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独行法反対首都圏ネットワーク


『文部科学教育通信』2003年7月14日号 No.79

教育ななめ読み 26

「国営?民営?」

教育評論家 梨戸 茂史

 四大銀行のひとつ「りそな銀行」が公営資金の投入で実質的な国営化だそう
だ。一方、国立大学はその反対の方向に向かっている。この国はどこかで何か
が壊れてきていると思うのは私だけだろうか。

 国立大学が法人化されその行き着くところに「私学化」があるかも知れない。

 この私学化論の変遷をたどってみたい。まず、昭和六十二年ころ、故香山健
一氏が提案したのは、大学の個性化、多様化の推進のため設置基準などの規制
や許可を緩和して国公立大を学校法人に移管、分割民営化、私学化を促進、私
学中心の高等教育体系にしようというもの。もっぱら「規制緩和」が念頭にあっ
たようだ。次は元慶応大学教授で現在は千葉商科大の加藤寛学長。三年ほど前
の平成十二年三月のテレビ東京に出演したときの発言では、「・・・国立大学
が研究をし私学が教育を担当するということも考えられますね。そうなると私
学も助かる。・・・私が国立大学を私学にしろと言っているのは、これからは
財政的にも苦しくなるからです。」とある。多摩大学学長で有名になり今は宮
城大学の野田一夫学長の意見は過激だ(平成十二年五月六日のテレビ東京の番
組での発言)。「今の国立大学は全て廃止し、新たに一〇〇%財政で世界に冠
たる二〜三の大学を作り、研究や教育の評価を厳正に行えばいい。後は全て私
立にしちゃう。」とのこと。政治の世界を見てみると、自民党衆議院議員の熊
代明彦氏は、平成十二年五月のウエッブ上の政策提言で、国立大学は公務員と
いう枠組みにしばられ自由度が制限されており、また巨大な無責任の集積、と
断言。個々の大学毎に独立行政法人形態を採用し五十年後には完全な私学とな
ることを主張する。やりかたは毎年国の予算を減らし五十年でそれをゼロにす
ることで無理なく私学化できるそうだ。今の政治の責任者、小泉純一郎総理の
答弁(平成十三年五月十一日参院本会議)を見よう。「・・・思い切って国立
大学の民営化を目指すべきだというご指摘でありますが、私はこれには賛成で
あります。国立大学でも民営化できるところは民営化する、地方に譲るべきも
のは地方に譲るという、こういう視点が大事だというように私は思っていま
す。」と答弁。まあ、色々な思惑があるのだろう。国立大学関係者の思惑は予
算も含めた自由度を高める手段という側面が見える。私学側では、全大学生の
教育を私学が担当すれば倒産の心配はなくお金のかかる研究もしなくてすむメ
リットが透けて見える。国の財政の観点からは支出を少なくするには国立をや
めて勝手にやってくれたほうがいい。総理の発言は「改革」推進のための脅し
だ。一般に考えられる根拠は、わが国では私学の学生が八割以上と圧倒的であ
り、なぜ国立大学に(私学の学生の親が払った)税金で”援助”しなければな
らないのかということ。私学は月謝(授業料)が高いがそのため常に学生やそ
の父母のことを意識しながら教育研究を行っている。国民とともに歩んできた
のは私学であり国立大学ではないというもの。

 今まで国立大学が担ってきたのは何だったのだろうか。ひとつは国の求める
人材養成。明治の始めは産業を興すため欧米の技術の導入が必要だった。また
国家の運営に優秀な官僚も必要だっただろう。学校の教員の養成で近代日本の
人材を作ることも求められた。世界に伍して学術研究を進めていくことは先進
国のひとつとしてわが国の大学に求められた使命ではないだろうか。人類の福
祉や文化に貢献することも必要だろう。それにはお金がかかるのは当然で国が
措置する必要がある。私学ではできない研究もあるのではないか。そういった
「国立」を維持する論陣が張れなかったのは関係者みんなが反省しなければな
るまい。

 まあ、法人化は進む。その行き着く果ては「私学化」かもしれない。そして
破綻したら公的資金を注入してもらって「国営」化してもらいましょう。さす
ればまた「国立」大学に戻るでしょう。