トップへ戻る   東職HPへ戻る
独行法反対首都圏ネットワーク


『琉球新報』社説  2003年7月12日付

国立大法人化・自主性発揮できる環境を


 国立大学を国の直轄から独立した法人にする国立大学法人法など関連六法が
九日成立した。来年四月には、琉球大学など全国八十九の国立大学法人が誕生
する。帝国大学設立以来、国の機関であった国立大学が、初めて切り離され、
大きな転換点を迎えることになる。

 法人化で大学は大きく変わる。これまで学部や教授会を中心にした運営形態
が、学長中心のトップダウンとなり、迅速な意思決定ができる。交付金も大学
の判断で自由に使える。さらに、学内には学長が議長を務める「役員会」「経
営協議会」「教育研究評議会」の三機関が設置され、運営方針が決められる。
とりわけ「経営協議会」は半数以上を学外有識者が占め、「開かれた大学」を
目指すという。運営面の自主性、主体性が認められるわけだ。

 国立大法人化は教育、研究の向上はもちろん、地域への貢献、産業との連携
推進を図るのが狙いだ―関連法の条文をうのみにすれば、そういうことになる。

 だが、不安がなくもない。むしろ「アメとムチ」の条文から、文部科学省の
統制が巧妙に強化されることにならないかが心配だ。

 例えば、交付金だ。自由には使える。が、各大学が六年で達成すべき業務運
営指針の中期目標は、文科省が策定し、達成度などを「国立大学法人評価委員
会」が評価する。その評価が交付金に反映されるというから、文科省の顔色を
うかがいながらの運営になりかねない。

 その評価委員会は第三者委員会というが、メンバー次第では文科省の意を反
映させやすくなる。メンバーも不明、評価基準も示されない。そうでありなが
ら、交付金の配分には反映される。おまけに交付金算定の基準さえ明らかにし
ていない。

 もう一つ指摘すれば、「業務運営の目標」も、大学でなく文科省が策定する
のでは、大学は国の「下請け機関」にしかならない。これでは、独立した法人
の姿にはなるまい。法人化の大きな目的である大学の自主性、自律性の発揮が、
どこまで期待できるというのか。

 さらに天下りの不安もある。大学の管理運営に登用される学外者が、文科省
OBによって占められることも危ぐされるからだ。

 われわれ国民は法人化で、大学改革が促進されることを期待する。硬直化し
た組織が改められ、地域と連携するなかで社会的使命を自覚し、国際的評価を
得られる大学になってほしい。だから、法人化に隠れて、官僚の支配が強まる
ことだけは、排除すべきだと考える。大学の自主性、自律性を発揮できる環境
をつくるべきだ。その結果について、もちろん大学自らが責任を負うことでな
ければ、大学改革は程遠いものになる。