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独行法反対首都圏ネットワーク

 ☆田中弘允前鹿児島大学長の意見陳述(要旨)
 .2003年5月8日(木)「しんぶん赤旗」 
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2003年5月8日(木)「しんぶん赤旗」

国立大学法人法案
田中弘允前鹿児島大学長の意見陳述(要旨)
Subject: [he-forum 5509] 5/8しんぶん赤旗3
To: he-forum@ml.asahi-net.or.jp

2003年5月8日(木)「しんぶん赤旗」

国立大学法人法案
田中弘允前鹿児島大学長の意見陳述(要旨)
教育研究の自主・自律失われ学問の衰退招く

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 七日の衆院文部科学委員会で行われた国立大学法人法案に関する田中弘允・前鹿児島大
学長の意見陳述(要旨)は次のとおりです。
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 国立大法人化の中心目的は自主性・自律性の拡大にあります。しかし本法案では、大学
の本来の任務である教育研究の自主・自律は逆に失われます。なぜなら大学にあった企画
・立案機能は文科省の権限に移され、大学には実施機能しか割り当てられないからです。
政府や官僚が強力な権限を持ち、国立大を直接統制できる仕組みを内包している制度とい
えます。

 具体的には、文科省は国立大に対し六年間の教育・研究等の目標・計画を指示、認可し
ます。そして六年後、成績評価と予算配分、次期の目標・計画の指示、認可、大学の改廃
までも取りしきるのです。大学へのこのような国のしばりはわが国に存在したことがなく
、構造改革の旗印である規制緩和にも矛盾します。

 このようなわい曲は世界にも例を見ず、憲法二三条の「学問の自由の保障」や教育基本
法一〇条の「教育の不当な支配の排除」にも反します。本制度の下では真の教育研究を行
うことは困難であり、強要されればわが国の学問が衰退を余儀なくされるのは明らかです


膨大な事務に人手割かれる

 法人化は行革の一環として始められましたが、政府の業務や権限はスリム化・効率化ど
ころか、増大、煩雑化します。大学においても、計画の作成や公表、評価書類の作成とや
りとりなど膨大な事務が発生し、多くの人員と財源が教育研究以外に割かれます。教育研
究の高度化という大学改革の本来の趣旨に根本から矛盾する壮大な浪費です。

 「競争原理導入による大学の活性化」という発想は、教育研究の外面的評価、数値化に
よって、熱心で有能な人々の学問的内発性をそぎ、人間精神の純粋な創造的・発見的エネ
ルギーをかく乱し低下させる逆説を生みます。一時的な効果はあってもたちまち息切れし
、日本の高等教育を凡庸な水準に収れん・停滞させるでしょう。

 行革には、市場競争原理導入と地方分権の二つの手法があります。前者はヒト・モノ・
カネを大都市に集中させ、後者は過度の大都市集中に伴う政治経済のゆがみ、文化の一様
化・平板化、社会問題の噴出等を回避し、多様な活力ある地域社会を発展させる役割を果
たします。

 ところが国立大法人化は競争原理に強く依拠しており、企業立地の実情や県民所得等の
格差があるもとでは、地方国立大と地域社会には憂慮すべき事態がもたらされます。地方
の衰退を招くのはほぼ確実であり、地方活性化をうたう地方分権に逆行します。

協力原理での大学活性化を

 日本の大学にはかなりの業績と潜在能力がありますが、それらを一般社会と結びつける
チャンネルが欠如しています。大学の学問研究を地域社会現場と結びつけ、二十一世紀の
グローバルな問題に各大学が相互補完的に協力し対応しうるネットワークが形成されれば
日本の大学はよみがえるはずです。「競争原理」のみでなく「協力原理による相互活性化
」も必要なのです。

 以上述べたような致命的な矛盾を内包する本法案は、わが国の高等教育、学術研究の水
準の向上と均衡ある発展を図るという目的と反対の結果を生みます。わが国の未来を見据
えた理性ある判断を期待いたします。
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 七日の衆院文部科学委員会で行われた国立大学法人法案に関する田中弘允・前鹿児島大
学長の意見陳述(要旨)は次のとおりです。
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 国立大法人化の中心目的は自主性・自律性の拡大にあります。しかし本法案では、大学
の本来の任務である教育研究の自主・自律は逆に失われます。なぜなら大学にあった企画
・立案機能は文科省の権限に移され、大学には実施機能しか割り当てられないからです。
政府や官僚が強力な権限を持ち、国立大を直接統制できる仕組みを内包している制度とい
えます。

 具体的には、文科省は国立大に対し六年間の教育・研究等の目標・計画を指示、認可し
ます。そして六年後、成績評価と予算配分、次期の目標・計画の指示、認可、大学の改廃
までも取りしきるのです。大学へのこのような国のしばりはわが国に存在したことがなく
、構造改革の旗印である規制緩和にも矛盾します。

 このようなわい曲は世界にも例を見ず、憲法二三条の「学問の自由の保障」や教育基本
法一〇条の「教育の不当な支配の排除」にも反します。本制度の下では真の教育研究を行
うことは困難であり、強要されればわが国の学問が衰退を余儀なくされるのは明らかです


膨大な事務に人手割かれる

 法人化は行革の一環として始められましたが、政府の業務や権限はスリム化・効率化ど
ころか、増大、煩雑化します。大学においても、計画の作成や公表、評価書類の作成とや
りとりなど膨大な事務が発生し、多くの人員と財源が教育研究以外に割かれます。教育研
究の高度化という大学改革の本来の趣旨に根本から矛盾する壮大な浪費です。

 「競争原理導入による大学の活性化」という発想は、教育研究の外面的評価、数値化に
よって、熱心で有能な人々の学問的内発性をそぎ、人間精神の純粋な創造的・発見的エネ
ルギーをかく乱し低下させる逆説を生みます。一時的な効果はあってもたちまち息切れし
、日本の高等教育を凡庸な水準に収れん・停滞させるでしょう。

 行革には、市場競争原理導入と地方分権の二つの手法があります。前者はヒト・モノ・
カネを大都市に集中させ、後者は過度の大都市集中に伴う政治経済のゆがみ、文化の一様
化・平板化、社会問題の噴出等を回避し、多様な活力ある地域社会を発展させる役割を果
たします。

 ところが国立大法人化は競争原理に強く依拠しており、企業立地の実情や県民所得等の
格差があるもとでは、地方国立大と地域社会には憂慮すべき事態がもたらされます。地方
の衰退を招くのはほぼ確実であり、地方活性化をうたう地方分権に逆行します。

協力原理での大学活性化を

 日本の大学にはかなりの業績と潜在能力がありますが、それらを一般社会と結びつける
チャンネルが欠如しています。大学の学問研究を地域社会現場と結びつけ、二十一世紀の
グローバルな問題に各大学が相互補完的に協力し対応しうるネットワークが形成されれば
日本の大学はよみがえるはずです。「競争原理」のみでなく「協力原理による相互活性化
」も必要なのです。

 以上述べたような致命的な矛盾を内包する本法案は、わが国の高等教育、学術研究の水
準の向上と均衡ある発展を図るという目的と反対の結果を生みます。わが国の未来を見据
えた理性ある判断を期待いたします。
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