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☆国立大学法人法案の研究ー「法人」制度設計の検討を中心にー (1)(2)  
 .蔵原清人(工学院大学)
 

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昨日6月29日に専修大学で行われた日本教育政策学会で「国立大学法人法案の研究」という発表を行いました。2回に分けて送らせていただきます。国立大学法人法案の問題は多くの方々が指摘しているように、これまでの日本でも世界でもほとんどなかった全面的な大学に対する政治支配の仕組みであり、絶対に認めることはできないと私も考えています。この報告ではこれまでの議論の中ではあまりふれられていないと思われる法人制度設計の問題を考察しました。これも重大な問題点の一つではないかと思います。みなさまのご意見をいただければ幸いです。
 なお、当日配付資料は、法案抜粋、私立学校法抜粋のほか、拙稿{戦前期私立学校法政の研究」1997年、工学院大学共通課程研究論叢第35−1号、同「ユネスコ宣言から見た国立大学独立行政法人化問題」日本の大学改革とユネスコ高等教育宣言シンポジュウム2000年1月8日での報告でした。
 
 
蔵原清人(工学院大学)
 
Kurahara@cc.kogakuin.ac.jp
 
  国立大学法人法案の研究ー「法人」制度設計の検討を中心にー (1)
 

                                              蔵原清人(工学院大学)
 

 現在、国会に上程されている国立大学法人法案は文部科学省の権限を広げ大学の自治を冒すものであって、憲法、教育基本法に違反するものであるといわなければならない。その制度設計において多くの問題があるが、その一つとして「法人」の問題がある。この法案では、国立大学が法人格を持ち、設置者であるとともに大学としての教育研究を行うものとされているが、これは戦後改革でとられた制度理念ないし政策を根本から覆すものである。
 この発表ではこの法案の法人としての制度設計を検討しつつ、戦後改革において実現された制度の歴史的意義について考え問題を整理したい。
 
1、国立大学法人法案の問題点
  現在国会で審議される中でも新しく様々な問題が指摘されているが、ここでは主な問題についてあげておく。
  @中期計画という形で、大学の教育研究の方針及び具体的計画を文部科学大臣の認可を必要とするものとしていること。
 Aまた中期計画の終了時点において、文部科学省及び総務省の評価機関の評価を受け、その結果によっては大学の意志に関わらず予算配分や、廃止、民営化を含む措置がとられること。
 B学長の権限を大幅に強めた、ワンマンかつトップ・ダウンであり、教授会の自治が冒されかねない仕組みであること。
 Cしかも学外者を経営協議会の過半数を占めることとし。そのほかの役員、委員にも学外者を多数含めることが可能な仕組みであること。これらの機関は学長選考会議を含むものであること。
 D国立大学の呼称は残しながら、国が必要経費について責任を負わない仕組みであること。
 E国立大学の教職員を非公務員化することによって、現在の教育公務員としての権利を剥奪するものであること。しかし刑罰に関しては公務に従事する職員とみなすとしていること。
  このほか、国立大学法人への移行に当たっての手続きや必要な予算などについても十分な手当がなくこのままでは移行即違法状態になることが予想されていたり、国会の採択なしに文部科学省が先走って様々な通達を出すなど、むちゃくちゃな実態が明らかにされている。
 このような法案がまとめられた背景には、これまでの大学の自治を全く無視して国立大学を当面の国策=科学技術政策に動員しようとする政治意図があることを指摘しないわけにはいかない。大学政策の大転換である。(拙稿「文部科学省の発足と大学政策の展開」日本教育政策学会年報第9号2002年参照)
 
2、「国立大学法人」の学校設置制度の設計
  今回の改革案は国立大学の独立行政法人化を想定しており、文部科学省は、国立大学に法人格を与えるものであるから国立大学に自由を与えるものであると強調し、一部の国立大学関係者もその言葉に惹かれて、独立行政法人化でなければ法人化はよいといった論調も見られた。そうした議論の中で政府は国立大学法人法として国会に提出したのである。しかし名称が変わっただけで、国立大学法人とは独立行政法人と同工異曲であるというべきであろう。しかもかなりの部分は独立行政法人通則法を準用している。
  独立行政法人とは国の事務を丸投げする受け手であるから、国が計画を策定し、予算をつけ、実施結果について評価をすることは何の不思議はないということであろう。しかし大学が(すでに独立行政法人に移行している研究機関等も)そのような国の下請け機関でいいのか、そもそも学問の自由とは何であったのかを考えてみなければならない。
  ここではその問題を法人の組織の面(これをここでは学校設置制度という)から検討する。
 
1)第1条と第2条の相違
  まず法案全体としてみると、第1条(法の)目的では「国立大学を設置して教育研究を行う国立大学法人」の組織及び運営について定めるとあり、第2条定義では、「この法律において「国立大学法人」とは、国立大学を設置することを目的として、この法律により設立される法人をいう」とある。第1条と第2条は明らかに同じではない。しかもこの法案の内容を検討するならば、第2条の定義はこの制度の内容を正しく表していないといわなければならない。
 文部科学省はこの違いを故意に残したのかどうかは、今のところ確かめるべき証拠がないが、法制局のチェックもあるはずであるからには、これは意図的な行為というべきであろう。
 
2)法人=設置者=大学
  すなわち、この法案においては第1条の規定が内容を正しく表現している。そしてそれが大きな問題なのである。
  問題の検討のまえに、この法案では法人=設置者=大学であることを示しておこう。
 第22条第1項で「国立大学法人は、次の業務を行う」とし、第1号に「国立大学を設置し、これを運営すること」と規定されていることがそれを端的に示している。第2号には「学生に対し、修学、進路選択及び心身の健康等に関する相談その他の援助を行うこと」とあることをもって、前号が第2号以下の包括的規定にすぎないというべきではない。第1条において「国立大学を設置して教育研究を行う」と規定されているからである。すなわち、第22条第1項第1号の規定は運営ということで理解できるすべての教育研究の業務が含まれるというべきであって、第2号はそれ以外のこととして学生の支援を位置づけたもの(この教育観には問題なしとしないが)、その他の号では教育研究の成果の社会的活用等に関することを規定している。
 国立大学法人が国立大学の設置者であることは、第1条、第2条ともに齟齬はない。しかしこの設置者は同時に大学それ自身を運営する主体なのである。国立大学法人の役員会は(学長は理事ではないので、これは理事会ではない)中期目標等の外予算、決算、重要な組織の設置廃止に加えて、「その他役員会が定める重要事項」(第11条第2項)までも議することができる。経営協議会もさることながら法人機関である教育研究評議会が教育研究について包括的に審議する。(第21条第3項)これは従来教授会で行ってきたものの多くを含む。しかもこの評議会で審議したことがどのように決定され実施に移されるかは明確ではないのだ。明確なのは学長は従来の学校教育法の学長職務を含み「国立大学法人を代表し、その業務を総理する」(第11条第1項)ということである。これはいいかえれば設置者の責任者と設置される大学の学長を兼ねていることになる。
  さらに中期目標について意見を言い、中期計画を作成するのは国立大学法人であるから(第30,31条)、法人機関でない教授会はこれに与らなくなる可能性が高い。この法案が国立大学の設置者に関するもののように出しながら(第2条)、その実は国立大学の運営の基本を包括的に規定するものとなっている(第1条外)点に大きなトリックが含まれているのである。先に文部科学省の行為を意図的としてのはこの点にある。それゆえ必要な点では学校教育法を引きながら、教授会の権限に関する条項(学校教育法第59条)は全く無視して引かないことにも表れているといわなければならない。
 そしてこの点は現在のわが国の学校制度と大きく異なる点である。いいかえれば国立大学法人制度は現行の学校制度の統一性を破壊するものなのであるといわなければならない。その点を次に検討したい。
 
3、現行の学校設置制度はどうなっているか
1)「学校」は設置者の設置する施設機関であり、それ自体法人格を持たない
  戦後成立したわが国の学校設置制度は、学校の設置者について国、地方公共団体、学校法人のみを認め、それぞれを国立学校、公立学校、私立学校と呼ぶとした。(学校教育法第2条、ただし学校法人に関する法律は私立学校法であって、学校教育法に遅れて制定されたために、学校教育法当初の表現ではない)そしてこの3者について設置者の違いだけであって、学校としては等しく学校教育法の規定に従うものとされた(学校教育法第14条は例外として私立学校には適用外)。
  このとき、設置される学校はいずれも法人格を持たないことは注意されなければならない。国立大学関係者の中には、私立大学(学校)は法人格を持っているのに(しばしば公立大学(学校)を無視して)国立大学は持っていないという意見が聞かれるがこれは全くの誤解かあるいは無知といわなければならない。現在の制度では、学校は法人格をもたないのである。
 
2)法人格は設置者がもつ
  ではどこが法人格を持つのか。それは国立学校の設置者である国、公立学校の設置者である地方公共団体、私立学校の設置者である学校法人なのである。
 
3)設置者は財政的負担をする。また財産管理、人事管理などを行う
  学校教育法第5条では、「学校の設置者は、その設置する学校を管理し、法令に特別の定がある場合を除いては、その学校の経費を負担する」
 この管理については解釈が分かれうるが、財産・財務管理、人事管理が含まれる。設置者が法人であるからこそ、契約等の当事者能力が認められるからである。
 
4)学校にはお金の心配をさせないで、教育研究に専念する
  以上見たような規定は、ようするに学校にはお金の心配をさせないで、教育研究に専念させるということである。教育基本法第10条第2項には、「教育行政は、・・・教育の目的を遂行するに必要な諸条件の整備確立を目標として行われなければならない」とし、同条第1項では、「教育は、不当な支配に服することなく、国民全体に対し直接に責任を持って行われるべきものである」と規定する。この「教育」はここでは「学校」と読み替えることができよう。学校の教育の目的・目標については、国公私立の区別なく等しく学校教育法に定められ、憲法で保障する思想・良心・表現の自由、学問の自由は教員にも当然認められている。この意味は、教育研究はそれぞれの教育的学問的信念に基づき、互いに競い合い、理解し合い、協力し合って現代社会でよりよい教育研究を進めることをめざしているといえる。
 
5)設置者と設置される学校との緊張関係の中でよりよい解決を探ること
  他方で、設置者と設置される学校は、いい意味での緊張関係の中でその時点での最良の解決を求める努力をするということになるだろう。学校法人で、法人の設置する学校長は必ず理事になるという規定(第38条第1項第1号)や、教育委員会法で教育予算編成に関しての教育委員会の権限を認め、「地方公共団体の長は、・・・教育委員会の送付に係る歳出見積を減額しようとするときは、あらかじめ教育委員会の意見を求めなければならない」(第57条)など、厳密な規定をしていることはそのことを意味していると考える。
  設置者、すなわち広義の教育行政は、厳しい財政状況の中でも教育に関する支出を優先させ、学校と教員の活動をバックアップする努力を最大限行うということである。そのためには相互理解のチャンネルを確保するという考えである。
 
  以上特徴をあげた制度の確立は戦後のことに属する。これはすでにのべたように学問の自由、思想良心表現の自由などの保証を教育の面でどう行うかという面からの検討とともに、戦前期の私立学校の厳しい経済状況を教訓としたものであると思われる。戦前期の私立学校はその一部に法人格を必要としたが、それは基本的に財団法人であった。しかも学校それ自体が財団法人であることが本則であり、例外として学校の設置のみを目的とする財団法人に学校の設置を認めたのである。多くの私立学校では十分な経済的基盤がなく、しかも制度上、教育担当者と学校経営者が同一であるために財政的事情によって教育活動が左右されたり、創立者ないしその子孫に経済的に依存して教育の公共性の確保に問題が生じたりしたといわれる。戦後の憲法の下で、教育の自由に基づき私立学校も公教育として位置づけられたが、以上のような制度的特徴はその公教育性の確保のためのものといえる。
 
4、「国立大学法人」制度の影響
  さて、このような戦後の学校設置制度と大きく異なる国立大学法人制度が発足するとすれば、どのような影響があるだろうか。
1)公立、私立においても制度変更の検討が進められるだろう。公立大学については、東京都、大阪府、長崎県などで検討を始めているし、地方独立行政法人法案が国会に提出されている。
  私立大学でも法人と大学を一体化する方向で検討が進められよう。すなわち学校法人制度の見直しであって、法人が直接、学校を運営する、すなわち教育と研究を進めることになる。このことの意味は、教職員中心の大学かオーナー大学かによって意味が異なる。現在でも実態は一体的運営をしている大学がないわけではないが、制度的に一律に行われることになると大きな影響がある。
  これは後述の評価と相まって、「社会的要求」にもとづく教育研究が強調され、その推進のためにトップダウンの体制がいっそう強まることになろう。
 
2)教授会の権限の縮小が危惧される。国立大学法人では、教育研究の基本方針は中期目標、計画等で定まり、重要な事項についても役員会の審議があるのであるから、教授会は具体的な問題処理にとどまるおそれが強いことになる。私立学校においても人事やカリキュラム、入試などで、理事会と教授会の関係が常に問われている。こうした中で国立大学法人の発足を前にして、私立学校の一部関係者の間で学校教育法の教授会規定の改正を主張する意見も出されている。
 
3)これに伴い会計制度についても企業会計の導入が進められようとしている。これは現在の財産価値と当期利益を明確にすることを目的とする。すなわち営利企業の参入に道を開くものである。現在、規制緩和「特区」での特例として株式会社の学校運営を認める方向であるが、これが常態化するおそれは強い。引き続いて私立学校会計の見直しが進められることになろう。
  また「利益」を生み出すとすれば、公的補助は当然必要ないことになる。また学費の上昇についても、歯止めはないというべきである。
 
4)この結果は、大学が教育研究を進めるにあたって財政的理由での活動制限、自己規制がいっそう進むことになる。そこでは収益、採算ということが判断基準となっていくことにならざるを得ない。そして「お金」の有無が教育を受ける条件、研究を進める条件となり、教育を受ける権利、教育の平等、研究の自由が崩される。
  第3者評価はますます厳しく行われるだろうが、その中心は経済的投資効果におかれることになろう。すなわち教育や研究の即効的な経済的効果だけが評価され、長期的な効果、成果は評価の対象にはならないことになる。
 
  このような大学が本当によい大学なのか、大学としての真の社会的責任を果たすことができるのだろうかという深刻な問題にわれわれは直面している。たしかに国家的政策が推進し期待に応えた大学がマスコミに華やかに報道され、一時的な人気は博することになろうが、それが本当に大学としての力の充実・発展になるかどうかは真剣に考えてみる必要があろう。そして真に社会的に期待されている大学の役割について十分な努力を行っていかなければならないだろう。
  そこで改めて戦後の大学制度、学校制度がどのような原則に立って作られたのかを明らかにする必要がある。この全体像の解明はここでの課題ではないが、その一つである学校法人制度について次に検討したい。         (続く)
 
  国立大学法人法案の研究(1)の続きです。
 
蔵原清人(工学院大学)
 
Kurahara@cc.kogakuin.ac.jp
 
 
  国立大学法人法案の研究ー「法人」制度設計の検討を中心にー (2)
 

                                              蔵原清人(工学院大学)
 
5、戦後学校法人制度の特徴
  戦後の改革において、設置者と設置される学校の関係を統一した。それは、設置者は財政を負担し、教学は専ら設置される学校がおこなうというものである。そして基本的人権、特に学問の自由、教育の自由、大学の自治を確保する立場から、一般行政と教育行政を分離した。
 特に私学については公共性を認めるとともに独立性を保証して学校法人の制度を設けた。その性格は次のようなものである。
 1)私立学校の設置を目的とする法人で、学校法人のみが私立学校を設置できる(学校  教育法第2条)。なお国公私ともに設置される学校は法人格を持たない。
 2)学校法人は、公益法人(非営利)かつ財団法人の1として法人格を有する(私立学  校法第29条)
 3)学校法人は設置する学校の管理者であり、経費を負担する(同第5条)、必要な資  産を有する(私立学校法第25条)、学校の経営のために収益事業を行うことができ  る(同第26条)
 他の法人制度と比べると学校法人の特徴は次のようである。
  @財団法人の考えがもとであるが理事を5名以上とし、理事長を必置としている
  A設置される学校の校長は職務上理事となる、他に理事は評議員などより選任する
  B役員(理事、監事)のうちに、各役員について配偶者または親族が一人を超えて含ま  れてはならない
  C評議員会を必置とし、評議員は理事の定数の2倍を超えるものとした
  D評議員は、当該学校の職員および卒業生その他より選任する
  E監事を複数おく
  F寄付行為を以て学校法人に一旦帰属した財産は、教育事業のみに使用される
 
  このような厳しい規定がされたことは、私立学校についての次のような認識をふまえてのことであろう。
1)私学の独立と教育の自由の確保  これは「建学の精神」、すなわち各私学の教育理念の尊重である。卒業生を評議員として加えるということも、財政上の支援を求める見地もあるが、まずはその精神や理念に賛同する人によって運営をすすめるということである。
  さらに教育行政上でも私学の独立性を確保するために、公立学校の行政を行う部門から離し、知事部局が管轄するにとどめた。そして私学内部の機構としては、設置者としての法人と設置される学校を区別し、前者は専ら財産や人事の管理等をおこない、後者は教育と研究を進めるものとした。
 
2)学校事業の公共性の確保
 戦後の改革では私立学校を私教育ではなく公教育として認知した。すなわち1条校を設立できる者は国、地方公共団体、学校法人(学校教育法制定当初の表現ではないが)のみができるとした。これは教育を営利事業としないとともに、付帯的な事業活動(収益事業)においても教育事業主体にふさわしい品格を求めた(私立学校法第26条)。学校法人は財団法人型の法人であるにもかかわらず、理事は5人以上としてその中から理事長を置くこと、監事は2人以上必置とし、評議員会もおかなければならないとした。さらに同族支配の排除のために、役員のうちには、それぞれの役員について親族を一人を超えて含まれてはならないとされた。
 
3)運営における「教学」の意志の尊重
  さらに学校の運営において教学の意見を尊重するために、その法人の設置する学校の長を職務上理事とすること(私立学校法第38条)、評議員にはその学校法人の職員から選任されたものを含むべきこと(同第44条)が規定されている。これは教育の自由、学問の自由の尊重からの措置であるといえる。
 
4)学校事業の安定性、継続性を保証する
 学校が法人格を持たないと教育財産の保持や学校の事業の契約は個人が行うことになるし、個人財産として登記すれば相続税や譲渡税の問題も生じる。また個人の破産が学校の破産に直結することになる。このことは明治初期より問題になっており、民法の制定(明治31(1898)年)とともに学校の法人格取得が認められた。戦後はこれがいっそう徹底し、私学は原則学校法人の設立のみとされた。
  また戦後の制度では、一旦私立学校のために寄付された財産は、その学校法人が解散しても寄付をしたものに還付したり役員等で分配することが認められず、何らかの形で教育のために供されるのである。(私立学校法第51条、第30条第3項など)
 
  私立学校は、かつては社団法人として認められていた時期もあり、運営実態としては今日でも社団法人的要素を引き継いでいる。
  社団法人は人の結合であるから社員の範囲が明確に定められ、総会(総代会、代議員会等を含む)が行われる。かつてのように社団法人として学校をとらえるとき、その社員には教職員、学校の趣旨に賛同する賛助員、卒業生などである。学生・生徒やその父母は、まずは含まれない。しかし大学の自治や生徒の学校運営参加の視点からすれば学生・生徒も含めるべきであり、PTAや父母の学校運営参加の視点からすれば父母も当然に含まれるべきである。さらに地域住民や自治体なども対象に考えられる。この最後は賛助員の範疇で考えてもよい。(これに関わって、近年始められた学校評議員制度は、一面において地域住民も学校に関わる関係者、すなわち社団法人における社員としての立場を持っていることの承認であるといえる)
  これに対して財団法人は財産を主体とする法人であるから、その財産管理人たる理事およびその業務が適正に執行されているかを見届ける監事が存在するにとどまり、社員というものは存在しない。しかしながら利害関係人という「灰色ゾーン」が存在する。財団法人は、当初の寄付行為の趣旨が管理の基本方針であり、それゆえ私学においては「建学の精神」が重視されるということになる。当初は設立者やその家族(後継者)の意向が重きをなしていたとしても、時間の推移とともに教育を実際に進める教職員の意向が大きな位置を占めるようになる傾向がある。すなわち設立者個人の意志によって左右されるのではなく、教職員や卒業生を含む学校に関わる人々の共通の意志(教育方針や校風)が形成されていくのである。また社会との関わりの中で、社会的良識に沿った内容に変化していかざるを得ない。これは私事性から公共性への変容である。
 学校法人においては、財団法人と同じく役員として理事、監事をおくが、そのほかに評議員(会)があり、職員および卒業生等から選任される。この点は社団法人と同様の考えがある。さらに利害関係人という考えがあり、父母などもこれに含まれうることになる。したがって評議員会の権限を強くして承認を要する事項を増やせば社団法人としての性格が強まり(教職員等の意志による運営)、評議員会を諮問機関にとどめるならば財団法人としての特質が強まる(設置者の理念、建学の精神の尊重)。もっとも特定勢力による乗っ取りができないということではない。
 学校法人の場合、もう一つ考えなければならない特質は、教育の自由、大学の自治の問題である。これは学校法人が政治権力等との関係で自由、自治が認められるということとともに、理事会の大学管理権をどこまで、あるいはどのように認めるかの問題でもある。  また学校法人は公益法人の1である。すなわち営利を目的とせず、したがって会計上、利益となる表現は存在しないし、剰余を配分するという考えもない。そもそも学校法人への金銭、財産の拠出は寄付であって出資ではなく、その拠出に対して何らかの権利を主張することはできないのである。このことは解散に際しての残余財産の取扱においても示されている。
 
6、学校が法人格を持つとは何か
  現在の制度では、法人と法人とは平等の関係である。そして行政機関が監督庁ないし所轄庁として、監督ないし所轄している。
 学校の設置者が法人格を持ち、学校は法人格を持たないことになっている。しかし実態としては現在の制度でも学校が独自の判断を行うことが認められている。たとえば、学習指導要領では学校における教育課程の編成は学校が行うこととなっている。ここでは学校が行為主体であることが認められている。このように設置者とは別に学校が(法)人格を持つ必要性ないし可能性がある。(しかし2つの法人の関係を示す法律上の制度は対等の関係か、他方が行政機関である場合の監督庁ないし所轄庁という関係がある。また法人を会員とする社団法人はあり得る。宗教法人法では宗教法人を包含する宗教法人がある。会社が子会社を別法人としながら事実上の支配権を行使するという例がある。)
  国立大学法人制度を見るとき、国立大学が法人格を認められながらも、文部科学省が事業推進の基本条件をすべて握っている以上は、事実上は全く従属的な存在となっている。これは全く事業の委託関係であって、国立大学法人は施設および人員をもって国からの事業委託を受け必要な資金を供与されるというにすぎない。事業計画を全く文部科学大臣が与えたのでは問題があるから、少なくとも立案は大学にさせて大臣は認可を行うということになっているのであろうが、これでは全くの下請け会社同然であろう。法人格を認めるといいながら、国への従属を法定しているのである。
 わが国の制度では法人と法人の関係が一般には全くの独立か、監督しされる関係であるかが中心で、十分に設計されていないのではないか。しかし会社では親会社、子会社がそれぞれ法人格を持ちながら連携して運営しているし、宗教法人法では、別の宗教法人を包括する宗教法人の存在が認められている。すなわち設置者を持ちながら、学校自身も法人格を持つということが考えられないか、あるいはその必要はないかということである。この場合、学校において限定した範囲で法人格を認めるとすれば、法人格としての制度的統一性を欠くことになるが、その必要性と合理性があれば制限付き法人格ということもあり得ないことではないだろう。あるいは本来、設置者と設置される学校の関係が十分、信頼関係があり良好であれば、学校にそのような法人格を認めることは特別必要ないともいえる。いずれにせよ、人格なき社団の行為をどう考えるかの問題がすでにあり、近年ではNPO法人や監査法人など新たな法人制度が作られていることでもあり、法や行政の専門家を含めた今後の検討と議論を期待したい。
 
  なお、大学の法人格に限っていえば、今回の国立大学法人のように大学が法人格を持つということは、一つの選択肢としてあり得る。このことについては諸外国の例も含めて研究が必要である。しかし法人格を持つ場合にも、大学が自分自身で財政上の責任を持つ設置者となるかどうかは十分な検討が必要であろう。国立大学法人の制度において財政負担における国の責任が曖昧になっているという批判があるが、今日の問題の焦点の一つは私学を含め公教育における国の責任をどう考えるかにある。政府による国立大学法人法案の提出はこうした大きな問題の存在を明らかにしたのである。
 もともとわが国のような国立、公立、私立の区別は諸外国においては明確ではない。わが国の場合、その区別は明治7年(1874)の文部省布達にさかのぼる。その2年前の「学事奨励に関する被仰出書」で、今後は学費等の給付を前提とした学習観ではなく、自らの努力で学習せよと国民に布告したが、この布達では財政支出の区分により国立(当時は官立)、公立、私立の区別をするとした。(拙稿『戦前期私立学校法制の研究』1997参照)この区別は130年後の今日までおよび、誰も疑いを差し挟まないのである。しかし、私立学校の公共性を認めた以上は当然公費の支出も認めるべきであり、経費の比重の違いはあっても国公私立の区別は特別な必要性を認められないだろう。
 その点をひとまず置くとして、戦後、学校教育法の制定当初、私立学校について「別に法律で定める法人の設置する学校」(第2条)と規定したが、のち、私立学校法によってその法人を学校法人としたのであった。ここではこの名称を私立学校法人としなかったことに注目しておきたい。それは設立された学校法人はたいへん柔軟な制度であって、私立に限る必要性が認められないからである。国立、公立の学校の場合も、この制度を元に法人格を設計できるのではないか。特に学校のセルフコントロールが求められている今日、このことは大きな可能性を含むと考えられる。
 国立、公立学校の場合、国や地方自治体のコントロールを制度的にどう保証するかが課題となろうが、学校法人の制度の中で、理事と評議員の選任の仕方を考えれば十分に対応できよう。現にある私立学校の中では寄付行為において様々に規定している。たとえば青山学院は「本法人の評議員である日本在留米国合同メソジスト教会宣教師中より1名」「プロテスタント教会の教職にある者1名」(学校法人青山学院寄付行為第8条)という規定を持っている。学校法人制度はこのような独自性を認めているのである。したがって学校法人を国立、公立の場合にも広げるならば、それにふさわしい形で寄付行為を決めればよいのである。その場合、国会あるいは地方議会の関与と、行政府や首長の関与をどう設計するかが大きな問題となる。公立学校の場合は個々の学校ごとに法人とするのか、教育委員会として法人とするのかも検討課題となる。当面の実践課題とはならないとしても、研究の課題としてはこうした問題も視野に入れて考えておくことが必要であろう。     (おわり)