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『朝日新聞』夕刊2003年7月7日付 目隠しされたフンボルト 予算削減に揺れるドイツの国立大 潮木 守一 桜美林大教授 (教育社会学) ドイツの首都、ベルリンの目抜き通りにあるフンボルト大学は先ごろ、今年 秋からの新入生受け入れを停止すると発表した。ことの起こりは政府の大学予 算カットにある。大学入学試験のある日本とは違って、高等学校の卒業資格を 持った者は、どこの大学でも、どこの学部でも進学することができる。このこ とは、ドイツの憲法に明記されている。だから、新入生受け入れを停止すれば、 大学側が憲法違反に問われないとも限らない。さらにその上、今回の予算削減 策に応ずるためには、教職員の新規採用を一時停止しなければならず、ことに よっては教授ポストを35%削減する必要があろう、と大学側は見解を発表した。 ◆教授ポストも削減 フンボルト大学が予算カットを受けるのは、今回が初めてではない。すでに 1995年ごろから、数回にわたってその予算は削られてきた。その結果、95年当 時373人あった教授ポストは、2003年には305人まで削減され、教授1人あたり 学生数は、95年の71 人から、今や110人という想像を絶する状態に立ち至って いる(ちなみに日本では18 人)。もともと教室の収容力が2万人程度しかない のに、実際はその2倍近い3万8千人もの学生がひしめき、その学習条件、教育 条件は、極度に悪化している。しかしこれはフンボルト大学だけのことではな い。ドイツの多くの大学が同様な問題を抱えている。 フンボルト大学は、その正門の両脇にフンボルト兄弟の銅像が立っているこ とで有名である。予算カットが始まると、それに対する抗議の目的で、96年に この2人の銅像の両眼、両耳が、黒帯で覆われた。この時の目隠しされたフン ボルト像は、今でもフンボルト大学の公式ホームページに掲げられている (http://www.hu-berlin.de/protest)。 もともと、このフンボルト大学は1810年ベルリン大学という名称で誕生した。 この大学の設立構想に大きな影響力を発揮したのが、政治家、哲学者ウィルヘ ルム・フォン・フンボルトと自然科学者アレキサンダー・フォン・フンボルト である。この大学の正門にこの兄弟の銅像が立っているのは、このためである。 彼らがこの新大学の構想を練る頃、世界では科学上の新発見が相次ぐとともに、 アメリカの独立、フランス革命と、人類史を揺るがすような大変動がおこって いた。彼らはこうした時代の激動を前にして、人間の最後の拠り所は、人間自 身の知性だけだと悟った。だからベルリン大学の基本理念は「知性の使い方を 訓練する」ことだった。「啓蒙」、これがその時代の合言葉だったが、この言 葉のもともとの意味は「目を開く」ということである。そう主張した彼らの銅 像が、200年を経て、黒帯で目隠しされることとなった。 ◆新構想がモデルに 彼らの構想は、当時沈滞の極致にあったドイツの大学を蘇らせた。その影響 はベルリンを越え、ドイツを越え、ヨーロッパを越えて世界に広まっていった。 この新構想大学は19世紀末には、世界の大学のモデルとなった。最盛期にはヨー ロッパ屈指の大学として名声を高め、世界中からは多くの留学生を引き寄せた。 遥か極東の日本からも、森鴎外、北里柴三郎をはじめ、多くの学者が留学した。 1901年にノーベル賞が設定されてから、ナチズムが政権を握るまでの約30年間、 ノーベル賞の3分の1はドイツ人学者の手に落ち、このベルリン大学だけで、29 人のノーベル賞受賞者が生まれたという。こうした赫々たる栄光に満ちた大学 が、今や新入生に対して門戸を閉ざそうとしている。 ◆背景には歳入減少 ことの起こりは、大学予算の大幅削減にあったが、政府も理由なしに大学予 算を削ろうとしたのではない。今や先進諸国を襲う景気後退の波のなかで、他 国と同様、ドイツの政府歳入も大幅に減少した。ところが今や、人口の高齢化 を迎え、年金支出、医療支出ともに急増している。こうしたなかで、政府もま た予算の抜本的な見直しを行わざるを得なくなった(ちなみにドイツの大学は そのほとんどが州予算でまかなわれる国立大学である)。長年、授業料無料と いう、うらやむべき制度をドイツはとってきたが、それとてももはや維持でき ない段階に達している。これまでも、何回も授業料徴収の動きがあったが、こ れもまた憲法上、教育は無償と規定されているため、実現しないまま今日に至っ ている。 振り返ってみれば、国立大学という機構は、近代国家の登場とともに登場し、 近代国家の発展とともに発展してきた。国家は国立大学の教育研究の成果に期 待をかけ、国立大学も国家の投入する資金に期待をかけてきた。ところが近代 国家という仕組みが揺らぎ始めるとともに、資金源をもっぱら国家に依存する 国立大学も揺らぎ始めた。現在日本で議論されている国立大学の法人化問題も、 もともとは国家公務員の削減問題が発端であり、その原因はほかでもない国家 財政の悪化にある。つまり、今やいずれの国でも国立大学は、国家とは別の資 金源を探し出さねばならなくなった。最近の議論では、それは市場だというの が、有力な意見であるが、そう結論づける前に、我々は市場という機構、国家 という機構の利害得失を、丹念に吟味しなければならない。それは各国に共通 する課題である。 うしおぎ・もりかず 34年生まれ。名古屋大教授などを経て現職。日本学術会 議会員。著書に『ドイツの大学』『アメリカの大学』(ともに講談社学術文庫) など。 |