブレイスも独自の投資理論で巨万の富を手にする経済学者 の小説を書いている。その中で目を引くのは名門ハーバード大学の財務部門が 繰り広げる活発な資金運用の実情にふれているところだ。 だが日本でも早稲田大学が、学校法人として投資格付け機関からキヤノンな ど超優良企業なみの財務健全度を示す「ダブルA+(プラス)」を付与された とのニュースには意表をつかれた。ちなみにすでに日本大学と法政大学もそれ ぞれダブルA、ダブルA−(マイナス)の評価を受けていたのだという。 考えてみれば、少子化のなかの大競争の波に揺れる大学が、その財務基盤を 問われるのは当然である。来春の国立大学法人化を前に、東大でも新たな運営 権限と責任の発生をふまえて学長の信任投票を行うという。まさに大学も個々 の経営・運営能力が試される時である。 とはいえ「野分」の白井道也が聴衆の失笑を浴びつつ「学問をするものの理 想は何であろうとも――金でない事だけはたしかである」と言い放つ姿も今な お心を打つ。相次いだ学生不祥事も、財足りて学滅ぶの予兆でなければ幸いだ。 |