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独行法反対首都圏ネットワーク

 

2003年6月9日

 
参議院文教科学委員のみなさま
 
日本教育法学会会員有志声明の会

事務局長 植田健男(名古屋大学)
 

                         国立大学法人法案審議についての要望
 

 私たちは、現在、参議院文教委員会で審議されている「国立大学法人法案および関連五法案」は、今後の日本の行方を決定づけるきわめて重要な法案であり、国会での慎重かつ徹底的な審議を必要としていると考えます。もしも、ここで審議を尽くさずに性急に法案を通過させてしまうようなことがあれば、この先、数十年間にわたって日本の高等教育に大きな禍根を残すことになりかねませんし、ひいては日本の未来を大きく損ねる事態となりかねません。

 

 私たちは、教育法学の専門的立場から、今回の国立大学法人法案に対して重大な疑義を抱いています。何よりも日本国憲法第23条および教育基本法第10条に抵触しているという点に、本法案の最大の法的問題点があると考え、先日、声明「国立大学法人法案は、明らかに憲法23条及び教育基本法10条に抵触する−同法案の廃案を訴える−」(全文は下記に掲載)を公表するとともに、文部科学省内記者クラブで会見を行いました。
 

 この二ヶ月あまりの間に、国会で本法案に関する多くの論議が行われました。私たちは衆参両院の委員のみなさまに、心より敬意を表するものであります。しかし、この法案には、上記以外にも幾つもの重要な問題点が含まれていると考えています。


 第一に、教育研究の内容への教育行政機関の関与をめぐる問題です。国会答弁で、遠山敦子文科相は「学問研究の内容についてはその特性を配慮する」と繰り返し述べておられますが、その法的根拠は条文の中には見当たりません。「配慮する」というのならば、もとより文部科学大臣が中期目標を策定するという行為そのものの是非が論じられるべきですし、文科大臣が果たす役割について教育基本法十条二項に抵触することのないよう条文に明記することが必要です。

 第二は、大学に対する国の財政責任を明確にする問題です。学校教育法第5条に定められた設置者経費負担主義の原則から言えば、大学設置主体を変更することによって、国は財政負担責任を放棄しようとしていると解釈されかねません。

 第三は、大学運営のあり方をめぐる問題です。本法案における学長選考方法・学内運営体制(教育研究評議会・役員会・経営協議会)の規定は、いくつもの非民主的かつ不公正な運営規定が見られます。例えば、現学長が次期学長の選考(自らが再選される場合でさえも)に大きな権限をもつことや、教授会の権限を定めた学校教育法の趣旨はどう生かされるのか、などの点について論議が必要です。

 第四は、教職員身分の非公務員化にともなう問題です。労働基準法・労働安全衛生法の適用を受けることになった場合、その運用の仕方だけではなく、法制度上の整合性についての論議がなされなくてはなりません。

 第五に、本法案と現行教育法体制との関係をめぐる問題です。先に申し述べたように、日本国憲法・教育基本法の規定と国立大学法人法案とは正面から矛盾する内容を含んでいるといわざるを得ません。日本国憲法との関連性については言及されていますが、教育基本法その他の教育法規との整合性について、国会内での明確な論議はなされていません。

 第六は、関連五法案についてです。国会内では、国立大学法人法案に審議が集中し、関連法案についてはほとんど議論がなされておりません。

 

 以上の点をふまえて、次のことを要望いたします。

 

一、国立大学法人法案について逐条審議を行い、危惧される問題点について明確に疑念が解決されるまで徹底して論議を行うこと
 
一、国立大学法人法案に関連する五法案についても、同様の審議を行うこと
 
 なお、伝え聞くところでは、衆議院文部科学委員会が決議した本法案の付帯決議よりも長文かつ詳細な付帯決議が準備されているとのことですが、この付帯決議は、本法案の意味を限定することにより、憲法23条および教育基本法10条と本法案との整合性について提出されている重大な疑念を払拭することを目的としているものと思われます。

 しかし、付帯決議による法文の意味の限定という行為は、国民代表によって構成された国会が定める「法律」によって行政府の活動を拘束する、「法の支配」という民主主義の基本原理との矛盾を指摘せざるを得ません。

 付帯決議によって法律の欠陥を修正しようとしても、現実には、付帯決議によって加

えられた修正は、法律ではないがゆえに、法の執行の段階で考慮されることなく、修正としての意味を持たない場合が多いのです(そのような例の典型として任期制法をあげることができます)。付帯決議によって国民代表の意思が法律の執行段階で反映されると考えるのは幻想です。

 法案の欠点あるいはそれに対する強い疑念は、立法府による法案の修正によってこそ除去されるべきものです。そして、付帯決議が短文であればあるほど、微修正で済むことを知りながらそれを立法府が施さなかったことを意味し、それは立法府の怠慢の自己証明に他なりません。また、付帯決議が長文または詳細であればあるほど、法それ自体の持つ深刻な欠陥を立法府が認識していながら、それを放置したことを意味し、立法府による自らの責任の放棄に他ならないと考えます。

                                     以上

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国立大学法人化法案は、明らかに憲法23条及び教育基本法10条に抵触する

−同法案の廃案を訴える−

2003年5月13日

日本教育法学会会員有志80名

代表 成嶋隆(新潟大学)

1 去る2月28日、小泉内閣は国立大学法人法案を閣議決定し、同日、国会に上程した。

 この法案の特徴は、国立大学を独立行政法人化することで、その研究教育に対する国家財政支出のあり方を一変させる点にある。

 この法案においては、文部科学大臣が個々の大学の中期目標を決定し、個々の国立大学法人がそれを実現するための中期計画を策定して、同大臣の認可を受け、計画期間終了時に個々の国立大学による目標達成度を文部科学省に設置される評価委員会と総務省に設置された評価委員会によって評価されることになっている。そして、その結果に基づき、大学組織の改廃に関する実質的な決定が行なわれ、また、運営交付金の額が決定される。

 私たちは、国立大学法人法案が、憲法23条の「学問の自由」を根本から否定し、教育基本法10条2項に規定された「諸条件の整備」を逸脱し、それによって禁止されているはずの教育研究に対する統制権限を行政機関に付与するもので、大学のあり方を根本的に規定しているこれらの条文に違反しているものと判断し、この法案の廃案を訴える。

2 教育基本法10条は、教育は不当な支配に服することなく、国民に対し直接に責任を負って行なわれなければならないと規定し、これを実現するために、教育行政の任務を教育の目的を遂行するために必要な「諸条件の整備」に限定している。教基法10条が、初等中等教育行政のみならず、高等教育行政にも適用されるものであることは、戦前の中央集権的な教育行政が教育のみならず、学問にも深刻な否定的影響を与えていたことの反省に基づいて起草されていたことからも明らかである。高等教育行政もまた教育行政である以上、教基法10条に言う「不当な支配」の禁止と、教育行政の条件整備義務は、当然に、大学行政にも適用されるものである。

 大学において、教育基本法10条は具体的に何を意味するのか。憲法付属法律として制定された教育基本法のいかなる条項も、憲法の関連条項と一体的に理解されるべきものである。殊に大学行政についてみる場合、教基法第10条は、憲法23条の定める「学問の自由」と関連付けてその意味が理解されなければならない。

 無論、「学問の自由」はすべての国民が享受する自由であり、大学人の特権的な自由ではない。しかし、「学問の自由」は、大学人にとって、次のような特別の意味を持つものと理解される。すなわち、およそ何人であれ、大学において職業的研究に従事しようとすれば、大学の設置者に雇用され、それが提供する施設設備を利用するという形態をとらざるを得ない。市民法秩序をそのまま適用すれば、被雇用者として研究に従事する職業的研究者は雇用者の命令に服さなければならない。しかし、学問が目的とする真理の探究には、研究者の自発性を必須とし、設置者ないし雇用者との関係において個々の研究者の自律性を確保することが不可欠である。それ故、「学問の自由」の中核的な意味は、市民法秩序に修正を加えて、被雇用者である研究者の自由の確保を、雇用者ないしは大学設置者に対して義務づけた点にある。

 このような「学問の自由」の意義に照らせば、教育基本法10条が教育行政の任務を「諸条件の整備」に限定したことの中には、大学設置者ないし雇用者である国が、その金銭の支配力をもって研究教育に介入することを禁止するという意味も含まれていると理解することができる。

 そして、戦後における大学法制と政策は、紆余曲折があったとはいえ、教育基本法10条のこのような意味を踏まえ、次のような仕組みを維持してきた。すなわち、大学の組織編制、規模、講座名・学科目名、を法令により決定し、積算校費を配分したところで行政権力の及ぶ範囲はストップし、それから先の研究教育内容と財源使用に関する決定は個々の研究者および研究者コミュニティに委ねられ、彼ら・彼女らの自発的な創意に基づいて、研究と教育が自律的に発展させられてきたのである。

 そこでは、行政権力による一方的な組織の改廃が一貫して否定され、また、研究教育の短期的成果や国策に対する有用度に応じた財源配分はあくまでも上乗せ的措置としてのみ許容されていたに過ぎないのである。

3 国立大学法人法案は、憲法23条・教基法10条に基礎を置くこれまでの国立大学法制の仕組みとはまったく性格を異にした仕組みを提案している。文部科学大臣による研究教育の目標設定と、目標達成に関する国の評価に基づいて、大学組織の改廃が決定され、あるいは財源の増減額を決定することが予定されている。これは、大学組織と研究費配分を、研究教育の成果に対する行政権力の一方的な評価に基づいて下される決定に委ねるものである。

 このように、法案が想定する仕組みにあっては、行政権力は研究教育内容の評価と一体となっている組織改廃権限および財源配分権限によって、国立大学における研究教育を全面的にコントロールすることができる。これは、憲法23条の「学問の自由」の中核的な意味である大学研究者の設置者ないしは雇用者に対する自由を根本から否定し、さらに、教育基本法10条2項に規定された教育行政の固有の任務である「諸条件の整備」を逸脱し、それが黙示的に禁止してきた行政権力の権能、つまり、組織改廃と財源配分による研究教育のコントロールを作動させるものであるといわざるを得ない。

4 私たちは、国立大学法人法案は憲法23条および教基法10条に違反し、なかんずく、教育行政の条件整備義務から明白に逸脱するものであると結論する。そして、国会に対しては、この法案を廃案とするよう強く求める。すべての大学人に対しては、法案を廃案とするためにあらゆる必要な行動を起こすよう切に訴える。

 【賛同人】

 姉崎洋一(北海道大学)、井深雄二(名古屋工業大学)、今橋盛勝(筑波大学)、植田健男 (名古屋大学)、小野田正利(大阪大学)、小林武(南山大学)、榊達雄 (名古屋大学名誉教授)、佐久間正夫(琉球大学)、佐藤修司(秋田大学)、中嶋哲彦(名古屋大学)、仲田陽一(熊本大学)、林量俶(埼玉大学)、成嶋隆(新潟大学)、星野安三郎(東京学芸大学・立正大学名誉教授)、堀尾輝久(元中央大学・東京大学名誉教授)、松浦克(神奈川県立足柄高校)、三輪定宣(千葉大学名誉教授)、森英樹(名古屋大学)、世取山洋介(新潟大学) (以上、呼びかけ人19名)
足立英郎(大阪電気通信大学)、青砥恭(上尾高校)、新井章(弁護士)、新井秀明(横浜国立大学)、荒井文昭(東京都立大学)、荒牧重人(山梨学院大学)、石井拓児(名古屋大学)、磯村篤範(大阪教育大学)、伊東秀明(社会教育主事)、大崎功雄(北海道教育大学)、大橋基博(名古屋造形芸術大学短期大学部)、大村恵(愛知教育大学)、尾山宏(弁護士)、加藤文也(弁護士)、嘉納英明(琉球大学教育学部附属小学校)、川口彰義(愛知県立大学)、喜多明人(早稲田大学)、北川邦一(大手前大学)、窪田眞二(筑波大学)、久保富三夫(神戸市立楠高等学校)、小島喜孝(東京農工大学)、木幡洋子(愛知県立大学)、小林和(民主教育研究所)、佐野正彦(大阪成蹊短期大学)、三羽光彦(岐阜経済大学)、杉山和恵(名古屋大学大学院)、高野和子(明治大学)、高橋哲( 東北大学大学院)、田村桂子(愛知県立大学)、田沼朗(身延山大学)、俵義文(立正大学・非常勤講師)、土屋基規(神戸大学)、坪井由実(愛知教育大学)、中村雅子(桜美林大学)、浪本勝年(立正大学)、南部初世(名古屋大学)、丹羽徹(大阪経済法科大学)、永井憲一(法政大学)、平塚眞樹(法政大学)、平原春好(神戸大学名誉教授)、福長笑子(日本子どもを守る会・三多摩高校問題連絡協議会)、藤岡恭子(名古屋大学大学院)、藤原四郎(神奈川教育問題懇話会)、船寄俊雄(神戸大学)、舟木正文(大東文化大学)、古沢常雄(法政大学)、松元忠士(立正大学)、松元善郎(自治体問題研究所)、細井克彦(大阪市立大学)、本多滝夫(龍谷大学)、松原信継(名古屋大学大学院)、三上昭彦(明治大学)、南新秀一(鹿児島国際大学)、光本滋(北海道大学)、室井修(和歌山w)タ膤慳祥清擬)、室井力(名古屋大学名誉教授)、山本景子(名古屋大学大学院)、山本健慈(和歌山大学)、吉岡直子(西南学院大学)、米田俊彦(お茶の水女子大学)、渡部昭男(鳥取大学)。  (以上、計80名)