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京大原子炉、運転休止へ 法人化が圧力、研究の自由に危機  
 .asahi.com 2003年6月9日 
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asahi.com 2003年6月9日

京大原子炉、運転休止へ 法人化が圧力、研究の自由に危機

 京都大原子炉実験所(大阪府熊取町)にある研究用原子炉(熱出力5千キロワット)が、06年3月で運転を休止することになった。背景には国立大学の法人化があり、そのまま廃炉になる可能性が高い。反原発運動にかかわる研究者もいる同実験所。自由な研究の場が失われるのではないか、関係者からそんな声も出ている。

 4月27日、大阪・関西空港島のホテルで、同実験所の設立40周年記念行事が開かれた。講演に立った白川英樹・筑波大名誉教授は、ノーベル化学賞の受賞につながった「電気を通すプラスチック」を原子炉で分析するために79〜82年ごろ、実験所に何度も通った逸話を披露した。そして「大学の原子炉は残すべきだ」と締めくくった。

 研究用原子炉の主目的は、核分裂反応で発生し、物質を通り抜けやすい中性子の利用だ。京大炉は全国に5基ある大学の原子炉では最大で、教官約90人と技官・事務官約60人を擁する。他の大学の研究も受け入れており、運転中は、材料分析や透過画像撮影などの実験をする研究者が連日30〜40人滞在する。

 小規模だがユニークな研究が多いのが京大炉の特徴だ。まだ研究段階だが、中性子ビームで悪性腫瘍(しゅよう)をたたく「原子炉治療」といった新分野も開拓した。

 茨城県東海村にある特殊法人の日本原子力研究所の研究用原子炉(同2万キロワット)も大学との共同利用に力を入れている。それでも、京大炉を使う研究者の間には「原研は国策機関。京大炉に比べ敷居が高い」という声がある。

 京大炉は、「関東と関西の大学に1基ずつ原子炉を」という日本学術会議の55年の提言を受け、64年に完成した。代谷誠治・実験所長は「大学の自由な雰囲気があるからこそ、本当の独創性が生まれる。ここでは、反原発の研究者も長く研究している」と話す。

 実験所では、助手ら6人が70年代ごろから反原発運動にかかわり、「6人組」と呼ばれた。3人が今も残るが、定年に近づいている。

 今年定年退官した小林圭二・元講師は「過激な行動がなかったためか、批判活動にも寛容だった。だが研究費もスタッフも満足につかなかった」と振り返る。小出裕章・助手は「インドのウラン鉱山の汚染調査など、大学でなければできない仕事ができた」という。

 休止のきっかけは、燃料問題だ。京大炉の燃料は、米国から購入した、核兵器に転用可能な高濃縮ウラン。米国が核不拡散政策の一環として世界中から回収することを決め、京大炉は米国との協議で、06年3月までに燃料を使い切ることになった。高濃縮でないウランでも運転できるが、使用済み燃料の引き取り先探しや、国の安全審査が必要になった。

 そこに、04年4月に国立大を法人化する方針が打ち出されたことが追い打ちをかけた。

 将来、廃炉にするのに100億円以上かかる可能性があり、塩田浩平・学長補佐は「大学だけで廃炉の責任を負うことは不可能だ」という。京大では「法人化の際に炉を国から引き継がない」「原研へ移管する」などの案が検討されたが、結局、休止して炉の管理を続けながら国と存廃を協議することになった。

 ほかの大学も相次いで廃炉に動く。原研で研究する大学教授の一人は「管理に人手と費用がかかる原子炉を大学が維持するのは難しくなった。研究者は海外の研究炉を使う道も考えてはどうか」と話す。

 原研は特殊法人改革の一環で核燃料サイクル開発機構と統合され、巨大な新法人になる。元日本原子力学会長の住田健二・大阪大名誉教授は「原子力研究を新法人に集約し、異なる立場から研究する大学を衰退させるのは、長い目で見ると、新しい研究の芽をつみかねない」と懸念している。

(06/10 01:37)