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☆大崎仁「株式会社大学容認を憂う」
 . 『IDE現代の高等教育』449、2003年5月号より抜粋
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大崎仁「株式会社大学容認を憂う」
『IDE現代の高等教育』449、2003年5月号より抜粋
 
大崎氏は文部省高等教育局長、国立学校財務センター所長などを歴任。
 
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アメリカに少数の営利大学があることは、事実である。だからといって、アメリカで営利大学が積極的に認められているわけではない。米国の代表的営利大学であるフェニックス大学とその姉妹会社に籍を置くスパーリング、タッカー両氏の著作『営利大学(For-Profit Higher Educati』を読むと、アメリカでも営利大学を認めてもらうのが難しいことが、よくわかる。
 
国としての統一的大学制度のないアメリカで大学として認められるには、州政府の許可と民間のアクレディテーション(大学資格認定)機関による認定が必要である。ゆるやかといわれる州政府の審査でも、営利大学については、不許可を明文化するなど厳しい態度をとる州が多いという。アクレディテーション機関の認定は、さらに厳しいようである。
 
高等教育政策研究の第一人者アルトバック教授に伺ったところでは、全米6地域に分かれて設置されているアクレディテーション機関の多くは、営利大学を認定しない。そこで、審査のゆるやかな南部の認定機関を選んで認定を受けるケースが多いそうである。
 
前掲書では、フェニックス大学を実例として、営利大学の存在理由は、普通の大学には不向きな企業の労働者教育にあると説いている。企業と緊密な連携を図り、実務専門家を教員とし、標準化されたカリキュラムで、場所、時間を企業・労働者の都合に合わせて、教育を実施する。パートタイム教員の活用や、貸しオフィスの利用等でコスト削減に努め、営利的経営を可能にする。これがアメリカの営利大学の代表的モデルである。
 
このように、規制が最もゆるいアメリカにおいても、営利大学はきわめて特殊な存在であり、わが国での株式会社大学容認の理由になるようなものではない。
 
ムード的容認論の論拠の薄弱さは、以上のとおりであるが、容認論の根元は積極的推進論にある。積極的推進論は大学の設置・経営主体としての株式全社のメリットをいろいろ挙げているが、要すれば、「株式会社による利潤の追求が、顧客サービスの向上と効率的経営を生む」ということのようである。
 
株式全社経営の効率性に兄習うべき点があるとしても、利潤の追求が顧客=学生サービスの質の向上につながるかはきわめて疑わしい。私学経営が最も自由であり、国の支援も長期低利融資しかなかった1960年代の状況が、そのよき例証となる。当時、多くの私学が借入金に依存して新増設・拡充にはしり、その返済資金獲得のため、大幅な水増し入学が常態化し、授業料等の学費の大幅値上げが相次いだ。
 
これによる教育条件の悪化と学費の高騰があの大学紛争を招き、私学振興助成法の制定による経常費助成と私学の拡充抑制でその是正が図られた。この教訓を簡単に忘れるわけにはいかない。
 
大学経営における最も容易な利潤の追求は、教育条件の悪化を顧みない学生増と高額な学費の徴収である。消費者である学生が自己責任で選べばよいといっても、大学教育の質をそう簡単に判断できるものではない。学生の学歴・資格志向を考えれば、株式会社大学容認が、アメリカで「デプローム・ミル(学位・資格発行所)」と呼ばれるような、「営利大学」に道を開く危険性も兄逃すわけにはいかない。
 
積極的推進論の根底にある最大の間題は、それが、教育の全コストに利潤を上乗せして学生に負担させる、究極の「受益者負担=学生負担」につながることである。先進各国の大学改革において、大学運営に企業的経営の長所を取り入れることは一つの課題になってはいるが、大学の経営主体として株式会社を想定する国は絶無である。
 
大学が国家社会発展の基盤であり、国際競争力の源泉であり、それゆえにその維持発展に国が責任を持って当たるのは、国際常識である。無償が原則だったヨーロッパ諸国でも、高等教育拡充の追加財源を求めて、授業料導入の動きもみられるが、学生を大学教育の主要な買い手とする単純な受益者負担論は全く聞かれない。
 
私学依存率先進国中最高(78%)、公的大学学費世界最高〔州立大平均42万円、日本国立大56万円(授業料+4分の1入学料)〕、高等教育公費負担GDP比OECD加盟国中最低(加盟国平均1、日本0.5)。これがわが国大学の現在の姿である。高等教育費の家計負担の重さが少子化の原因ともいわれ、少子化で私学の廃校も予想されるなか、利潤を求めて学生の学費負担を加速する株式会社立大学を容認することが、国際的に通用する大学づくりを目指すわが国のとるべき方策であろうか。
 
それにしても、この問題について大学関係者、教育関係者の声があまり聞かれないのは、なぜだろうか。教育基本法、学校教育法の基本に係わる問題である。悔いを千載に残さないよう、関係者間で徹底した論議が尽くされることを強く期待したい。
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