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独行法反対首都圏ネットワーク

独法化法案」に思う 
 .2003年6月7日 江頭進氏(小樽商科大学)の「日記」より
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江頭進氏(小樽商科大学)の「日記」より

http://www.otaru-uc.ac.jp/~egashira/diary/20030607.htm

2003年6月7日 「独法化法案」に思う

 来年度より計画されている国立大学の独立行政法人化法案が衆議院を通過し
た。明らかに問題のある法案なので,私も一応反対署名をしたが,運動として
はまったく盛り上がらない。大手新聞ではほとんど採り上げられることはない
し,ニュースに出ることもない。

 今国会では有事関連法案や個人情報保護法案など重要法亜案が目白押しで,
独法化法案などという人目を引かない法案は興味の対象外なのかもしれない。
以前は,大手新聞も日本の研究レベルの低さと大学の保守性を結びつけ,改革
の必要性を説いた特集を組んだりしていたのだが,どうも法案がただの文科省
の天下り先確保のための法案ということが明確になってから状況が変わったよ
うだ。以前の勢いはどこへやらで,いまは様子見を決め込むらしい。

 以前は,大学知識人とマスコミは戦友であった。言論や思想の自由を守るた
めにともに権力と戦い,同じように政府の弾圧にあった。だが,激動の時代を
過ぎ沈滞と経済原理が支配する時代の後,マスコミ自身が巨大な権力を手にし
た。一方,大学(特に国公立大学)は,金食い虫として財政当局からは邪魔者
扱いされている。政治家,特に首相に間に私学出身者が相次いだのも原因だろ
うか。大量の官僚を輩出している一部の国立大学をのぞけば,国立大学関係者
は何となくいつの間にか形見の狭い思いをしている。それがあってか,皆内心
は,今回の法案に疑問を感じていながらも,声を上げるものが少ない。

 私は基本的には大学改革に反対ではない。運営上も教育研究上も今の国立大
学は非効率な点が目立つからだ。だが,民間人を入れ,場合によっては民営化
すれば,すべてが解決すると思うのはあまりにも思慮が浅い。公共財としての
性格を持つ以上,民営化されても経営効率が劇的に改善することがないのは,
旧国鉄の民営化の前例を見ればわかることだ。ましてや文科官僚の天下りなん
か受け入れたときには,効率化など望むべくもないだろう(しかし,少しでも
存続を望むとすれば大学側は受け入れざるをえないだろう)。

 独法化された大学は,私立大学との競争にさらされることになる。少子化の
進行が現実のものとなっているとき,私立も行政法人大学も倒産するだろう。
ノーベル賞受賞者のような派手なケースは別として,受験生が大学を選ぶとき
大学の研究水準には無関心というのは,大学関係者なら誰でも知っていること
である。したがって,費用のかかる研究は,経営の効率化の中では削減の対象
とならざるをえない。研究者の国際競争力の向上をうたっておきながら,この
改革は日本の大学での研究に(私立,国公立を問わず)大きなダメージをもた
らすことが予想される。

 しかも文科省は,数年前から重点化と称して,旧帝国大学を中心に大学院大
学化を進め,大量の大学院生を作り出している。一方で就職口である大学は少
なくなるわけだから,今まで以上に「大学院出たが,職はなし」の状態となる
ことがわかる。果てしない資源の無駄遣いである。

 ふと,思った。マスコミの人々は文科官僚は大学時代,何をしていたのだろ
うか?授業には出ていたのだろうか?大学の講義を真剣に聴いていたのだろう
か?おもしろい講義や良い教官には出会えなかったのだろうか?彼らが,大学
の意味や学問の本質を知らずしてこのような話をしているとすれば,なんと不
毛なことか。

 だが,振り返ってみれば,彼らが大学の学問を軽蔑する原因の多くは大学教
官の側にもあるのかもしれないが。一昔前まで,大学では「勉強は自分でする
もんだ」という話が,大学教官が手抜き授業をする口実としてまかり通ってい
た。もちろん,当時から熱心に講義をする教官はいたが,何の準備もせずに講
義に来る教官,毎年同じノートを読み上げる教官,講義の最中けっして学生の
方を見ない教官が山ほどいたことはまた事実だ。

 研究が大学教官の最優先事項であることは論を待たないが,日本では大学教
官が,教育と啓蒙活動を軽視,あるいは蔑視する傾向が強い。研究のためには
教育は手を抜くのは当然と考えられ,啓蒙書を書く研究者は,「軽薄短小」の
ラベルを貼られる。だが,教育を研究のためにおろそかにしている教官の少な
からずが,学問の進歩というよりも,自分の業績を挙げたいという私的な欲求
に駆られていることが多い。「私的な欲求」の達成のための場として,「国公
立」の大学が適していないことは明らかだろう。また,自分たちの研究の成果
をスポンサーである国民に還元することを忘れた大学人が国民の支持を得られ
なくなっても仕方がないであろう。

 今回の独法化法案があまりにも問題が多いこと,国家百年の存亡にかかわる
ものであることは明らかである。だが,この悪法がこうも無抵抗に国会を通過
しようとしているということには,大学人が反省すべき点が多々あることもま
た明白である。日本の研究者の水準は国際的に見ても決して低くはないにもか
かわらず,国民の評価がかくも低いのには理由がある。「良いモノが評価され
る」のではなく,「評価されているものが評価され,評価されていないものは
評価されない」というケインズの美人投票の原理が成り立つのは,証券市場だ
けではないのだ。