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<論外ですか>日本史を高校生の必修に 毎日新聞ニュース速報 弥生時代の始まりが500年もさかのぼる可能性が生まれて、日本の歴史に対 する関心が高まっている。しかし、日本史研究者の表情はさえない。 弥生時代の始まりが早まったからではない。大学院で日本史を専攻しても、職 場がないのだ。大学院の教官は、院生の将来を心配しながら指導を続けている。 まず、89年に高校の指導要領が変更された。それまでは、日本史と世界史と 地理から2科目を選ぶことになっていた。多くの高校生は日本史と世界史を選 んだ。 それが世界史だけが必修になり、あと1科目は日本史と地理から選ぶことにな った。 次に大学の教養部の解体で、日本史に限らず歴史の研究者の職場が減った。最 後に、経営難に直面している私立大学は、高校教育でも軽視されている日本史 を、同様に軽視するようになった。 いずれも、日本史の研究レベルに直結する問題ではない。しかし日本史の研究 者も霞を食べて生きているわけではない。定職があってこそ安心して研究に打 ちこめる。弥生時代のニュースで日本史に関心をもった高校生も、将来が不安 であれば日本史研究を一生のテーマには選びにくい。 グローバリゼーションとIT(情報技術)を考えると、問題はさらに深刻だ。 どちらも国境の敷居を低くする。個人は直接、世界と向き合うことになる。そ の時には、国ではなく自分が何者であるかを説明しなければならない。 歴史から孤立した個人などありえない。時を追っての社会の変化は歴史に刻ま れ、言語を形成し、無意識の部分で思考や価値観を作り上げる。自分が育った 社会の歴史を知らなければ、自分の思考や価値観の意味を自覚できないし、世 界の人々に説明できない。日本の歴史についての知識は、グローバル化された 世界での文化的なパスポートなのだ。 それに、日本史研究の本場は日本だ。日本の研究レベルが世界のレベルになる。 日本史に対する社会の関心の度合いが、研究のレベルを決める。高校教育で必 修とすべきは日本史だ。変更された指導要領こそ論外だ。【北村龍行】 [2003-05-29-13:10] |